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誠人君の禁煙ポスターを見て

2020年11月13日 | 日記

13日
昨夜夕食後テレビを見ていたが睡魔に負けこたつの上散らかしたまま就寝。
6時前目覚め片付けてネットを見たりして、ああ13日の金曜日かと・・・
初冬日だった昨日に続き今朝も氷点下0.2度と冬日に。
ただ朝から陽が射し暖かくなるようだが、寒い自室を避けて朝食後から夕方まで、台所のテーブルにノートPC持って来て民区の会計処理をして過ごした。

迷信であろうが西洋では13日の金曜日は不吉な日と。何もない事をと願っていたら昨日クラスターの8人を超えその続きで何と10人発生し51人になり予断を許さない状況に。

昨日、息子の嫁さん誕生日だった。
例年だと誕生日前に何かしら持参して宿舎に訪れていたが、こういう状況下ではその勇気もなく、取敢えずメールを。
彼女とは3月以来会っていないが、皆変わりなく元気だと返信が。
 小5の誠人君、医師会の禁煙週間ポスターコンクールに応募したら表彰されたと画像が添付。
自分の将来考えて』の標語を見て、思わず禁煙していて良かった、まだ吸っていたら総スカンだったろうなーと。

忘れもしない ’10年11月24日小春日和の昼頃、タイヤ交換を終え一服しようとしたら切れており近所のコンビニに買いに行き、濡れ縁に座って吸い終えたが、今でもあの最後の一服旨かったなあと。
 その後まもなく胸の当りが不快感、そして冷や汗が。
変だなーと思いながら、一寸前テレビで心臓病の異常について見た事を思い出した。
当時は二階が自室だったのでベッドで横にと考え、手すりにつかまりながら階段を登り出したが、途中でしゃがみこんだ。嘘の様だが力が入らなかったのだ。
 救急車かと思ったが、何でも無かったら恥ずかしいのでタクシーを呼んで、ドライバーに「胸のあたりが苦しい」と言ったら今かかりつけの病院に。
受付に状況を伝えてくれたので、医師の指示で処置室に案内されすぐ心電図を。
心電図を見たドクターが「心筋梗塞で磐井病院に行きます」と。
連絡先など聴かれて姉の事を伝えたら、東京支部長の事を知っていて、爾来何かとよくして貰っている。
 生まれて初めて救急車で磐井病院に。ドクターも脇に付き添ってくれたので不安な思いが癒された。
処置室に寝かされて着衣を剥され血管確保、尿管導入などあれよあれよと。
 ドクターが「禁煙出来ない様なら手術は意味ない」恫喝まがいに「止められますか」と矢継ぎ早に。後先考えずに言われるままに「はい、止めます」。
ステント処置を終え病室に向かう時に、急を知り駆けつけた姉様と遠出していたかみさん達の安どした様子が。
 心配性の姉様が息子に連絡した様だが、子供達は駆けつけてくれたが内心「駄目かも」と。おそらく息子は最悪の事態を考えていたのでは。
遅れてきた仙台の娘は私の様子を見るなり「元気じゃない」と。
後日かかりつけのドクターに転院した時、異常を感じて処置までの時間が短かったので良かったですよと。測った訳では無いが2時間ほどではと・・・
 半年後に東京支部長の所で二度目のステント処置をした以降現在まで元気に。
もちろん禁煙継続中、吸う気にもなれず、今ではあの匂いが。どの顔下げてそう言えるのかと反省・・・家族はよく我慢していてくれた。
最後に買って1本吸ったタバコも去年あたりまで戸棚に、何故だか飾ってあったが・・・
数年後、もう退職していたあの時のタクシードライバーに偶然再会し「あの折には助けられました」お礼を述べたが「良かったですねー」と。
十年一昔と言うけど、もうじき丸十年経過、いつまで元気で過ごせるか・・・

コメント
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