忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

スターリン秘史(8)

2016-08-01 08:18:02 | 読書
英仏ソ3国交渉とは何だったか

独ソ接近の交渉は水面下でおこなわれましたが、並行して、イギリス、フランス両国とソ連政府とのあいだでは、表舞台での交渉が展開されていました。
問題はポーランドでした。
ヒトラーは、チェコスロバキア占領を強行した後、次の目標がポーランドにあることを公然とあきらかにしたのです。
イギリス、フランスは、これにたいして、ポーランドの防衛を大義名分として、対ヒトラー戦線にソ連を巻き込もうとする外交工作を開始しました。
しかし、イギリスやフランスが出してくる提案には、奇妙な特徴がありました。

ドイツが戦争を決意したら、ポーランドの西側国境を突破して攻め込んでくるでしょう。
その時、戦線とは反対側にいるイギリスやフランスは、どんな軍事態勢を準備しており、どういう軍事行動をもってポーランド防衛戦に参加しようというのか、両国のどの提案も、この問題には沈黙を守っていました。
ソ連はポーランドの東側に位置する地続きの国ですから、ドイツの攻撃があったら、応援にかけつけて、防衛戦に参加することができます。
ところが、ポーランドは反共産主義を国是とする名うての反共国家です。
ポーランド防衛の集団安全保障が問題になってくると、ポーランド政府は、ソ連が参加する安全保障には参加しない、という声明を発表しました。
この問題は、英仏ソ3国の協議の前途に、最初から暗い影を落としていました。

スターリンにとって、対ドイツ接近政策の成否はまだ明らかではありませんでしたが、ドイツとの事実上の同盟を、可能な、そして最も有力な選択肢として意図的に追求しながら、英仏ソの交渉を巧みに長引かせていました。
そして、対ドイツ関係の打開の展望が見えてきた段階になって以後は、モスクワで公然と展開されている英仏ソ交渉には、水面下のドイツとの交渉を世界の目からかくす絶好の衝立の役割もあたえられました。