保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

京都の霊山・愛宕山を見ながらの川下り。

2013-02-20 09:19:50 | 保津川下り案内
今朝の保津川遊船乗船場からの風景です。

朝晩の厳しい冷え込みで、山並みの奥にそびえる愛宕山には雪が残り、
眩しい陽光に照らされ白く輝き、美しい風景をみせてくれています。
愛宕山は、京都の西北にそびえる霊山で、丹波亀岡からも望むことができます。

標高924mで京都市内最高峰。山頂に鎮座する愛宕神社は、大宝年間(701)に
修験道の開祖である役行者(えんのぎょうしゃ)と白山の開祖と知られる泰澄が
神廟を建てたことにより開山したといわれます。

愛宕山は古えより都人にとって特異な信仰の雰囲気が漂う山でした。
明治時代になるまで山岳信仰と仏教が一緒になり祀られており、本地仏は勝軍地蔵で主祭神。
火の神様の迦倶槌命という神仏習合の社に修験道・白雲寺が実質支配する山でした。

平安の時代、都から見て、北西、乾にそびえていることから
「妖怪鬼神の棲む所・神門」として恐れられていました。

神仏習合色が強くなったことで愛宕山は、承和三年(836)官符により
鎮護国家を祈る修験者の修行場に与えられる七高山に定められました。
他の山は比叡山、比良山、伊吹山、神峯山、金峯山、葛木山。
修験の神仏習合の進展に伴い、その祭神が天狗の姿をした愛宕権現太郎坊と呼ばれました。

役小角が、山裾の集落・清滝から愛宕山に登ろうと大杉の前に着いた時、天地に広がり、
日本最強の天狗である太郎坊が九億四万余の天狗を引き連れ姿を見せ、
役小角に向かって大魔王となって山を領有し、群生を利益するのだ!」と導いたという伝説によります。

中世から近世にかけて火伏せの神様として庶民の信仰を集め、
全国に広がった地域信仰組織「愛宕講」の参詣登山が風習となり、
現在に至っています。

この愛宕山系の山裾を縫うように流れているが、保津川です。

保津川下りから望む、愛宕山。
これら愛宕山の基礎知識を頭の片隅において頂いてお乗り下さると、
川下りの楽しむが100倍増えること間違いなしですね。

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