最近 自分はいつまで生きるんだろうか
10年後もいや 5年後すら もしかしたら 来年はないかも もしかして 来月は・・・
という脅迫的な感覚をもつようになってきています。
SNSの登場により 今まで水面下にあった情報があぶりだされてきています。
SNS普及前は さほど突然死や 病気が表面化しづらかったのが 今 ちょっとしたレベルのものですら 伝達されます。
その中で考えたことがあります。
長寿国という刷り込みは 誰かの思惑で
未来という時間をネタに ローンをくませたり 労働をさせたい人がうまくつくりあげた幻想ではないか?と よく思うのです。
レバレッジというのが 少ない出資金すべてまるなる
掠め取るための手段であることは周知の事実ですが
長く持ちますよ 老後に備えて いくつになったら のような セールストークは まるで未来まで 賭けさせる胴元のうまい口上に思えるのです。
団塊世代という太い世代が高齢化を迎え 社会にとり死というものが身近になってきました。
しかし、そもそも われわれの人生は 常に死と隣あわせで 老いも若きも明日さえ未定なのです。
10年後もいや 5年後すら もしかしたら 来年はないかも もしかして 来月は・・・
という脅迫的な感覚をもつようになってきています。
SNSの登場により 今まで水面下にあった情報があぶりだされてきています。
SNS普及前は さほど突然死や 病気が表面化しづらかったのが 今 ちょっとしたレベルのものですら 伝達されます。
その中で考えたことがあります。
長寿国という刷り込みは 誰かの思惑で
未来という時間をネタに ローンをくませたり 労働をさせたい人がうまくつくりあげた幻想ではないか?と よく思うのです。
レバレッジというのが 少ない出資金すべてまるなる
掠め取るための手段であることは周知の事実ですが
長く持ちますよ 老後に備えて いくつになったら のような セールストークは まるで未来まで 賭けさせる胴元のうまい口上に思えるのです。
団塊世代という太い世代が高齢化を迎え 社会にとり死というものが身近になってきました。
しかし、そもそも われわれの人生は 常に死と隣あわせで 老いも若きも明日さえ未定なのです。