忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

対話とナラティブ・アプローチ⑤

2020-10-30 16:31:09 | 読書

互いに「私とそれ」の道具的関係だけであっては、対話はできない。
「私とあなた」であるはずの組織メンバーを道具として「私とそれ」の関係性のみで用いようとすれば、どこかに現場をうまく動かす方法がないかと思案を繰り返すことになる。
そして現場は、その結果として、道具として経営陣を見ることになる。
面従腹背や仕事に対する低いモチベーション、足を引っ張る文化などはこうして生み出される。
常に「私とあなた」でいる必要はないが、とりわけ実行が重要なフェーズでは、道具としての関係性はとても重要になってくる。
しかし、その道具的な関係性の中で何かうまくいっていないことがあったときには、対話を実践することが必要になる。

他者との間に生ずる適応課題の背後には、「私たちは見えていないことが何かが見えていない」、「わかっていないことが何かがわかっていない」という根本的問題が潜んでいる。
どんなに目を凝らしても、私たちは自分のナラティブのために「見えていないこと」がある。
それだけに、自分のナラティブからは見えていないものを見ようとすることは、新たな関係性を構築していこうとするうえで根本的に重要だ。
「見えていないものを見よ」、対話の実践はそこにあり、自分を助けることになる。
違和感や苛立ち、居心地の悪さは、今の自分のナラティブに何らかの限界があることを知らせるサインである。
私たちはお互いに理解しあえない苦しみ、他者に見せられない痛み、そしてそれを語ることのできない寂しさを抱えて生きている。
だからこそ…
私たちが自らの痛みや苦しみ・違和感をないものとせず、それらの痛みに向き合って「対話」し、社会のなかで新たな信頼関係、絆、そして連帯を築いていければと思う。


対話とナラティブ・アプローチ④

2020-10-27 20:51:00 | 読書

話しが通じない場面に直面した場合、いったん自分のナラティブを脇に置いてみるという、「対話」するための準備が大事だ。
一度、引いた目で周りを見渡してみて初めて、わかり合えない人々との間に、大きな溝があることに気づく。

準備段階で、自分と相手のナラティブには隔たりがあることがわかる。
向こう岸にいる相手が、いったいどんな環境、職業倫理などの枠組みのなかで生きているのか、そのナラティブをよく知ろうとするのが次の段階だ。
じっくりと相手や相手の周囲を観察してみる。

観察することで、相手のナラティブを把握できれば、自分の言っていること、やろうとしていることが、相手にとって意味あるものとして受け入れられるために必要なポイントが見えてくるはずだ。
相手のナラティブの中に立って見て自分を眺めると、どう見えるかを知ることができる。
解釈の段階は、橋を架けるために、どこにどんな橋を架けるべきか設計をする。
この解釈のプロセスは、信頼のおける仲間や相棒と一緒にやるとよい。
意外な発見や道筋が見えてくるかもしれない。
さらに最低限、自分の頭の中だけで考えず、一度書き出すなどして、客観的に眺められるようにすることが大切だ。

実際に行動をすることで、橋(新しい関係性)を築くのが介入の段階だ。
今まで相手のことをよく調べて考えてきたので、ここでは具体的に行動に移してみる。
実際に行動してみて、うまく橋が架かることもあれば、架からないこともある。
橋の具合を冷静に見て、うまくいっていない個所が見つかったら、もう一度、観察のステップに戻ってみる。
これをくり返して、徐々に頑丈な橋を架けていく。

(つづく)


対話とナラティブ・アプローチ③

2020-10-25 10:04:09 | 読書

社会で働く中で、私たちは気がつかないうちに「私とそれ」の関係性を相手との間に構築していることがよくある。
うまくいっているならば、無理にそれを変える必要はないが、そこから何か想定外の問題が生じたときなどは、その関係性を改める必要がある。

その一歩目として、相手を変えるのではなく、こちら側が少し変わる必要がある。
そうでないと、そもそも背後にある問題に気がつけず、新しい関係性を構築できないからだ。
背後にある問題とは何か、それが「ナラティブ」だ。
ナラティブとは物語、つまりその語りを生み出す「解釈の枠組み」のことである。
“こうあるべきだ”と頑なに考えている、その人個有の価値観ともいえるかもしれないし、組織や国家的風土かもしれない。
つまりナラティブとは、視点の違いにとどまらず、その人たちが置かれている環境における「一般常識」のようなものだ。

「対話」に取り組むことによってこそ、互いの「ナラティブ」の溝に向き合いながら、お手上げに思えるような厄介な状況も乗り越えていくことができる。
対話のプロセスは「溝に橋を架ける」という行為になぞらえることができる。
この「溝に橋を架ける」ためのプロセスを、大きく4つに分けることができる。

  1. 準備「溝に気づく」
    相手と自分のナラティブに溝があることに気づく
  2. 観察「溝の向こうを眺める」
    相手の言動や状況を見聞きし、溝の位置や相手のナラティブを探る
  3. 解釈「溝を渡り橋を設計する」
    溝を飛び越えて、橋が架けられそうな場所や架け方を探る
  4. 介入「溝に橋を架ける」
    実際に行動することで、橋(新しい関係性)を築く

(つづく)


対話とナラティブ・アプローチ②

2020-10-24 12:58:08 | 読書

哲学者のマルティン・ブーバーは、「対話」の重要な概念である人間同士の関係性を大きく二つに分類した。

ひとつは「私とそれ」の関係性である。
向き合う相手を自分の「道具」のようにとらえる関係性だ。
私情は抜きにして、立場や役割によって道具的に振る舞う。
人間性とは別のところで道具としての効率性を重視した関係を築くことで、スムーズな組織の運営や仕事の連携ができることになる。
ビジネスにおいて、このような関係はよくあることだ。

もうひとつは「私とあなた」の関係性だ。
相手の存在が代わりが利かないものであり、もしかしたら相手が私であったかもしれない、と思えるような関係のことだ。
ビジネスにおいても、優れたチーム、困難な問題に挑むチームには、上司と部下という公式的な関係を超えたまとまりを感ずることがある。
権限や立場と関係なく誰にでも、自分の中に相手を見出すこと、相手の中に自分を見出すことで、双方向にお互いを受け入れあっていくことができる。
組織の抱える根本的な問題は、技法や技量だけでは解決できないことが多い。
それはそれらの多くが、人と人、組織と組織の「関係性」のなかで生じている問題だからだ。

(つづく)


対話とナラティブ・アプローチ①

2020-10-23 10:35:13 | 読書

そもそも「対話」とはなにか。
なぜ、会話と言わずに対話というのだろうか。

「対話」と「会話」の違いはどこにあるのだろう。
人数なのかといえばそうではない。
ふたりの会話もあれば、ふたりの対話もある。

対話と会話の違いを理解する鍵は「意味」にある。
会話していて、コミュニケーションが、かみ合わないときは、必ず何かしらの意味のズレが生じている。
対話は、この意味のズレをすり合わせ、共有していくためのプロセスを指す。
自分の気持ちが伝わらないな…と思ったときは対話の出番である。
まずは、お互いが持っている意味の違いを確認し、違いをどう埋めていけばいいのかを共に考えていく。
同じ状況を共有していても「意味」は十人十色であることを知ろう。

「対話」とは、ひと言でいうと「新しい関係性を構築すること」だ。
分からないことを分かるようにすること、意味の違いを確認し理解していくことで、関係性の変化が始まる。
新しい関係性を築いていくことは少し手間がかかることだが、ノウハウやスキルで一方的に解決ができない問題や、向き合うのが難しい問題を解くためには必要な手間である。

組織とはそもそも「関係性」である。
組織の中での関係性をつくったり、変えたりしていくための実践が「対話」である。
組織に問題があることはみなわかっている。
けれど、どう向き合えばよいのかよくわからない、なんて経験は誰にもあると思う。
どうやったら私たちはよりよい組織、社会をつくることができるのだろう。
まずは、お互いにわかり合えていないことを認めることから始めたい。
それがいい対話を実践するための前提条件だ。

(つづく)

参考図書:他者と働く