さらさら

なーんにもない、平凡な日常です。

*業者さんや、日記内容に関係のないトラックバックはご遠慮ください

目が しょぼしょぼ する

2008年06月23日 12時02分19秒 | 日常のつぶやき
今日は体調が良かったら、遠出できるかなと思っていた。


しかし駄目だった。
朝起きた時から目が腫れていて、ショボショボする。
目をしっかり開けているのが辛い。

なぜか。
それは真夜中の




夫婦喧嘩





夫婦喧嘩で大泣き(笑)
寝不足な上に泣きすぎて、それはもーぉひどい顔になっている。

ただ昨日の掃除の砂は、涙と共に出きったかな(笑)
目はきちんと洗ったのだが、こすると砂が手についてきていたのだ。

というわけで(笑)
喧嘩は終了したが翌朝の




ひどい顔のできあがり




あ~ 早く家を出れば知人とランチができるかもと思っていたのに。
結局私は




目を見開いて(恐いってば)




地元のスーパーに買い物に行ったのだった。
そして今、ショボショボしながら




390円の 「のり弁」 




を一人寂しく食べている。
悲しい悲しすぎる。
私は自分をなぐさめる為に210円の切花(カーネーション)も買った。

少し気分は上昇すると思われたが、お弁当を食べていて




シャケしょっぱいよ ・・・ しょっぱいよ、シャケ。




こんな時はどんな理由だって泣けるものだ。


しくしく。  

階段掃除

2008年06月22日 23時03分40秒 | 日常のつぶやき
今日は階段掃除をした。


最上階から1階まで箒ではいたのだが・・・。
マスクをしたのに、砂だらけになった(泣)

本来なら自分の家の玄関前、上下の階段のみをやるのだが、最近は単身赴任の方や独身
男性が結構多くなってきた。
だから、



どうせ やらないだろう(笑)


と思って一気にやったのだ。
まあ働いているし、疲れているだろうし玄関前が汚いのは何だか可哀想だ。
・・・という私のほんのちょっとの



優しさだ



そう、たまに優しくなる時があるんです(笑)

眼鏡をかけてマスクをしたのだが失敗した。
マスクは布にすれば良かった。

使ったのは使い捨ての箱入りのマスク。
ちゃんと顔の形に合わせれば良かったのだが、上手くいかなかったようだ。
耳も目も鼻も喉も・・・



砂だらけじゃ~



ということで、家に帰って


目を洗い、耳の中を綿棒でチェックし、うがいをする。
驚いたのは







汚くてすみません。
これ以上は書きませぬ。


鼻と喉の調子がずっと良くないので、入浴時に 「鼻うがい」 をやってみた。
鼻から



お湯で溶いてある生理用食塩



を入れると、お湯が口から出るというものらしい。
やってみたが・・・



口から出てこんぞ(笑)



おいおい



お湯



どこに行きましたか?



もう片方の鼻から少し 「こんにちは」 しましたが



他のお湯は・・・



ドコ デスカー?



・・・まさか耳に行ってないだろうな(泣)と心配になる。 




2005’ ストーブは命なんです

2008年06月21日 14時55分23秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

北海道のストーブは高い


と思った。
普通のファンヒーターでは無いし、灯油を使うけれど煙突が付いている。
そして横に大きくて15畳用や20畳用があって、価格は6万も7万もする。

灯油のタンク は内臓では無くて、外に置く別タンクだ。
そこから壁の穴を通っているホースで部屋の中のストーブに灯油を送り込んでいる。


そのストーブの調子が悪くて、急に止まってしまった。


おーい、待ってくれ(汗)


今、外は氷点下だ。
なのにストーブが壊れたら、私は凍死してしまう。

多分、ポンプの調子が悪いと思うのだ。
外の灯油を送るホースが詰まっているか、空気でも入ったか。


どうでもいいけど、寒いです(涙)


スイッチを入れても、


ぽん ぽん ぽん ぽん ぽん ぽん ぽん ぽん ・・・


って (桃太郎侍みたいだ・・・)  
音が続いてその後、自動的に消火になってしまう。
昼間はまだいいけれど、夕方になったら凍えてしまうぞ。

こたつ はどこかにあったと思うけれど出していない。
ここでは皆、こたつは使わないみたいだ。
ストーブ一台で暖かいから。

だからこんな時は困る。
さてさて、どうしよう。

夕方になったら主人が帰る迄、スーパーにでも逃げ込もうか。
いや、ずっと夜中スーパーで買い物している訳にも行かない。


私はあせって部屋の押入れをあちこち見る。
すると、何と押入れに


セラミックヒーター (じゃーーーーーーーん!)


なる物が有るではないか!?
・・・うちの押入れは ドラえもんのポケット か。

これは主人が独身の頃に本州で使っていた物かな?
私は今迄見た事は無かった気がする。
でも、これは助かった・・・。

部屋は暖まらなくても側に置いて点ければ、私自身は暖かい。
しばらくこれで過ごす事にしよう(涙)


私は喜んでヒーターを点ける(喜)
すると、


バ チ ー ン!


突然部屋の電気が消えた・・・。


あれ?


コレハ ナーンデスカー? (なぜか外国人口調)


もしかして、これが ブレーカー落ちたよ と言う事だろうか。
自慢では無いが、と言うかお恥ずかしながら私はブレーカーが落ちて
それを直した経験がない。

暗闇の中、私はあせる。
非常用の懐中電灯 が有るはずなのに、 どこに置いたっけ? とあせる。
仕方が無いので 携帯の薄い明かり を、頼みにしてブレーカーを探す。
確か玄関に有ったような・・・ あれかなー?

んー・・・ 前に そういう時はスイッチを上げるだけ と聞いた気がする。
しかしスイッチが沢山有って、わからないではないか(汗)

よく考えたら全部その場で上げればいいのだ。
なのにその時の私はまるで、


赤と白の線を間違って切ったら 爆発 する


並にブレーカーのスイッチを恐れていたのだった。
更にブレーカーの位置が上過ぎて、私の身長では届かないではないか(涙)


部屋に戻り考える。
前に買っていた ? マークみたいな肩のツボを押す棒があったはず。
それを思い出して棒を探す。


あった!(喜)


私はスイッチを全部あげてみる。


あああ、点いたよ 点いたよ(涙)


そうして私は何とか暖まる事が出来たのだった。


そしてその頃。
仕事中だと言うのに可哀想に、私から何通もメールをもらった主人は・・・。


爆笑


していたらしい。
なぜ笑うのだ(笑)

私が主人に送ったメールは3通。


「ストーブが壊れました」


「押入れでセラミックファンヒーターを見つけました。これ、使えるかなあ?」


「えーと、ブレーカーはどこですか?」


この3行で、


私が あせりながら解決しようと動き回り


私が 涙目のところにヒーターを見つけ喜び


私が それはもう、大喜びでスイッチを入れた途端にブレーカーが落ちた


事を簡単に想像出来て、爆笑したのだった。 


2006’ 今回は間違いなく インフルエンザ

2008年06月21日 13時46分38秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

熱は二日で下がったのに、たった二日間で 体力がすごく落ちた 感じがした。

後にひくのだ。
これがインフルエンザなのだな と思った。

お年を召した方にはすごく辛いだろうとも思った。
老人には危険 だと言うのがよくわかる。


話が戻るが今回、私は病院に行った。
ただ、婦人科に通院していたので内科ではなくて 婦人科 に行ったのだ。
さすがに熱が9度を越えてヤバイと思ったので、薬を飲んでもいいか病院に
電話をして聞く事にした。

たまたま私の担当の先生が当直だったようで、内科ではなくて婦人科に来なさいと
言って頂いた。

当日は 産婦人科で妊婦さん達に移したら えらいこっちゃ なので、私はマスクを
していつもの待合場所とは思いっきり離れた所に座った。
病院も事前に状況がわかっていたので、私は受付後すぐに呼んでもらう事が出来た。

電話をした時は熱が9度だったのに、翌日病院では7度4分。
それでも検査をしてみようと言う事になった。

きっとインフルエンザだろうと病院に行ったのに、検査を


「やってみる?」


と言うのがまたおもしろい(笑)
私がこれまで


インフルエンザにかかった事が無い


と言うので、先生と看護師さんが 一芝居うってきた(おい)
先生が目を伏せて言う。


先生 「ちょっとこれは痛くて苦しい検査なんだよね・・・」


私  (ごくり・・・)


看護師さん 「ああ、先生もやりましたよね」


ええええええええええええええええ?! (滝汗)


そんな そんな そんな・・・ (ぶるぶるぶる)


血液取るんじゃないの?  ねえ、違うの?(涙)


先生 「そうそう、私は去年、予防接種をしながらインフルエンザにかかりました」


そう、肩を落とす先生。


意 味 な い じゃ ー ー ー ー ん !


なんて言いたくても、今は言っている時じゃない。
何やら検査の棒を取り出す看護師さん。
綿棒? みたいなそれは 12、3cm以上 は有るだろう。

これを突っ込むのだと言う。


ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~ (号泣)


先生 & 看護師さん 「覚悟を・・・」


ってアンタ達、一体私に何を・・・。
もうどうしようも無いので、私は覚悟を決めて目をつぶる。
そして座ったまま上を向く。

綿棒を 鼻から入れる と言う。
あの長い棒が全部入るのかと驚愕する。
そんなのは


鼻カメラ


以来だ。
それでも痛かったら嫌なので、私は体の力を抜き


鼻を心持ち広げる


いよいよ、棒が入る・・・ 私は構える。


右の鼻の粘膜をちょちょ


左の鼻の粘膜をちょちょ


え? 


終わりっすか?


私は貯め込んだ恐怖をどこに持って行っていいのかわからずに、二人に


ヴヴヴヴヴェ~?


と訳のわからない言葉を発する。
先生は真面目な顔をして、


先生 「脅しておかないとね、一応」


と言う、訳のわからない事を(涙)


そこから早く帰りたいのに、検査結果がわかるまで1時間位かかると言うので
私は外に出て時間をつぶす。
体はしんどいのに、病院でじっとしているのは苦痛だ。
だから病院の回りを散歩する・・・ と言う訳のわからない行動をとる。


結果、インフルエンザ。


流行りのA型が出ました~。


2006’ 初めてのインフルエンザ

2008年06月21日 13時25分19秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

うふっ♪(涙)


まあインフルエンザは多分、初めてではないのだろう。
3~4年に一回、高熱を伴う風邪は昔からひいていた。
でもその時は3日寝込もうと、私は医者には行かなかったのだ。

今思うと、それはインフルエンザではなかったのだろうか・・・。

今回。
どう考えてもひきこもり気味の私の行動範囲は狭い。
狭すぎる。
人とあまり接していない。

高熱を出す前日。
私が地面の氷を割っていたのを手伝ってくれた奥さん。
こちらは1M以内に近づいていないと思う。

そして日用品チェーン店。
店内はガラガラで人と接したのはレジのみ。

そうすると、そうすると。
あと思い当たるのは


病院


のみ。
私は何と、 病院からインフルエンザをもらって来ると言う・・・ あほな事を
したのではないだろうか。

主人から、 マスクをした方がいいよ と言う、ありがたいアドバイスを
受けていながら。
使い捨てマスクを箱で買っておきながら。


そう! 何もせずに病院に行きましたとさっ。


あああああ。
ほんとにあほだ。
待合室でゲホゲホと咳き込んでいる人が一人いた。
同じく咳き込んでいる子供が一人。

あの方達は


インフルエンザ君?


それしか考えられない。
そして、二日間熱が9度を越えてさすがの私もぐったりと寝ていたのだった。

ところが。
前にも書いた様に、私と言う人間は余程の事が無いと 食欲 が落ちない。
落ちてきても うどん や おそば を食べる。

しょっぱな、ちゅるちゅると少しだけ食べても数時間後には


その残りを食べる


と言う、意地汚い人間だ(笑)


え? そう、うどんですよ


主人にてんぷらうどんを作ってもらい、1/3食べた所で寝る。
数時間後に起きて、テーブルに戻るとうどんがそのまま置いてある。
お腹がすいたので私はうどんを食べる。


のびてグタグタになっているうどんは、ある意味病人に優しい(おい)  


味も染み込んでいる。
そしてまたベッドに戻り、休んでは


うどんを食べに来る


と言う執着心。
主人が驚いたのは言うまでもない。

この 食べ物に対する執念深さ が、私を元気にするのだ。
うむ。


過去の日記 おさるさんの 「あーいあい♪」 って・・・

2008年06月21日 13時17分57秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

あ~いあい♪ あ~いあい♪ おさ~るさ~んだよ~♪

この アイアイ って・・・ アイアイという動物 がいたのね。
私はてっきり 

かけ声


とか、 


お猿キャラの名前


だとばかり思っていた。
これって何だか、物凄いショックだ(笑)

実はこの曲自体、周りの人が歌っていたのを聞いただけで私は馴染みがない。
この曲を詳しく知っている人は、アイアイが マダガスカル島に生息する動物 だと言う事を
知っているのだろうか。
え? 知っていて当たり前?(笑)

調べていたら現地ではアイアイは悪魔と恐れられ、見つかれば殺されていたそうで
今は絶滅寸前と聞いた。
歌のかわいいイメージが・・・ これは調べない方がいいな(汗)

数年前の時点で数百頭らしい。
ただその動物を保護する動きもあって、現在は上野動物園で見られるとの事。

是非一度、お会いしたいものである > アイアイ

訪問 その2

2008年06月21日 10時36分46秒 | 国内

四人で計画していた旅行は三人となり、二人となった。


当然、一人当たりの旅行代金は高くなる。
移動のタクシー代もそうなると、半端な額ではなくなる。
普通に行ったら飛行機とホテルその他で10万円近くかかるのだ。
私は色々な旅行会社のツアーを必死に見比べた。

目的は友人にお線香をあげに行く事だ。
だが、金額を考えれば ツアーで行く 方法しかない。
所が、ツアーだとホテルに着くのは夕方から夜が普通。
これでは一番の目的の友人の家への訪問が難しくなってしまう。

結局、 飛行機とホテルのセット を選ぶ事にした。
来年の1月か2月を考えた。
二人なので一人当たり代金が4万円近い。

それでも、これが一番安いのだ。
もうこれで決めようか・・・ そう思っていた。

悩む私を見かねたのか(笑)、航空会社系列の旅行会社のお姉さんがアドバイスをくれた。
レンタカーとホテル、飛行機のセットで安いのが有るので、それを選んで
レンタカーを放棄すればいいと。
そういうのは考えていなかったのでありがたい。
ただ、これは結局チョイスしなかったのだけれど・・。

友人とメールや電話で打ち合わせをし、ほぼ決めかけていた時だ。
「明日、予約を入れるね」 と言いながら、また私はネットでつらつらと
パックを見ていた。


!!! 


に・・・ に・・・ にに・・・ ににににに


にまんえんだいがある・・・


飛行機にホテル二泊で 二万円台 が有ったのだ。
それも今月。
いや、いくら何でも急過ぎて無理だろう。
行くのは私一人じゃないし・・・ でも一人当たり一万五千円も違うのだ。
二人で三万円も浮いたら、タクシーだって頼めるではないか。

私は思わず、


今、安いのを見つけてどきどきしています


と友人にメールを打った。
このパック、昨日迄は出ていなかった気がする。
それとも私が来年のカレンダーばかりを見て、見落としていたのか。
もしかしたら、直前の空きの多い日をバーゲンで売りに出したパックなのかもしれない。


とりあえず、落ち着かねば


すぐに友人から返信メールが来た。
「行ける」 らしい。


ぎゃああああああああああ


自分で聞いておきながらあせってしまった。
自分のスケジュールを確認する。


うっ、私も行ける・・・


もう、頭の中で


その差15,000円


がこだましているのだ。
これは行くしかないだろう。

いつか行くというのは、なかなか実現しないものだ。
今を逃したら、次はいつ行く事になるかわからないだろう。


もう後悔はしたくない


亡くなった友人との話だって、いつか中間地点で会おうねと言いながら何年も
実現しなかった。
亡くなった今になって行くと言うのも、悲しい事だがだからこそ、行きたいのだ。


私は旅行会社に予約を入れた。

日にちがないので、大慌てで準備しなければ。



訪問

2008年06月21日 10時29分07秒 | 国内

訪問が現実味をおびてきた。


行くのなら早い内に・・・ と言う案があって、早速又ネットで色々と調べてみる。


ふわあーっ、遠い、遠い、遠過ぎる・・・


思わず又、亡くなった友人を思いながら


あんたっ、どこ住んでたのよっ(笑)


等と部屋で一人でしゃべっちゃった(笑)
でもすごくいい所だ。
ネットで何度見てもそう思う。

観光地で、ホームページに写真をあげている人が沢山いたので見てみたが、
いい景色ばかりだった。


彼女の生まれ育った所を見てみたい


という思いが沸々と沸いても来る。
しかし、口でいくら行きたいと言っても実際に行く話となると・・・。
皆もうそれぞれ働いていたり主婦だったり・・・ 職場で仕事を調整したり、旦那様にも
許可を取らなくてはならないだろう。
行く理由は叶っているが、かかるお金もすごいと思うから。

主婦になると自分でお金を自由に使うと言う事に、遠慮を感じる様になる人もいる。
旦那様次第かな。
旦那様は例えOKでも、やっぱり家庭を預かる主婦としては二の足を踏むと言うのも
わかる。

だから勿論、強制はしない。
もしも最後に私一人になったとしても、私は多分一人で行くと思う。


そして数日後。


最初、 四人で行く予定だった追悼旅行? は、何と二人になってしまった。
まあ、予想はしていた。
最初に行きたいねとは言っても本当に、それもすぐに行くとなったら話は別だろう。
声をかけて、その時の相手の仕事の状況や反応で大体わかっていた。
多分、行けるのは二人だろう・・・ もしかしたら、私一人だろうとは思った。

それでも私は行くつもりだった。
独りよがりかもしれない、自己満足かもしれない。
でも、行かずにはいられない。
葬儀に参列しなかった私は、行って彼女ときちんとお別れをしたい。
お別れと言うよりも、


謝りたい


のだ。


彼女が辛かった時に、わかっているつもりで全然わかっちゃいなかった、優しく
なかった自分の事を謝りたいのだ。

一人、賛同してくれた友人がいた。
彼女の旦那様は、 「行っておいで」 と言ってくれたと言う。
亡くなった彼女と一番仲の良かった友人は、行っては迷惑をかけるしご家族の気持ちを
考えると行くべきではない・・・という結論になったようだ。
それは私も考えた。
考えた上で、


それでも行きたい


と思った。
私は勇気を出して彼女の実家に電話を入れた。
私が電話をかけることで、彼女のお母様は一層、辛い思いをするかもしれないからだ。
亡くなって、まだそんなに日も経っていない。

名前を告げ、彼女の学生時代の友人だと言いかけた時、お母様の方から私の下の名前を
言っていただいた。
結婚して姓が変わっていたからなのだが、相手が私の事をわかってくれていて、ほっとした。
いきなりで、それもこんな時期に伺いたいというのは非常識で失礼なのかもしれないけれど、


それでも、私は彼女にお線香をあげたい


それをお母様に伝えた。

やんわりと遠慮されると思っていたのに、お母様は即、 ありがとうございます と
言ってくださった。
そしてその後、二人で涙声になりながら色々と話をした。
良かった。
お母様に了承していただいたのだ。

後は予約を取って行くだけになった。
年が明けてから、落ち着いた頃に・・・ そう思っていた。

彼女のいた実家は交通の便が悪くて、バスでものすごく時間がかかる。
タクシーを頼むと 一人6,000円 位かかるかな。
しかしバスでも、その位はかかるのだ。

タクシーで、彼女の生まれ育った所を回ろうと思う。


2004’ 追悼 その2

2008年06月21日 10時22分16秒 | 国内

友人の死について考えていた。


ここ数日、ずっと友人の死について考えていた。
楽しい思い出が蘇る度に涙が出る。

昨日思ったのだが・・・ 私は勝手に まさか・・・ なんて思っていたが、
もしも病気で亡くなったのなら、今頃C子は


天国で怒っているよなあ・・・


なんて。
今日、友人から電話が来た。
彼女のお母様と話せたらしく、亡くなった理由は病気で有ったらしい。
精神的にはやはり、とても辛かったらしく 死にたい と言っていたのも
本当だった様だ。
それでも、


まさか・・・ ではなかった


のだと。
最後はあまり苦しまず・・・  そう聞いて少しはほっとしたのだった。

すぐにでも行ってお線香をあげたいが、場所が遠く行き方もよくわからない。
今はお悔やみとして、お香典を送ろうと思う。
一緒に封筒に入れようと思い、ご両親宛てに手紙を書いていたが書いている途中、
涙が止まらない。


こんなに辛い思いで手紙を書いた事なんて無かった


それを読むご両親も辛いかもしれない。
けれど、何か書かずにはいられない。

すぐでなくていいから、友人達と彼女の故郷を訪ねたいと思う。


2004’ 追悼

2008年06月21日 10時17分31秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

私は昔、炭酸飲料が苦手だった。


コーラ を飲みはしたけれど、少しづつ飲む事しか出来なかった。
あの強い炭酸が喉を通るのが苦手だったのだ。

学生時代、私はC子と仲良くなった。
多分、きっかけは講義の時の席が隣だった事からだと思う。

彼女はいつも、明るくてカラカラと笑う元気な子だった。
私達は急速に仲が良くなり、一人暮らしをしていたC子の部屋に
私はしょっちゅう泊りに行く様になった。

週末は二人で色々な所に行って、深夜迄遊んでいたりした。

彼女の部屋で缶のコーラを飲んだ事が有る。
彼女はいつも飲み物は 一気飲み だ。
私はいつまでもチマチマと飲むタイプだ。
おまけにこの時はコーラ。
でも、ゴクゴクと気持ち良さそうに飲む彼女を見ていたら、私も何だか
ゴクゴクと飲みたくなった。

最初の一口はすごくきつかったけれど、その時から私は炭酸飲料をゴクゴクと
飲める様になったのだ。

社会人になって彼女は関西に行った。
私は一度だけ、彼女の家に泊りに行った事が有る。
しばらくはそこにいたが、やがて彼女は郷里に戻った。

彼女はいつも 睡眠薬 を飲んでいた。
話を聞いた私は心配して、あまり飲み過ぎない様言ったが彼女は 眠れないのだ と
言っていた。

私が結婚しても、彼女とはメールでやり取りしていた。
仕事の事や愚痴等・・・ 中には 辛いだろうな と感じるメールも有った。

彼女は私の事を 恵まれている とよく言っていた。
それなのに自分は・・・ と。
この頃彼女はネガティブになっていたと思う。
早く結婚したいとも言っていた。
私は彼女に早く生涯の伴侶が現れることを祈っていた。

一昨年位前だったと思う。
彼女から 大怪我をした とメールが入った。
大きな手術もして、すごく辛いと言っていた。

大怪我の経験の有る私は、だからこそアドバイスは出来なかったが 
すぐに改善しない と言う彼女に、


そういう怪我は自分と向き合って 少しづつ治して行くしか無いのだ・・・


と言うメールを返したりした。


目に見えて良くはならなくても、振り返ってあの頃よりは良くなったと言う事が
有るよ・・・ 


と返した。
出来る限り彼女を励ました。

怪我以来、彼女から時折来るメールは愚痴だけになった。
私が励ましを返して、 そうだね と言う時もあったが中々彼女も暗い中から
抜け出せないでいたのかもしれない。

他の友人達も話をしてもそういう状態なので、段々疎遠になっていった。

ある日、私に


死にたい


とメールが来た。
私は


死んだら ~できなくなるよ(笑)


とわざと、なるべく明るく返した。
確か、それだけ。
辛いのに頑張っている彼女に何も言えなかったし、私は死にたいと言う人に
優しい言葉はかけられなかった。
それ以外の事に関しては、 こうしたらどうかな? 位の提案は返していたと思う。

会社もつまらなく、人間関係も上手く行かない と言っていた彼女。
家族とさえもトラブっていた様だった。

それから、彼女のメールは途絶えた。

たまに彼女の事を思い出しては気になっていたが、私もメールはしなかった。
一度だけ、去年だが 元気? と言うメールを出したが彼女からの返事は
無かった。
彼女は私へのメールは会社のパソコンからくれていたはず。
もしかして会社を辞めたのかもしれない と思い、そのままにした。

死にたいと言っていたし、気になって何度か実家に電話をしようかとも思ったが、
家族とも上手く行っていない様だったので、それもしなかった。

数日前、彼女のことを思い出した。
私はまた主人に 友達でこういう子がいたんだよー と言う話をした。


いつも明るく笑う子でね、教授にもすごく気に入られてね・・・


そして今日。
学生時代の友人から電話。

彼女の実家から


喪中のハガキ


が届いたと言う。
亡くなったのは


彼女


病気かもしれない。
でも時間が経ったとは言え、彼女は死にたいって言っていた・・・。
聞く訳にも行かない。
なぜ彼女が亡くなったのかはわからない。

まさか・・・ とも思った


私に何が出来ただろうか。
もっと気を使って彼女に連絡を取れば良かっただろうか。
それは私の奢りだ。

私には何も出来なかった。
彼女自身の問題に入る事なんて出来ない。
解決する事も無理だ。

私に出来る事は、彼女が私にメールで話したいと思った時に、彼女と話す事
だけだった。

彼女の事を考えながら、歩いた。
彼女が万が一・・・ 病気で亡くなったのではなかったならばと・・・ 考えながら
歩いた。
彼女も苦しんだのだと思った。


今は天国で楽になっただろうか。


海外駐在の方のブログを見た

2008年06月20日 11時59分57秒 | 日常のつぶやき
いやー、驚いた。


私の知らない世界だった。
紹介してあったので商社マンや外交官の妻達のコミュニティも拝見。

気苦労が多そうだ。

まず、

人と接するのが苦手な奥さんなら、本気で悩むだろう。
事実、悩んでいる方もいた。

外国はパーティーは夫婦同伴が当たり前の所が多いし、お返しに自分の家でもパーティーを
するだろう。

テーブルマナーは勿論だが、テーブルウェアにも気を使う。
私の知っている方はテーブルウェア展などに出向いて、お勉強されていた。
自分で工夫して楽しむのもいいだろうが、飾りつけが苦手な奥様もいるのではないだろうか。

食器も揃えなければならない。
和・洋でこのお皿が何枚以上・・・ とアドバイスをくれる会社もあるらしい。

その他日本文化のお勉強。
着付けを習い、お茶やお花を習い・・・。
とても忙しそうだ。

更に現地でのボランティア活動や、バザーなど催し物、お仲間とのお茶会や食事会。
お仲間と言っても上司の奥様もいる。

転勤する国の公用語が英語でない場合の語学勉強もある。
まあ、英語ができれば何とかなるそうだ。

予防接種も行く国によっては色々あるだろう。
・・・お子さんもたくさんするのかしら?
やっぱりするよね?

私がOLをしていた頃、会社で海外の駐在経験を持つ方達のお話を聞く機会が多々あった。
言葉だけじゃない、考え方から習慣から何から違うのだから、それは苦労すると話されていた。

そして派遣される国だ。
治安の良くない国も当然ある。
そして当然、夫婦同伴だ。

ある方が冗談混じりに


「僕は子供がいなかったからそういう国ばかり行かされたんだよ。あいつは○○や○○
ばかり・・・ ズルイよな(笑)」


と言っていた。
この方は、ある国で


物を盗むのはいけない事


盗んだらそれを返さなければ(弁償)いけない事


現地の人達にここから教えたと言う。
盗んで逃げた人の家族・親戚一同が集まって、説明会を催したこともあるそうだw
親族の方が皆で返すと言ってくれたそうだ。


「話はわかってくれた。」


「が、その金額は少し負けろと言われた。」


とのことだ(笑)


その国の文化や歴史を学んで観光できるのは羨ましいが、苦労が多そうだ(汗)

なぜに私が全く違う世界のことが気になったのかと言うと、


ポストに入っていた


転居(転勤)しましたハガキ


を見て、その方の新しい住所(国)にびっくらこいたからなのであった。 

揺れるぜい肉

2008年06月20日 11時19分27秒 | 日常のつぶやき
雨が振りそうなので迷ったが、自転車でさっさと買い物に行った。


雨の方は何とか降らずにいてくれたが、帰り道で気がついた。



太った・・・



また太った・・・



自転車をこぎながら、ふとお腹を見たら



3段腹の2段目



が揺れていた。


ここでショックを受ければ、ダイエットにも力が入るだろうに。
あほな私は歌を口ずさみながら帰ってきたのだった。



お な か が   ゆ れ て る よ ー ん ♪


  ぶ る ぶ る   ゆ れ て る よ ー ん ♪



もうすぐ家という所で



あら? これは何の曲だったかしら?



と考えた。
何かの曲に勝手に歌詞をつけて歌っていたのだけど・・・。


あ!


わかった。
五木ひろしさんの


探していたんだよー♪


という歌だ(曲名わからず)
演歌にはほとんど興味のなかった私だが、年を取ってからは頭の中によく浮かぶようになった。



しかし、こんな歌詞だと五木ひろしさんも怒るよな(笑)  

2004’ 1970年代 先生はすんごーく恐かったです

2008年06月20日 09時49分03秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記
今なら考えられないですが・・・


ぶっ飛ばし先生


でした。
ええ、私も何度かぶっ飛ばされました(笑)

男女の差なく、殴られました。

でも、


「自分が悪いことをしたから」


とわかっていたので当たり前のことでした。
家に帰って親に


「先生に殴られた」


と報告をしたら、母は笑っていましたよ(笑)

ある時殴られた男の子の母親が、父兄参観後のクラスの集会でそのことを抗議したらしい
ですが、居合わせた親は勿論、それを後から聞いた子供達も


「抗議する以前に、<自分の子供はカンニングしたんだぞ>」


と、誰も同情はしませんでした。
そんな時代でした。


ある時、私はまたもや思いっきりぶっ飛ばされました。
旅行中で就寝のために布団が敷いてあったせいか、ほんとに飛びました。
勿論、私が怒られるようなことをしたからです。

翌日、一番前に並ばなくてはならず、昨夜怒っていた先生と話さなくてはいけないことが



すごく辛くて


すごく恐くて


何より先生になんと言えばいいのか・・・


先生はまだ怒っているのではないか・・・


最初にやはり昨夜のことを謝るべきなのか・・・



びびっている私の前に先生が現れました。
私は半分笑顔、半分ひきつり顔でした。
もう目なんてウルウルしていました。

それでも泣かないように必死に


変な笑顔


で定例の報告をする私を見て、先生は笑いながら片手で私の頭をつかみ


ギュッと自分の胸に押し当てました。


今の時代ならエロになってしまうかもしれません(笑)
そんなことを言う人もいるかもしれません。
そういう教師もいるかもしれません。

だけど、そんなものは一切なく、


先生の生徒への愛情


を素直に感じることができた時代でした。



殴った先生の手から



怒っている先生の顔から



言葉から



愛情



を感じることができた最後の時代かもしれません。 

2004’ 1970年代 クラスの男女は仲良く

2008年06月20日 09時36分56秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

小学校時代、クラスの男女は仲が良かった。


私のクラスは朝、昼、そして放課後も男女で仲良くサッカーや野球をして遊んだものだ。

男女に力の差を感じてはいても、まだまだクラスの男の子達は女の子達に好意的だった。
私達女の子が 仲間に入れない と感じたのは6年生の先輩がいる、クラブ活動に
5年生になって初めて参加してからの話だ。

まあ、結局うちのクラスは6年生になっても男女仲良くスポーツをして
いたのだが・・・。

そうだ・・・ 一つだけ苦い経験が有る。

サッカーをしていた時だ。
私は寒いのが苦手で、サッカーは好きでも冬の朝は辛かった。
だからちょっとズルをして相手ゴールの近くに ずっといた 事が有る。

キーパーはいつも明るい、人気者のK君だった。
彼は男女共に人気がある。
まず運動神経がいいし当然、サッカーも上手い。
先生や友人達からもよく誉められていたので、キーパーには絶対の自信を
持っていたと思う。

ところが。
ある時、私のいた所にボールが来た。
そりゃ、いくら誉められてるキーパーだって 1:1 なら無理だ。
私には敵は誰もついていないのだもの。

ええ、ゴールしましたよ。
仲間は皆、大喜びでした。

そうしたら、K君が 泣いてしまった のだ。
これには私もあせった。

女にゴールを入れられる なんて、K君のプライドがいたく傷付いたらしいのだ。
そんな事言ったって、あれは たまたま いい所にシュートを打つ人間がいただけだし、
それを止める人間もいなかった。


K君の問題じゃないよ、偶然だよ、偶然


・・・そう言ってくれる人間も無く(泣) 男子達はK君に同情し、私はいつの間にか
仲間のはずの同じチームの男子からさえも


ひどいやつだ


と、にらまれるハメになった。
そんな空気をひしひしと感じた冬の朝(嗚咽)

まあ、にらまれたのはその時だけだし、K君にはなぜか ごめんね と謝る
ハメにもなった。
私は いい人 であるK君のプライドを傷つけた ひどいやつ になってしまった(涙)

女なんかに・・・ と言うK君の気持ちはわかるが、あれが


いつまでも一緒には遊べないんだ


と感じた最初の出来事だったかもしれない。 


2004’ 1970年代  学校前のあやしいおじさん

2008年06月20日 09時30分27秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記
よく小学校の正門前で放課後、怪しいおじさんがいた(笑)


学校に許可をもらっているはずもなく、だけどそれを先生が止めるでもなく。
おじさん達は堂々とお店を広げていた。

このおじさん達の持ってくる品物がおもしろくて、皆それを見るのが好きだった。
手品に使う商品を売っていたり、スプリングのおもちゃとか、スライムとかを売って
いたと思う。(スプリングのは、階段の上に置いてジャージャーと一段づつ降りてくる物)

親の世代だと子供が集まるのは紙芝居屋さんかな?
そのおじさん達は何度も来るおじさんだっただろうから、子供達もそんなに恐がりも
しなかっただろう。

だけど、私達の時代のこのおじさん達は一度見たら・・・ ほとんどの人が、


「二度と見かけない」


おじさん達だったのではないだろうか。

おじさん達はニコニコと愛想のいい人もたまーにいたが、小学生相手だというのに
ニコリともしない人もいた。
口調もなかなか恐くて、怒ってるような口調のおじさんもいた。

私達はそのおじさん達に



「よくわからない怪しさ」



を感じつつも、ビビリながらも、それでも興味がビビリを上回ってしまって、その人に
恐る恐る近づいたものだった。

ある日、その中で今までにない位、



すんごーい恐いおじさん



がいた。
おじさんはあまり表情もなく、


「・・・だよ。」


とぼそぼそとしゃべる。
おまけにくわえタバコだ。



怪しさむんむん



恐さむんむん



である。
おじさんは決して大声をあげたりしないのだが、それが余計に恐かったりする。

いつもなら子供達が集まって大盛況のはずなのだが、この時はさすがにみんな独特の
雰囲気にビビリまくって、ちょっと見ることはあっても買わずにそそくさと帰っていったと
思う。

おじさんは手品用品を売っていた。

中には初めて見る、とってもおもしろそうな商品もある。
が、どうも今回は手に取って試せない雰囲気だ。


手に取ってみたい・・・


恐々と近づいた私と友達。
最初から買う気はなかったのに手品に使う木箱があって、それに私は惚れてしまった。

絵の描いてある小さな薄型の長方形の箱をマッチ箱のように開けて、中に10円玉を入れる。

箱を閉じる。

そしてまた箱を開けるとあらあら不思議。
10円がなくなっているという不思議な箱なのだ。

そしてもう一度開けると10円がまた現れる・・・。

って、なんのことはない。
入れた10円を乗せている板を移動できるという細工があるのだ。

これが2~300円だったろうか。
もしかしたら500円くらいしたかもしれない。

当時の私は小学生で、お金は文房具を買う時以外は持ち歩かなかったから当然、それを
その場で買えるはずはない。

家に帰ればお金はある。
だけどそれまでこのおじさんは、ここにいるだろうか。

確認をしたいのだけど、



おじさんが恐くて



話しかけられない。
でも箱は欲しい。
欲しい欲しい、とっても欲しい。

恐いおじさんにしたら、もしかしたら私の方が恐かったかもしれない(笑)
じーっと一点を見つめ・・・ かと思うとおじさんの方を向き無言でまたそれを繰り返す。



無口なおじさん


話せない私


そしてそれを黙って見守る友達



沈黙の時は続く。
意を決して私は小さな、消え入りそうな声で


「まだいますか?」


と聞く。
おじさんはうなづいた。

やっと買う決心をして家に帰る。
友達に別れを告げ、往復ともダッシュだった。
車の激しい通りをつっきるので、私は事故にだけ気をつけながら走った。

家に帰り、お小遣いを手にしてまた学校に戻るとおじさんはいた。
この時に私を見つけたおじさんの顔は



ちっとも恐くなかった。



おじさんの顔は寧ろ優しげに見えた。
慣れなのだろうか(笑)
それともおじさんの表情が変わったのだろうか。

私は息を切らせながらおじさんにお金を渡す。
おじさんの周りにはもう誰もいなくて、時間も結構経っていたのでもしかしたら待って
いてくれたのかもしれない。

その時私は子供だったので、そんなことは考えなかったけれど。


苦労して手に入れた手品の木箱は回りにすごく好評だった。
実は一緒にいた友達も、クラスメイトもその箱が欲しかったらしい。
だけどおじさんのあまりの恐さにあきらめたのだった(笑)


私はもう、嬉しくてその箱をいつも持ち歩いていた。


今は当たり前のようにその箱はないのだけれど、この木箱、しばらくは持っていた気がする。