忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

スターリン秘史(4)

2016-07-28 08:24:10 | 読書
スターリンは「大テロル」で何を目的としたのか

スターリンは、35年から38年、さらにはそれ以後にも及ぶ「大テロル」の蛮行を、いったい何を目的として強行したのか。
スターリンが、本気で「反革命」を恐れて、その猜疑心から無実の人々を抹殺したのか。

問題になった「反革命陰謀」のすべてのシナリオはスターリンが作成したもので、そのシナリオによってNKVD(内務人民委員部)を踊らせたのがスターリンであったという事実が明らかになった現在では、この仮説が成り立たないことはあまりにも明らかです。

私(不破哲三)は、「大テロル」の以前の時期と「大テロル」以後の時期で、ソ連の政治体制とコミンテルンの指導体制のどこが変わったのか、を見れば、そこに答えがある、と考えます。
そこには、「大テロル」を通じてスターリンが獲得した成果が、現実の具体的な姿で現れているからです。
いったい、そこには何があったでしょうか。
答えは、スターリン専決の専制的な独裁体制が確立したことです。

もっとも典型的な出来事は、「大テロル」終結のすぐあと、1939年8月に起きたソ連とヒトラー・ドイツとの不可侵条約の締結です。
これは、1935年以来、ソ連とコミンテルンがともに掲げてきた「反ファシズム」の旗を捨て、ヒトラー・ドイツとの政治的提携に旗印を変える大転換、180度の方向転換といってもよいものでした。
ところが、スターリンは、ソ連国内では、党レベルでは政治局の会議も、政府レベルでは人民委員会議も開かずに、独断でこの条約の調印をおこないました。
コミンテルンは、執行委員会どころか幹部会を開く間もなしに、この既成事実を押しつけられ、「反ファシズム」の旗を捨てさせられました。

スターリンの政策と行動のなかに、個人専決の専制独裁政治の追求と並行して、領土拡張の覇権主義が強まりつつあったことは明らかです。
この時点ですでにヒトラー・ドイツとの勢力圏分割協定のことまで頭にいれていたかは定かではありませんが…。


大テロルとは
レーニンの死後、1930年代に行われたスターリンによる大粛清。
一般党員や民衆にまで及んだ悪名高き政治弾圧のことである。
最盛期であった1937年から1938年までに、135万人余りが即決裁判で有罪に処され、半数強の68万人が死刑判決を受け、64万人が強制収容所や刑務所へ送られた。