私が広島に越してきたのはちょうど5年前の8月1日でした。
街全体が8月6日を前にした重い空気に包まれていることを感じました。
平和な現代からは想像もつかないような闇が
戦争と核兵器によってもたらされたという過去は、
日常では考えられないほどに残酷で、深い悲しみを感じるから、
私は無意識のうちに目を背けてきました。
けれども広島にいると「本当にここに原爆が落されたんだ」と感じる瞬間があります。
それは、決してもう終った昔の出来事ではないことを知る瞬間でもあると私は思います。
私自身は、親族やお世話になっている方たちが、黒い空の下にいたと知った時、
あの日の出来事は過去の話ではなく、今も苦しみや悲しみは消えず、
また、今を生きている自分に無関係な出来事ではないのだとわかり、
それ以後、事実に対する思いが変わって行きました。
今日は広島の多くの学校は原爆投下時刻にあわせて登校します。
娘の通うあやめ幼稚園でも登園し、お祈りをささげました。
その中で理事長先生が被爆体験を話してくださいました。
私たちの住む牛田で被爆されたのですが
当時の牛田の様子を聞くことは初めてでした。
それまで普通の日常生活を送っていたのに
原爆投下の瞬間に一変したことが伝わってきました。
先生は爆風で落ちてきた自宅の瓦屋根が頭に突き刺さったにもかかわらず、
中心部から逃れてくる火傷を負った人々を見て、
「あまり怪我をしていないことを申し訳なく思った。」と語られました。
また、「この歳まで生きていることを申し訳ないように思う。」
ともおっしゃっていました。
広島にいると、ご年配の方々はごく普通に被爆体験を語られます。
多くの方が生きていることに何らかの後ろめたさを感じたままです。
会の最後に、園の先生方が「夾竹桃の子守唄」という歌を歌ってくださいました。
夾竹桃は「70年は草木が生えない」と言われた広島の地に
原爆投下の翌年から花を咲かせたそうで
広島の復興のシンボルとして市の花になっていますが
人々の悲しみを秘めた花でもあるということを感じました。
広島は、人も建物も樹も…街全体が原爆の記憶を語っています。
あやめ幼稚園にも園庭に大きなくすの木があり、
この木も被爆樹だそうです。
樹齢150年のとても立派な木です。
初めてこの木を見たとき、くすの木特有のやわらかい木漏れ日が
幼稚園の雰囲気に似合っていたのが印象的でした。
被爆樹という言葉からは
このくすの木のように青々と葉を茂らせている姿は想像できませんでした。
先日幼稚園からもらった写真の中に、娘がくすの木の下で遊んでいる写真がありました。
「くすの木の下はとても涼しいんよ。」
と娘は言います。
あの日、熱線を浴びたくすの木が、今も生き続け
枝葉を伸ばし、木陰を作り、子どもたちがそこを憩いの場にしています。
いつまでもあの木の下に
笑顔の子どもたちが憩い続けることのできる世界であってほしいと心から思います。
牛田を流れる川沿いに咲く夾竹桃。
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