「ノマドランド」
今年のアカデミー賞レース大本命と呼び声高い一作。既に第77回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞受賞。おめでとーございます!
主演はオスカー女優フランシス・マクドーマンド。
本作はジェシカ・ブルーダーのノンフィクション小説「ノマド: 漂流する高齢労働者たち」の実写映画化、という体の半ドキュメンタリー的構成。
…と勝手に書きましたが原作未読なので本作とどれくらい内容が乖離しているのかは全く分かりません。サーセン適当な事書きましたー(あははははー
あらすじ
アメリカ・ネバダ州に暮らす60代の女性ファーン(フランシス・マクドーマンド)は、リーマンショックによる企業の倒産で住み慣れた家を失ってしまう。彼女はキャンピングカーに荷物を積み込み、車上生活をしながら過酷な季節労働の現場を渡り歩くことを余儀なくされる。現代の「ノマド(遊牧民)」として一日一日を必死に乗り越え、その過程で出会うノマドたちと苦楽を共にし、ファーンは広大な西部をさすらう。(Yahoo!Movieから丸パク)
何故↑先程「半ドキュメンタリー的構成」と書いたかと言うと、これは本作を最後のスタッフロールまでちゃんと観た人なら全員思う事だろうと思ったので。
本作に出演している方々が主人公のファーンを演じたフランシス・マクドーマンドとファーンに好意を寄せるデヴィッドを演じたデヴィッド・ストラザーン(まあ、役名と名前結局一緒だけどなw)以外の出演者がほぼ全員ガチの「ノマド」の方々(役名と実名が一緒)、要するに完全なド素人さん達にありのまま出演してもらっているそうで。
だから彼らの生き方だったり考え方だったりをそのまま語って貰ってるらしい。その上で彼らの生活圏にフランシス・マクドーマンドさんらを入れ込んで、彼らと同じような境遇で生活して貰って自然に溶け込ませて会話して貰ったり仕事もさせて撮影したんだそうだ。
要するにフランシス・マクドーマンド女史の「ガチ☆ノマド生活体験ドキュメンタリー」な仕様。
日本ではこういう生活スタイルの高齢者の存在は聞いた事がないのですが、現在アメリカには「キャンピングカーで移動生活をする高齢者」というのが結構な数居るそうだ。
日本にも家を持たずに生きている、所謂「ホームレス」はかなりの数いるけど、敢えて家を持たずにキャンピングカーで移動しながら行った先々で季節労働や期間労働をしながら生活費を稼いで生きていく、というスタイルはまだ日本では確立されていないと思う。
勿論彼らだって全員が敢えて望んで移動生活をしている人達ばかりではなく、それこそリーマンショックの際に自宅ローンが払えずに手放さざるを得ず仕事も失いキャンピングカー生活をするしかなくなってしまったという高齢者も多くいらっしゃるようですが…
本作を観ていて、もしかしたら今後日本でも本作と同じような「ノマド高齢者」というのが誕生するのではないか?とチラリと頭をかすめましたね。
で、本作はフランシス・マクドーマンドさん演じる「ファーン」にスポットを当てて彼女の生き様を淡々と追いかける形で映像化しているのですが。
正直に言って彼女の生き方(総じて本作に出演しているリアルノマドの方々)には全く共感も憧れも抱けなかった。
変な話、こういう人々にスポットを当てる作品を作る場合、フツーだったら「こういう生き方もあるんだねー。なんかこういうのってカッコイイな!憧れちゃった♪」と大多数の人が思えるようなあざとい演出や敢えてのハートフルなイベントを盛りに盛って来るんじゃないかと思うんだけど、本作めっちゃフラットで淡々としてるw
この言い方がいいのか悪いのかよく分かんないけど、「敢えて【ノマドの人々】を特に持ち上げたり担ぎ上げたりはしていない、あくまでも【素】の感じ」な作り。
で、その「素な感じのノマドの人々の【老後】を観てみて、全く憧れないしこんな老後はイヤだなーとしか思えなかった」というのが自分の正直な感触だったりするw
劇中のファーンは思いを寄せてくれた男性に同居を打診されたり、実姉からも一緒に住もうと誘われているもののそれをことごとく断って敢えての1人移動生活を続けていくという選択をするんだけど、でも彼女だって本当は選んで移動生活者になった訳ではない。
病で喪った夫の事をとても愛していて、夫との思い出から抜け出せずにいる…正に「魂の漂流者」だったのだ。とても切ない。
彼女には子供がいなかったのかな?(劇中子供や孫は登場しない)夫に先立たれた彼女は企業城下町だった片田舎の街に夫の死後も留まって街が閉鎖されるギリギリまで夫のいなくなった家に1人で暮らしていたのだ。映画最後にも再び夫を看取ったあの街の「裏庭から延々つづく砂漠」が見渡せるあの家に戻ってくる。
あのデッキから砂漠を見渡して何を思うのか…失った過去に囚われて生きていく魂に救済はあるのか?その答えは本作では明らかにはならないけど、
本作を観て強く思った。「絶対に旦那よりも先に死にたい」と。歳食って連れ合いに先立たれて独りぼっちになるのって恐怖でしかない。
…あーでも、お金がふんだんにある高齢者だったらこんな事にはならないのか。旦那の生命保険の契約内容もう一度確認しておくかー(ヲイ
今年のアカデミー賞レース大本命と呼び声高い一作。既に第77回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞受賞。おめでとーございます!
主演はオスカー女優フランシス・マクドーマンド。
本作はジェシカ・ブルーダーのノンフィクション小説「ノマド: 漂流する高齢労働者たち」の実写映画化、という体の半ドキュメンタリー的構成。
…と勝手に書きましたが原作未読なので本作とどれくらい内容が乖離しているのかは全く分かりません。サーセン適当な事書きましたー(あははははー
あらすじ
アメリカ・ネバダ州に暮らす60代の女性ファーン(フランシス・マクドーマンド)は、リーマンショックによる企業の倒産で住み慣れた家を失ってしまう。彼女はキャンピングカーに荷物を積み込み、車上生活をしながら過酷な季節労働の現場を渡り歩くことを余儀なくされる。現代の「ノマド(遊牧民)」として一日一日を必死に乗り越え、その過程で出会うノマドたちと苦楽を共にし、ファーンは広大な西部をさすらう。(Yahoo!Movieから丸パク)
何故↑先程「半ドキュメンタリー的構成」と書いたかと言うと、これは本作を最後のスタッフロールまでちゃんと観た人なら全員思う事だろうと思ったので。
本作に出演している方々が主人公のファーンを演じたフランシス・マクドーマンドとファーンに好意を寄せるデヴィッドを演じたデヴィッド・ストラザーン(まあ、役名と名前結局一緒だけどなw)以外の出演者がほぼ全員ガチの「ノマド」の方々(役名と実名が一緒)、要するに完全なド素人さん達にありのまま出演してもらっているそうで。
だから彼らの生き方だったり考え方だったりをそのまま語って貰ってるらしい。その上で彼らの生活圏にフランシス・マクドーマンドさんらを入れ込んで、彼らと同じような境遇で生活して貰って自然に溶け込ませて会話して貰ったり仕事もさせて撮影したんだそうだ。
要するにフランシス・マクドーマンド女史の「ガチ☆ノマド生活体験ドキュメンタリー」な仕様。
日本ではこういう生活スタイルの高齢者の存在は聞いた事がないのですが、現在アメリカには「キャンピングカーで移動生活をする高齢者」というのが結構な数居るそうだ。
日本にも家を持たずに生きている、所謂「ホームレス」はかなりの数いるけど、敢えて家を持たずにキャンピングカーで移動しながら行った先々で季節労働や期間労働をしながら生活費を稼いで生きていく、というスタイルはまだ日本では確立されていないと思う。
勿論彼らだって全員が敢えて望んで移動生活をしている人達ばかりではなく、それこそリーマンショックの際に自宅ローンが払えずに手放さざるを得ず仕事も失いキャンピングカー生活をするしかなくなってしまったという高齢者も多くいらっしゃるようですが…
本作を観ていて、もしかしたら今後日本でも本作と同じような「ノマド高齢者」というのが誕生するのではないか?とチラリと頭をかすめましたね。
で、本作はフランシス・マクドーマンドさん演じる「ファーン」にスポットを当てて彼女の生き様を淡々と追いかける形で映像化しているのですが。
正直に言って彼女の生き方(総じて本作に出演しているリアルノマドの方々)には全く共感も憧れも抱けなかった。
変な話、こういう人々にスポットを当てる作品を作る場合、フツーだったら「こういう生き方もあるんだねー。なんかこういうのってカッコイイな!憧れちゃった♪」と大多数の人が思えるようなあざとい演出や敢えてのハートフルなイベントを盛りに盛って来るんじゃないかと思うんだけど、本作めっちゃフラットで淡々としてるw
この言い方がいいのか悪いのかよく分かんないけど、「敢えて【ノマドの人々】を特に持ち上げたり担ぎ上げたりはしていない、あくまでも【素】の感じ」な作り。
で、その「素な感じのノマドの人々の【老後】を観てみて、全く憧れないしこんな老後はイヤだなーとしか思えなかった」というのが自分の正直な感触だったりするw
劇中のファーンは思いを寄せてくれた男性に同居を打診されたり、実姉からも一緒に住もうと誘われているもののそれをことごとく断って敢えての1人移動生活を続けていくという選択をするんだけど、でも彼女だって本当は選んで移動生活者になった訳ではない。
病で喪った夫の事をとても愛していて、夫との思い出から抜け出せずにいる…正に「魂の漂流者」だったのだ。とても切ない。
彼女には子供がいなかったのかな?(劇中子供や孫は登場しない)夫に先立たれた彼女は企業城下町だった片田舎の街に夫の死後も留まって街が閉鎖されるギリギリまで夫のいなくなった家に1人で暮らしていたのだ。映画最後にも再び夫を看取ったあの街の「裏庭から延々つづく砂漠」が見渡せるあの家に戻ってくる。
あのデッキから砂漠を見渡して何を思うのか…失った過去に囚われて生きていく魂に救済はあるのか?その答えは本作では明らかにはならないけど、
本作を観て強く思った。「絶対に旦那よりも先に死にたい」と。歳食って連れ合いに先立たれて独りぼっちになるのって恐怖でしかない。
…あーでも、お金がふんだんにある高齢者だったらこんな事にはならないのか。旦那の生命保険の契約内容もう一度確認しておくかー(ヲイ