保津川下りの船頭さん

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所有から借りものへ、意識の変革による「豊かさと安心ある」生き方を探る。

2012-09-27 11:14:58 | 船頭の目・・・雑感・雑記

竹島問題や尖閣諸島をめぐる領土問題から、今、日本は近年にない隣国との緊張関係にある。

人類は長い歴史の中で‘豊かになる’ことを追求して生きてきたといえる。
そして人類で豊かになるということは具体的に物を「所有」するということを意味する。

今回の原因となっている領土も、国家が地球の一部を「所有」することの争いだ。

人類は、幾多の争いの果てに、知恵を絞り、国境という「ルール」を生み出した。
そして、人間本位の‘所有’を明確した。
しかしながら、人類の所有へ対する執着心はことのほか強く、現代でも争いの種となってしまっている。

ルールは国際法という国際的な取り決めで調整を図ろうとはしているが、国家のパワーゲームのような腕力の前には、
非常に脆弱な性格を持ち、正当性の有無も「強者」により捻じ曲げられることを世界は幾度となく知らされた。

法で、人類の所有という欲望を抑えることが事実上、不可能であることは誰もが感じているところだろう。

そもそも、この地球上の大地や海、空などの大自然を、人間が勝手に‘所有’する、という思考は正しいのか。
地球上の生命の観点に立てば、所有を巡り、戦い、多くの人々の血を流させ、奪い合い、
勝者が自然界を「我がもの」とし、自由に利用する権利が与えられる。
まさに人間本位のエゴのみで決められることを地球は許し、自然は認可を下ろしたのか。

所有しているなどと主張してみても、その実在は虚ろい易いものであり、いくら様々なものを多く所有していても、
人類は自らの命が尽きれば、それらはすべて自然に返さなければならないものだ。
所詮は生きている間だけの「借りているもの」にすぎないではないだろうか。子々孫々といえども
この事実からは逃れることができないはず。

少し感性の鋭い者なら、この地球上の自然、自らの身体、財産などはすべて、地球からの
「かりもの」にすぎないと実感できるはずだ。
いわば我々は、自然からの「レンタル権」をめぐって、血みどろで命懸けの戦いを長い年月、続けているだ
なんと虚しいことだと気づく。

だが・・・現実はこの虚しい戦いから逃れることができない強迫観念が国家、民族の間を覆っている。
人類は、生命の誕生以来、この世界は弱肉強食の生存競争の中で、勝ち残ったものにより創造されたと考えるに至った。
ダーウィニズムは、その考え方に正当性を与える論理として世界中へ広がった。

しかし、本当にそうか!生命は生存競争の後、強者が弱者を淘汰した歴史により
創りあげられてきたものなのか?
原始地球の泥海の中に、藍藻と細菌という原核細胞が生まれが、その後、自己複製の連鎖を打ち破る有性生殖・雌雄の性が
生み出され、共に協力することで多様な生物が数多く生み出されたのが「生命」の記録ではないか。
決して二つの原核細胞が生存を競い合い、どちらかを滅ぼし、勝ち残った細胞が生物を生み出したのではない。
最も根本の生物の進化過程には強者が弱者を排除する生存競争は存在せず、ともに協力する共生の論理が展開しているではないか。

私はこんな時世だからこそ、この生命の根本的な進化の論理をあらためて見直し、
人間として自然の論理をしっかりと読み解く生き方とは何なのか?を思考したいと思う。

人間同士がもう、所有をめぐり戦うのでなく、所有の欲望へのアンチテーゼとして「借りもの」
という意識変革による思考を確立し、人類が共存していく道を探りたい。

また、生命の起源と進化の歴史を現代科学で解明できた本当の‘英知’により辿り、
本当に人間の尊厳ある「豊かなで安心できる」生き方を探求したいと強く感じている。