ポキポキの木にカイロの花

広島市東区の整体・カイロプラクティック「もりたカイロプラクティック」院長公認裏ブログ

ヒロシマの日

2010-08-07 | 2010年
昨日、広島は65回目の原爆投下日でした。
私たちは今年も娘が通う「あやめ幼稚園」にて祈りの時を持ち、
被爆者の方のお話を聞かせていただきました。

私は子どもの頃は戦争や原爆の話をあまり聞きたくなくて、
小学生の時、毎年8月6日か9日に持たれる登校日は、
原爆に関する映像や写真を見るのが嫌で休みたいと思っていました。
母親になってからも、こんなことではいけないんだけど、
先日、子どもが幼稚園で沖縄戦について描かれた絵本を借りてきた時、
描写の恐ろしさに読むのが嫌になってしまって、
返却予定日前日まで読んであげられなかったんです。

そんな自分が子どもにこの日について何が教えられるのかと思っていたけど、
被爆者の方を前にしたら私は何にも言えることはなく、
唯一できるとすれば、
子ども達と同じように事実を知っていくことだけだろうと感じました。

お話してくださった方は
「原爆は落ちたんじゃない、落とされたんです。」
ということからお話を始めました。
当時13才、学徒動員で建物疎開に向かうために電車を待っていたところ、
空襲警報が鳴り、家に帰ったそうです。
建物疎開は爆心地近くで行われており、
学年は6クラスあったのに、原爆投下後は2クラスの人数しか残らなかったそうです。
慰霊祭の日、亡くなった学生さんの母親がやってきて
「うちの子どもは即死でしたか、それとも生きながら焼け死んだんですか。」
と生き残った学生ひとりひとりの肩を揺さぶりながら尋ねたそうです。
対応した校長先生も娘さんを亡くしていたそうですが、皆には言っておらず、
この時初めて涙を流しながら
「うちの娘も死んだのです。」
と語られたそうです。


被爆者の方の話を聞いていると、私が使う「平和」という単語はとても薄っぺらく感じ、
平和についてわかったような気持ちになる自分を恥ずかしく感じます。

少し式典の様子をテレビで見たけど、
今年は今まで参列したことのない国々や国連事務総長も参列していて、
「核兵器を廃絶し、平和な世の中に!」
と、例年にも増して力強く叫んでいるように見えました。
一見、良い方向性に思えたけど、
逆に簡単に核兵器を持つことができる世界になってきたから、
こうやって声高に叫ばれるようになったんじゃないかなあ。
これだけ様々な技術が発達すれば、
いざとなればすぐに作れる技術が浸透しつつあるんじゃないのかなあ?
こんな日にこんなことを思うのは後ろ向きかな?
平和ってどんなことを言うのかな?
単純に戦争のない世の中が平和ってわけじゃない気がする。

大きく叫ぶことも大切だけど、
それと比較すれば昨日聞かせていただいたお話は、
ささやき声くらいの大きさかもしれないけど、
その方が私には心に残りました。
真実なことは、ささやきであっても、大きく心に響くから。

夕方、平和公園の灯籠流しに出かけました。
ぶつかり合うほど多くの人がいたけど、皆、笑顔で歩いていました。
でも、65年前にここで多くの人が水を求めて歩き、
川の中で折り重なって亡くなったことを思うと、
いたたまれない気持ちになりました。

子どもたちはこれから、この日をどんな風に感じて行くのかな。
この日がこれからも祈りの日であってほしいと思いました。
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