偉そうなお坊さんに、無心になりなさい、と言われることがある。
無心になるという意味を考える。
無とはなんだろう?
人間としてこの世に産まれるまえは、確かに無だったろうが、そこからいろんな経験や知識を積んで今がある。
だから無になるためには、この世とおさばらするしかないが、それはまっぴらご免だ。
そんなことを偉いお坊さんが言うわけがない。
以前、拳法とか棒術をやっていたことがある。
バレーボールや野球やサッカーもそうだが、どんなスポーツや武道でも、インパクトの瞬間瞬間は何も考えてはいない。
それが無なのか?
いやいやそうではないだろう。
それは修行の賜物であり、身体に刻まれた反射神経じゃないのかな?
無心の心ってなんだろう?
頭の中や心のうちでは常になにかを考えている。
その多くが過去のこと(どちらかといえばネガティブな思い出)や将来に対する不安だ。
最近はうつ病が蔓延している。
うつ病の人と話をしていると、頭の中は不安だらけで、ポジティブな考え方などかけらほども見当たらない。
そんな人に「頭の中にスペースをつくってみませんか?」と話すことがある。
ほんの少しでもスペースができれば、そこに新しい居場所ができる。
一刻でもいいから、その居場所に一緒にいられたら、なにかいいことが見つかるかもしれないね、とも話す。
頭の中のスペースを感じようよ。
一緒に考えようよ、今。