忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

幸福論(11)

2017-11-30 15:23:53 | Library
①バイロン風の不幸
「バイロン風」とは、ひと言で言うと「悲観主義」のこと。
旧約聖書のひとつである「伝道の書」にこのバイロン風の不幸がこのように描かれている。
「すでに死んだ人を幸いと言おう。
さらに生きていかなければならない人よりは幸いだ。
いや、その両者よりも幸福なのは、生まれてこなかった者だ。
太陽のもとに起こる悪いわざを見ていないのだから」
なんという悲観主義だろう。
生きていれば嫌なことや悪いこととも遭遇する。
しかしそれでも生きる意味はある。
それは何かと私たちは常に問われている存在だ。
そこに思いをおくだけで世界は変わるはずだ。
これほどの悲観主義者ではないにしろ、何でもマイナスにとらえる人も多い。
それでは、自分の中で不幸の種をまき、不幸を育てているようなものだ。

解決策
バイロン風の不幸は、知的ペシミズムがもたらす不幸で、理性によって勝手に不幸な世界観を描いている本末転倒の状態である。
この状態から脱するためにはどうすればいいか。
ラッセルは次のようにいっている。
「私自身も、いっさいは空であると感じるような気分を何度も経験した。
そんな気分から脱出しえたのは、どうしても行動を起こさなければならない必要に迫られたからである。
もしも、我が子が病気になれば、あなたは不幸になるかもしれない。
しかし、あなたは不幸であると嘆くのではなく、きっと子どもの健康を取り戻すことこそ大事であると考えるであろう。
人間の生命に究極的な価値があるかどうかという疑問などどうだっていい、と感じるだろう」

これはまさに思考のコントロールだ。
負のループから抜け出すためには、もうそれ以上考えるのではなく、行動を起こす必要性に目を向けるしかないのである。


(つづく)
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幸福論(10)

2017-11-29 15:59:26 | Library
不幸の原因を取り除くための解決策が「思考のコントロール」だとラッセルは論じている。
「思考のコントロール」とは何だろう。
ラッセルによれば、「ある事柄を四六時中、不十分に考えるのではなくて、考えるべきときに十分に考える」習慣だという。
そして、それは精神を訓練することによって可能になるものであり、それができてはじめて幸福を能動的にとらえることができるという。

(つづく)
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幸福論(9)

2017-11-27 14:10:53 | Library
不幸になる原因の最後の8つ目は、「世評に対するおびえ」だ。

⑧「世評に対するおびえ」
これは自分が人にどう思われているかを気にするということ。
ラッセルはこう述べている。
「ほとんどの人は、自分の生き方や世界観が自分と社会的関係を持っている人びと、とりわけ共に生活している人びとから、大筋において是認されるのでない限り、幸福になれない」
自分の価値観が人々と異なり、それが受け入れられないと感じると、すべてのことに臆病になる。
世評に無関心でいられれば、自分の信念を貫き通せるが、それはなかなか難しいことだ。

(つづく)
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幸福論(8)

2017-11-26 10:31:03 | Library
不幸になる原因の7つ目は「被害妄想」だ。

⑦「被害妄想」
ラッセルはそれを病気と呼び、大なり小なりほぼすべての人がかかっているという。
これが強い人は、周りが同情してもしなくても、自分は被害者だという思いをどんどん強めていく。
そして、「万人が自分を虐待していると感じているかぎり、幸福になることはまるで不可能」だと断じている。
ラッセルは友人についてもこう述べている。
「友人は皆、自分のことを多少は悪く思っているものだ。
そう思わないから、何か一つでも悪いことを言われたと聞くと、もう被害妄想に陥ってしまう」
友人に限らず誰しもがそう思っている、と、そう思うくらいがちょうどいいのかもしれない。

(つづく)
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幸福論(7)

2017-11-24 10:52:39 | Library
不幸の原因となる6つ目は「罪の意識」である。

⑥「罪の意識」
自分の中にある道徳観に沿わないことをすると、罪の意識にさいなまれて嫌な気分になる。
ラッセルはこれを「おとなの生活の不幸の根底にある心理的な原因」とした。
罪の意識は子どもの頃に形成され、大人になってからも人を縛るものであるからだ。
たとえば、子どもの頃に楽しい遊びを親から厳しく禁止されていたとすると、大人になっても、楽しい遊びは罪だという意識を引きずってしまう。
ラッセル自身が、祖母から受けた厳しいピューリタン的な道徳経験があり、そこから導き出されたものだろう。
だから、子どもに不合理な道徳観を植えつけることは、不幸の原因になると指摘したのである。

(つづく)
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