忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

傾聴のすゝめ(1)

2016-06-30 08:41:51 | Library
傾聴とは何か?
「聴いてもらう」ことの意味とは?
なぜ「聴く」ことが大切なのか?

「訊く」と「聞く」と「聴く」の違い。

「訊く」とは、尋ねる、自分の知りたいことを訊く、自分の興味で相手の話を訊く。

「聞く」とは、音声として聞く、聞き流す。

「聴く」とは、心を込めて相手の身になって聴く。
       相手の話を否定したり、批判することなく聴く。

私たちは日常生活の中で「訊く」とか「聞く」はよく使っているが、「聴く」ことはなかなか無い。
みなさん自身も、心を込めてあなたの身になって聴いてもらえた体験がどれほどあるだろうか。
自分の話を否定されたり、批判されずに聴いてもらうことは、(自分でも否定している)自分自身の存在を「肯定される」ことであり、自分は他人に耳を傾けてもらえる「価値がある」存在であると感じられることにつながる。

「聴く」という漢字は、「十四の心の耳」と書く。
それほど「聴く」という行為にはエネルギーが必要である。
十四の心とは何か。
諸説あるがこんな一説を紹介しておく。

1、受容する心
2、共感する心
3、好意的な心
4、興味を示す心
5、肯定する心
6、優しい心
7、理解する心
8、ゆったりした心
9、誠実な心
10、先入観のない心
11、明るい心
12、公平な心
13、信頼の心
14、感謝の心



原爆を落とした男たち(おわり)

2016-06-29 08:34:53 | 読書
8月8日午前8時、2発目となる原爆投下命令書が出された。
第1目標は小倉、第2目標は長崎であった。
台風の影響で視界が悪く、小倉での爆撃は中止されたが、午前11時2分、長崎市街地上空で2発目の原爆が炸裂した。

8月10日金曜日午前2時30分、午前会議にてポツダム宣言受諾が決定した。
昭和天皇の詔勅(玉音放送)はただちに英文に翻訳され全世界に発信された。

8月15日以降、トルーマン大統領とスターリン間で交わされた電文6通がある。
そのなかから、スターリンからトルーマンに宛てた電文を紹介しておく。
「私はあなたが昨日15日に送ってくれた〈一般命令第1号〉拝読しました。
この命令書の骨子についてはすでに外相理事会で合意に達していたものであり、ソ連が主張していた通り、遼東半島と満州が不可分領域であることについて表現されていることも確認できました。
ところで、取るに足りないことではありますが、二つばかりご配慮願いたい件があります。
すでにヤルタ密約において米英ソ3国が署名した通り、南樺太がソ連に返還され、かつ、千島列島全域はソ連に譲渡されることが合意されています。
そこで、南樺太と千島列島全域における日本軍の武装解除後の、その地域における戦後処分はマッカーサー元帥の関与から外すよう願えないものか。
これが1点です。
もう一つは樺太から宗谷海峡ひとつ隔てた北海道についてです。
すでにテヘラン会議でルーズベルト大統領からは内々に賛意を示されており、ついてはその賛意のもと、北海道の釧路市から留萌市の間に境界線を引き、線の北側はソ連、南側はアメリカという分割占領を、ドイツの場合と同じように実施したい。
ご理解いただけると思いますが、北海道の半分を占領統治することはロシア人にとって特別な意味があるのです。
1919年から1921年にかけ、日本軍はソ連の極東領土を占領していました。
北樺太はもちろん、ウラジオストックから沿海州一帯にかけ、さらに鉄道に沿って満州を北上し、シベリア奥地のバイカル湖東部を占領し、最終的にバイカル湖西部のイルクーツクにまで侵攻したのです。
日本の降伏にあたり、もしも我々が北海道の半分ですら占領地域を獲得できないとなれば、ロシア人民はひどく腹を立てるでしょう。
私はそれが気がかりです」

これに対し、トルーマンはスターリンにこう答えている。
「一般命令第1号に変更を加え、南樺太と千島列島全域の戦後処分について、あなたが希望するようにマッカーサー元帥の関与から外すことは、やぶさかではありません。
ところで私は、このご要望を容れる代わりに、アメリカの空軍基地を千島列島のどこかに設営させていただきたいと考えるに至りました。
機能としては軍事目的と民間商業目的二つを併せ持つ航空センターであることが望ましく、飛行艇基地も併設できるような場所を、なるべくなら千島列島の真ん中あたりに置かせてもらえれば幸いです。
この提案を受け入れてもらえれば、米ソ両国にとって幸いなことと言えましょう。
本件、具体的な場所の選定など、米ソ二国間による特別代表者作業部会を発足させましょう。
二つ目の北海道に関するあなたの提言は、ロシア革命の際、日本がアメリカを含む連合国の一翼をになってシベリアに出兵したことへの報復を指すものだと理解しました。
さて、ソ連の軍隊が北海道の半分を占領統治する件ですが、以下は私の回答です。
アメリカは日本と戦争状態に入って3年8ヶ月であり、それに引き換え貴国は日本と交戦して6日しかたっていない。
数日前のことですが、貴国のモロトフ外相は『日本の占領にあたり連合国最高司令官がマッカーサー元帥一人というのは残念だ。我が国のワシレンスキー元帥と貴国のマッカーサー元帥という二人制で行きたい』とハリマン駐ソ大使に提案し、同大使からモロトフ外相は『ソ連はまだ二日しか戦っていない。なぜ二人制である必要があるのか?』と尋ねられ、結局、モロトフ外相はこの要求を引っ込めたという報告が届いています。
貴国と日本の交戦期間は2日。
長くて6日である以上、北海道についての回答はすでに出たようなものです。
私は日本をドイツのように分割統治しません」


冷戦構造という温室がなくなり、明らかに別の危機が芽生えつつある。
敗戦時の冷酷な現実を私たちは忘れてはならない。

原爆を落とした男たち(5)

2016-06-28 09:44:42 | 読書
トルーマン大統領がポツダム宣言をラジオ放送せよと命じたのは7月26日午後9時20分。
そして「原爆を投下せよ」という公式命令書はポツダム宣言ラジオ放送前日のことだから、すでに歯車はまわり始めていたことを示している。

8月6日午後7時過ぎ、スターリンは原爆投下に関するトルーマン声明を別荘で読み、怒りを爆発させた。
「原爆は日本に落としたのではない。
ソ連に落としたのだ。
この私の心臓を狙って落としたのだ。
アメリカは私たちが持っていないものを持っているぞ。
そのことを忘れるな」

8月8日午後2時半、トルーマン大統領はモスクワ駐在大使から至急電を受け取った。
ソ連の対日宣戦布告文書だった。
「日本は、ヒトラー・ドイツの潰滅および降伏後において、戦争を継続している唯一の大国となった。
日本は、ポツダム宣言という本年7月26日付けのアメリカ合衆国、大英帝国、および中華民国の3国による日本軍隊の降伏勧告要求を拒否した。
このため、極東戦争に関し、日本政府よりソ連政府に対して行われた調停についての提案はすべての根拠を喪失した。
日本の降伏拒否に鑑み、連合国はソ連政府に対し戦争終結の時期を短縮し、犠牲の数を減縮し、かつ、全世界における速やかな平和の確立に貢献するため、日本侵略者との戦争に参加するよう申し出た。
すべての同盟の義務に忠実なるソ連政府は連合国の提案を受理し、本年7月26日付の連合国宣言に加入した。
このようなソ連政府の政策は、平和の到来を早期化し、今後の犠牲および苦難から諸国民を解放し、かつ、ドイツが体験したような危険と破壊から日本国民を免れさせることを可能とする唯一の方法であろうとソ連政府は思考するものである。
右の次第をもってソ連政府は、明日、すなわち8月9日零時よりソ連邦が日本と戦争状態に入ることを宣言する」

この宣戦布告文書は8月8日午後5時に日本の佐藤大使に手渡された。
ソ連当局は日本との間の通信網を全部遮断したので、大使は本国にソ連の対日宣戦を伝えることができなかった。
東京では9日未明、モスクワ放送によりこのことを知る。
日ソ国境を越え侵入してきたソ連軍に対し、守備にあたっていた日本側兵力104万は大本営方針がなにもないまま放置され、なすすべもなく蹂躙された。
そして、ヨーロッパの場合と同様、侵攻軍の後には賠償回収部隊が続き、日本人のものであろうと満州人のものであろうと、誰彼お構いなく、約20億ドル相当の資産を解体し、抑留者ごと、ごっそりとソ連に運び去った。

原爆を落とした男たち(4)

2016-06-27 07:41:15 | 読書
1945年7月26日/ポツダムに於いて
米・英・中政府首脳の宣言
第1条
我々、すなわちアメリカ合衆国大統領、中華民国総統、大英帝国首相は、何億という連合国国民を代表して会議を開き、日本国に戦争を終える機会を与えることに同意した。
第2条
アメリカ合衆国、大英帝国および中華民国の巨大な陸海空軍は、西方、すなわちヨーロッパから、現在太平洋地域に展開中の陸海空軍の何倍もの増強を得て、日本国に対し最後の鉄槌を下す態勢を整えた。
この軍事力は日本国が抵抗を止めるまで、対日戦争継続の決意に燃える連合諸国の支持と激励を受けている。
第3条
ここに立ち上がった世界の自由な民族を前にして、無益、無意味な抵抗を続けたドイツの結果は、日本国民に対する極めて明白な先例を示すものであり、現在日本国に向けて集中されている力は、全ドイツ国民の土地、産業、生活を徹底的に荒廃に追いやってしまったナチスへの力と比べた時、それは測り知れぬほど強大なものとなっている。
我々は断固たる決意のもとに、この軍事力を最高度に使用する。
その時には、当然、日本国軍隊は完全に潰滅するばかりでなく、日本本土も完膚なきまでに破壊される。
これは明白である。
第4条
今こそ日本国がおのれの進むべき方向を決めるべき時がきたのだ。
すなわち、このまま日本帝国を潰滅の土壇場へ追い込んだ勝手気ままな軍国主義的助言者によって振り回され続ける道を取るか、あるいは理性の道を突き進むべきか。
それを決める時が。
第5条
わが方の条件は次の通りである。
その条件を変更することは無いし、代わるべき条件も認めない。
そして我々は回答の遅延も許さない。
第6条
我々は、日本国民を瞞着し、誤った方向に導き、世界征服へと使嗾した日本の社会的指導層の影響力は永久に除去されねばならないと考える。
また、無責任な軍国主義の輩が世界中から駆逐されてしまうまでは、正義に基づく平和と安全の新秩序がこの世に現れることはないと考える。
第7条
このような新秩序が建設され、かつ、日本国の戦争遂行能力が破壊されたと確証が取れるまで、連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は、我々が示す基本的目的の達成を確認するため占領する。
第8条
カイロ宣言の条項は履行される。
また、日本国の主権は本州、北海道、九州、四国ならびに我々の決定する諸小島に制限される。
第9条
日本国軍隊は完全に武装解除された後、それを構成した兵員はそれぞれの郷里に帰り、平和的かつ生産的な生活を営む機会を与えられる。
第10条
我々は日本国民を民族として奴隷化したり、国家として滅亡させようという意図は持たない。
しかし、我々の戦時俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳格な処罰を加える。
日本国政府は日本国民の民主主義的傾向の復活と強化に対し、すべての障害を除去せねばならないし、かつ、言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重を確立せねばならない。
第11条
日本国はその経済を支え、かつ、公正な現物賠償の取り立てが可能となる産業を維持することが許される。
ただし、日本国に再軍備をもたらすような産業は許されない。
再軍備に直結しない産業目的のための原料の入手は許されるが、原料の統制管轄は許されない。
日本国は将来、最終的には世界貿易への参加が許される。
第12条
以上の目的が達成され、かつ、日本国民が自由に表明した意思に従って、平和的傾向を持つ責任ある政府が樹立されれば、連合国占領軍はただちに日本国より撤収する。
第13条
我々は日本国政府がただちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、現実に政府の誠意を示す申し分ない保障を示すために、しかるべき適切な行動にでることを要求する。
もしも日本国がポツダム宣言に変わる代替案を求めようとするならば、迅速にして完全な日本国の潰滅を招来するだけである。

これが7月26日にラジオを使って全世界に広まった「ポツダム宣言」であった。
私たちは「ポツダム宣言」と聞くと、単に「無条件降伏」と理解するが、実は13条にも及ぶ「有条件降伏」である。

27日朝7時、この「ポツダム宣言」を受信した外務省は、東郷外相と打ち合わせに入った。
外務省職員のなかには「国民には隠すことなく宣言の全文を読ませ、すぐに受諾に向かうべきだ」との意見もあったが、東郷外相はソ連の仲介に期待して閣議で次のように進めた。
1、新聞ラジオへの発表指導
2、国民の戦意を低下させる可能性が高い文言は削除
3、政府公式見解は発表しない
4、新聞はこの記事をなるべく小さく扱い、論調を下げる
5、あくまで新聞社側の意見として、政府はポツダム宣言に沈黙を維持するらしいと付加することを認める
しかし翌28日土曜日の朝刊では各社そろってポツダム宣言を大きく報じた。
宣言そのものは当局からのニュース・ソースに沿ったものであったが、記者団のぶら下がりに応じた鈴木貫太郎首相の「黙殺」という言葉に反応したのである。
すぐに黙殺は「無視する」と英訳され連合国に伝わった。




原爆を落とした男たち(3)

2016-06-26 09:06:21 | 読書
4月29日、カゼルタ宮殿で行われたドイツの降伏調印は、ヒトラー総統およびその他政府要人が知らないうちに進められた。

4月30日、午後3時30分、ヒトラーは日の光がまったく遮断された湿度の高い不衛生な地下壕奥で自殺した。
29日に行われた降伏調印を最後まで知らぬまま、シアン化水素カプセルをかみ砕くと同時にワルサー拳銃弾を右のこめかみに撃ち込み、その後、赤軍の砲弾が炸裂する総統官邸の中庭に運ばれ、180リットルという大量ガソリンを使って焼却された。

ヒトラーの背中を自殺に向かって強く押したものはムッソリーニだった。
4月30日午前10時30分、総統地下壕の通信室は「2日前にムッソリーニが処刑され、ミラノのドゥオモから北東3キロの場所にあるロレート広場のガソリンスタンドにその死体が逆さ吊りにされ、民衆はこれを殴打し、投石し、遺体を汚した」という短波ラジオ放送をキャッチした。
された家畜のように逆さ吊りにされたムッソリーニの最後を聞いてヒトラーは非常にショックを受け、これが自殺動機のかなりの部分を占めることになったという。

5月2日水曜日、ベルリンは無条件降伏の瞬間を迎える。
例外的な抵抗を除いてベルリンは無条件降伏した。
そしてここから凄絶な赤軍の掠奪、殺戮、放火、加えて、後々、恐怖のロシア人という根深いトラウマとなってドイツ人の心に刻み込まれる大強姦が始まった。
ベルリンが無条件降伏した時、そこには140万人の女性がいて、このうち65%(91万人)が強姦の被害に遭遇した。
これ以外に東方から強制追放されたドイツ人は1200万人。
この内、200万人が逃避行中に死亡し、当然、強姦被害もベルリン同様の状態になった。
強姦は、考えうるすべての場所で、子供や家族が居ようと居なかろうと、まったくお構いなしに、公然と行われている。