英仏ソ3国の軍事会談へ臨むにあたり、スターリンは外交交渉経験の薄いソ連側団長ウォロシフに対し、交渉の手引きとなるシナリオを渡しました。
それは次の8項目の指令でした。
(1)
手取り足取りの会談手引書ですが、これは、現実の軍事会談の進行にあたって絶大な威力を発揮しました。
相手側はスターリンが予見した通りの対応をし、7回にわたる会談は、スターリンが到着点とした結果へと、確実な足取りで導かれていったのです。
スターリンは、英仏ソ3国会談の経過と結末を、ドイツと不可侵条約を結ばざるを得なかったことの根拠として、最大限に利用しました。
締結された独ソ条約は、帝国主義、覇権主義の二匹の狼が、6ヶ国にわたる他国の領土の分けとりを取り決めた近代史にも例を見ないあからさまな掠奪条約であり、それを締結した行為こそは、スターリンが覇権主義的な領土拡大の道に公然と足を踏み出した第一歩にほかならなかったからです。
それは次の8項目の指令でした。
(1)
会談は秘密であること。
(2)会談に入る前に、英仏代表団長がそれぞれの政府から協定調印のための全権を与えられているかどうかを尋ねること。
(3)全権を与えられていなければ、なんのためにソ連に派遣されたのかを尋ねること。
(4)軍事協定調印の準備のための会談に派遣された、と彼らが答えたら、英仏はどんな防衛計画があるのかを尋ねること。
(5)もし侵略に対する具体的な計画がなければ、軍事会談でどんな問題を討議するかを英仏が考えているとは思えない。
(6)それでも英仏が会談をおこなうことを主張するのであれば、個々の原則的な問題、主としてヴィリニュス回廊やガリチア、ルーマニア領内のソ連軍通過の問題について討議すること。
(7)もしポーランドとルーマニア領内のソ連軍の自由な通過が拒否されれば、侵略に対する防衛は失敗する。はじめから失敗するとわかっている企てに参加することはできないと明言すること。
(8)軍事的な工場や研究所、軍事施設を見せてほしいと英仏が要請したら、1938年のリンドバーグ飛行士のソ連訪問以後、ソ連政府は国防企業や軍隊を、わが国の同盟国以外の外国人には見学を禁止してきた、と話すこと。
手取り足取りの会談手引書ですが、これは、現実の軍事会談の進行にあたって絶大な威力を発揮しました。
相手側はスターリンが予見した通りの対応をし、7回にわたる会談は、スターリンが到着点とした結果へと、確実な足取りで導かれていったのです。
スターリンは、英仏ソ3国会談の経過と結末を、ドイツと不可侵条約を結ばざるを得なかったことの根拠として、最大限に利用しました。
締結された独ソ条約は、帝国主義、覇権主義の二匹の狼が、6ヶ国にわたる他国の領土の分けとりを取り決めた近代史にも例を見ないあからさまな掠奪条約であり、それを締結した行為こそは、スターリンが覇権主義的な領土拡大の道に公然と足を踏み出した第一歩にほかならなかったからです。