忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

なんとかなるさ

2021-02-04 11:11:15 | 心理

偉そうなお坊さんに、無心になりなさい、と言われることがある。

無心になるという意味を考える。

無とはなんだろう?

人間としてこの世に産まれるまえは、確かに無だったろうが、そこからいろんな経験や知識を積んで今がある。

だから無になるためには、この世とおさばらするしかないが、それはまっぴらご免だ。

そんなことを偉いお坊さんが言うわけがない。

以前、拳法とか棒術をやっていたことがある。

バレーボールや野球やサッカーもそうだが、どんなスポーツや武道でも、インパクトの瞬間瞬間は何も考えてはいない。

それが無なのか?

いやいやそうではないだろう。

それは修行の賜物であり、身体に刻まれた反射神経じゃないのかな?

無心の心ってなんだろう?

頭の中や心のうちでは常になにかを考えている。

その多くが過去のこと(どちらかといえばネガティブな思い出)や将来に対する不安だ。

最近はうつ病が蔓延している。

うつ病の人と話をしていると、頭の中は不安だらけで、ポジティブな考え方などかけらほども見当たらない。

そんな人に「頭の中にスペースをつくってみませんか?」と話すことがある。

ほんの少しでもスペースができれば、そこに新しい居場所ができる。

一刻でもいいから、その居場所に一緒にいられたら、なにかいいことが見つかるかもしれないね、とも話す。

頭の中のスペースを感じようよ。

一緒に考えようよ、今。


幸せは自分でつくり出せる心の感情だ

2020-12-29 10:38:00 | 心理

「生きている意味がない。はやく消えてしまいたい」


そう言われたらどう返したらいいだろう?


生きている意味はきっとあると私は思う。

だから今、私もあなたも生きているんだろ。

私には私の生きる意味があるように、君には君の生きている意味があるはずだ。


「あなたにはあるかもしれないが私には無い。生まれてからずっと不幸せだ。

生きていてもしょうがない。苦しいだけだ。消えてしまえたらどんなに楽だろう」


消えてしまいたいってどういうこと?

今いるところから居なくなりたいの?それとも死んでしまいたいの?


幸せも不幸せも自分の中でつくりだされた感情じゃないかな?

あなたの手や足や口や耳に聴いてみてよ。

あなたの手や足や口や耳も消えてしまいたいと思っているの?

なぜあなたの感情は自分が不幸せだとかんじているのかな?


「仕事がなくて…」「友だちがいなくて…」「難病を抱えて…」


原因がわかれば解決の方法はあるはずだ。

だって(〇〇がなくても幸せだと感ずる人もいる)(五体不満足でも幸せだという人もいる)

不幸せも幸せも、自分でつくり出した感情だ。

どこでその違いがおきるんだろうね?一緒に考えようよ。


罪悪感はどこから生まれるのか

2020-08-08 16:09:54 | 心理
私たちが罪悪感を抱くのは、どんなときだろうか。
それは、社会の規範や道徳に背いたとき、あるいは他者に対して危害や損害を与えたときに顕著にあらわれる。
その行為や行動が悪いかどうかを判断する基準は自分自身にあり、他人に責められるのではなく自分自身の内側から生ずる感情だから、即座にあらわれるのだ。
したがって、道徳に反する行動をとった場合に、相応の罪悪感をもつことは、精神の健全さを示す指標ともなる。
しかし、その基準となるのは各人が抱いている道徳観や良心であるため、人によっては良心のあり方が異なり、罪悪感の欠如や、あるいは逆に過剰な罪悪感をもつケースもみられる。
なかには、なんらかの精神病理が考えられるケースもある。
たとえば、妄想型の統合失調症の患者のなかには、自分の不道徳な行為に対して自責の念をほとんど持たず、それどころか他人に責任を転嫁する場合さえある。
逆に、内因性うつ病患者の場合は、罪悪感を生ずるような事実がないにもかかわらず、異常に激しく自分を責める場合もある。
さらに、特殊な例として神経症の患者の、心の奥深くに罪悪感が潜在していて、頻繁に手を洗う(罪の洗い流し)というような強迫行為としてあらわれるような、無意識的な罪悪感もある。

罪悪感には7つのタイプがある。

罪悪感として認識しやすいものからあげてみる。
①加害者という罪悪感
②無力感という罪悪感
③なにもしていないという罪悪感
「あのときこうしておけばよかった」などと一人自分を責め続ける。もっとも許しがたい罪悪感。
④恵まれていることへの罪悪感
恵まれていること自体はすばらしいことなのだが、その価値を受けとれないために、罪悪感に転じてしまう。
恵まれたことに対する罪悪感を持つ人が、問題だらけの人を好きになって助けようとすることで、その罪悪感を解消しようとする(つまり補償行為)パターンもある。
⑤潜在意識の奥深くにある罪悪感
⑥愛する相手(親やパートナー)の罪悪感を自らが背負う
⑦罪な存在などと意識する罪悪感
キリスト教的な「原罪」意識、仏教的な「精神世界」意識などの行き過ぎから起こる。



心の三層構造と性格の関係

2020-08-06 14:46:58 | 心理
フロイトは、人間の心は「エス(イド)」「自我(エゴ)」「超自我(スーパーエゴ)」という3つの部分からなり、それぞれ別々の機能をもっていると考えた。
外に開かれた意識を「自我」、自我を監視して良心へ導こうとする心理を「超自我」、心のなかに無意識に存在する本能的な欲求を「エス」と名づけたのである。
この3つのバランスがとれていれば、心の調和がとれた円満な性格になるとしている。
ところが、現実にはそういう人は少なく、どれか一つがとくに強いという人がほとんどだ。

「エス」の強い人
「エス」は、ひたすら快感のみを求める本能的な欲求だ。
この部分が強いと、欲望に忠実で、それを満足させることだけを追求し、ほかのことは考えない自己中心的な性格になる。

「自我」の強い人
「自我」は、エスとは異なり、意識的、論理的に物事を進めようとする傾向をもっている。
フロイトは、本能的な欲望のままに行動しようとするエスと、それを道徳的な立場から厳しく規制しようとする超自我との間に立って、両者を調整するのが自我の働きだと考えた。
自我が、エスと超自我をうまくコントロールできれば、合理的、理性的で現実主義的な性格になる。
ただし、エスと超自我が極端に弱く、自我が強すぎる場合には、八方美人的な傾向がみられる。

「超自我が強い人」
「超自我」は、いわゆる良心で、常に自我を監視したり、処罰したりする。
この超自我が強すぎると、自己規制が強く働き、極端な場合にはノイロゼーになってしまうこともある。


ユングの考えた普遍的無意識

2020-08-05 14:26:26 | 心理
フロイトの無意識理論に対して、まったく新しい無意識の考えを提唱したのは、スイスの心理学者ユングである。
ユングは無意識のなかには、人類共通のイメージが存在し、それが一人ひとりの無意識のなかに生まれつき備わっていると考えた。
この人類共通の無意識の領域を「普遍的無意識」と呼び、フロイトの考えた無意識を「個人的無意識」として区別した。
「普遍的無意識」は、ユングが元型と呼んだ概念によって構成されている。
その元型とは、私たちが祖先から遺伝的に引き継いできた生活体験によって、私たちの心の奥底に深く刻み込まれているものだ。
たとえば、出産、母親、結婚、別れ、死など、普遍的な生活体験に関する元型は理論的には無限に存在することになる。
そのなかで、特にユングが注目した元型としては、私たちの人格を形づくっている「ペルソナ」「影」「アニマ」「アニムス」などをあげている。
「ペルソナ」は、社会に適応するためにもっている、世間に向けた仮面ともいえるものである。
そして、他人とうまく協調するために、人格の認めがたい側面や劣等感などペルソナの奥に潜ませているものが「影(シャドー)」である。
また、男性が無意識の世界にもっている永遠の女性像のイメージが「アニマ」であり、女性がもっている永遠の男性像が「アニムス」だ。
これらの元型は、普遍的無意識を構成する細胞のようなもので、深層心理を理解するための仮設のようなものである。