さらさら

なーんにもない、平凡な日常です。

*業者さんや、日記内容に関係のないトラックバックはご遠慮ください

2004’ 別れは辛いものです

2008年06月06日 19時47分05秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

初めて口を利いたのは、歓迎会の席でした。


偉い人の隣には座りたくないなあ・・・


等と思っていた私。
他の上司達が、主役の周りに女性社員がいないことに気を使って
私を呼んだのです。
正直、私は真っ平ごめんでした(笑)
無理やり席に呼ばれてしまい、座ったものの咄嗟に、


私、タバコ吸うんです  だからご迷惑だと思いますし・・・


そう言いました。
ところが、


僕も吸うんだよ


と。
私はがっくりしてしまいました(笑)
あきらめてその席にじっとしていましたが、今まで来た 偉い方 とは何か違う
雰囲気を感じました。

気軽に、若手と話をしてくれて全然威張りもしない。
そんな方は初めてと言っていいかもしれません。

お客様へのお土産は、いつもお気に入りのお店で買いましたね。
ケーニヒス・クローネ がお好きでしたね。

私はよくお使いを頼まれては、さぼってデパートで物産展とか覗いていましたよ(笑)
そしてお土産と一緒にそこのお店で、自分や後輩達のおやつも買ったものでした。

私が直属の上司と意見が食い違い、修復不可能になったことが有りました。
私は会社を辞めようとまで思いました。
そこまで逆らったのですから、当然覚悟の上でしたが・・・。
辞める旨も口頭で伝えましたが、そろそろ辞表を書かないといけないなあと
思っていた所にいきなり現れましたね。

そして私を会議室に呼びました。

てっきり私は今回の事件について、もしかしたら止められるのだろうか・・・と
思って部屋に入りました。

所が、席についていきなりです。
今後の仕事の予定を、ぱぱぱーっと。
ぱぱぱーっ と話し始めましたね。
私は口をあんぐりでした。
だって、私が辞めると言う事は聞いているはずではないですか。
なのに、これからの私の予定を 向こう3ケ月分 も、直属の上司やらその上の
上司まですっ飛ばして私に説明。

私が口を挟む余地もないほど、一通り説明し終えた後のあのニヤリ顔。
恐れ入りましたという感じでした(笑)

私は突然の事に、部屋を出てからずっと首をひねるばかりでしたよ。
ああ、やられたなあって思いました。


感謝しています。
あのような引き止め方をされたのは、初めてですが(笑)

それから、時々現れては私達と居酒屋で飲んだり、カラオケをしたりしましたね。
昔、仕事で回った海外のお話を聞くのはとても楽しかったです。


ヒゲを生やさないとダメな国


皆でその頃の写真を見て、あまりに想像と違っていたお顔に大笑いしてしまいました。
そして仕事をしていく上で、日本の常識と世界の色々な国の常識の違いで
トラブルがあって苦労した話。

時間が足りない位に感じて聞いていました。


私が結婚で会社を辞める事になった時。
ちょうど近所に出張中で送別会に参加していただいた事、とても嬉しかったです。

本当は結婚式に来て頂きたかったのですが、会社を続けるならまだしも私は
女性だし会社を辞める身でしたのでお忙しい中、迷惑だと思いそれは実現しませんでした。

それでも毎年きちんと送り返されてくる年賀状。
それを目にする度に、楽しかった頃の思い出があれこれと蘇って来たのでした。


あれから何年も経ちました。
最近、よく勤めていた頃の思い出が蘇るんです。
夢に見る事も有ります。

そして昨日、また色々と思い出していました。
珍しく、昨日は他の人達は思い出に出て来ませんでした。

私のいつもの 虫の知らせ だったのかもしれませんね。


そして今日の 「訃報」


ショックでした。
今は色々な事を思い出す度に、涙が止まりません。
年に一回の年賀状のやり取りになったのに、


今でも鮮やかに


昨日の事のように蘇るんです。


私は本当に迷惑をかけました。
お世話になりました。
感謝してもしきれない程です。


あまりに早いお別れに、今はただただ泣くことしかできません。


2004’ OL時代の思い出

2008年06月06日 19時12分21秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

私はOL時代、勤続年数が長かったおかげで ビルの掃除のおばさん達 や 管理人さん と
仲が良かった。


おばさん達からおやつにお茶菓子を戴くので、自分が旅行をした時にはお礼に
おばさん達に お土産 を買って来たりしていた。
私が夕方空腹に耐えかねて、給湯簡易キッチンのコンロで 焼き芋 をした時は、
ビル中に匂いが行き渡ってしまい(おぃ) 顰蹙 & うらやましい と言う視線の中、
これまたおばさん達に大分、各階でフォローをしていただいた。

そのおばさん達の中に、下手をしたら


それはアフロじゃないか?


と言う髪型のおばさんがいた。
そして 大きな体 に 大きなメガネ に つぶらなおめめ。

アフロ・・・ と言うよりは 


太巻きパンチパーマ 


かもしれない。
ただでさえ背が高いのに、髪型も 高さ が有る。
初めて会った時は 威圧感 を感じるが、話してみたら気のいいおば様だ。
おばさん達とは、たまにトイレで一緒になると話す位だったが、本当に親切で
話もおもしろいし更に話題には事欠かない。
ビルに入居している沢山の会社の情報もしっかり握っているので(笑) 私達を
飽きさせる事は無かった。

アフロおばさん は少しすると、姿を消した。
どうも 他のビル に移ったらしい。
何人かのおばさん達が入れ替わり、又私もお互い仲良く話をしたりしていた。

ある時私の会社が移転を計画。
そのビルを経営している会社の、他の持ちビルを見に行った事が有る。
会社がある程度は候補を絞ったのだが、どうも 不安 も有るらしく、OLの
私達の意見も聞いてみたいと言う。
担当者は何が不安なのかはよくわからなかったけれど、


どうぞ仕事をさぼって見ていらっしゃい


と言うので、


それでは、遠慮なくお出かけさせていただきます


と、私ともう一人のOLがビルに向かって出発したのだった (徒歩10分位)

話が前後するが、目的のビルに近づいた時、私達はばったりと アフロおばさん と会った。
おばさんはそこのビルにいた。
そして私達のビルにいた時とは全く違う格好をしていた。


薄いブルーの清掃着を着ていたおばさん


が、今私達の目の前では


パステルピンクのベストとスカート


すごくきれいな制服だった。
私達の制服より断然可愛い! 


きゃーきゃー 言う私達に更に照れたおばさんの姿が可愛かった。
でもおばさんも女の人だ。
すごく嬉しそうだった。

他にも仲良くなったおばさん達はいるのだけど、ピンクの可愛い制服を着た
アフロおばさん だけが強烈に目に焼きついてしまった(笑)

ちなみに、本来の目的だったビルは。
その後私達の目に入って来たビルは・・・。


会社が不安になった訳がわかった(笑)


ぼろぼろすぎる(涙)
いくら何でもこれは、あんまりだろう。

私達はそれから会社に戻りそれはもう、 ギャーギャー と文句を言った(笑)
心機一転、あのビルに引っ越しをしたら皆相当落ち込むと思う。
そのビルには先に、仲の良いメーカーさんが入っていたのだが


あんな有名な会社がよく入っているなあ(おい) 


と思った。
上司達にしたら、そのビルに入る事は 便のいい事 でも有ったのだろう。

しかしOLのそんな、ただ 感情だけの抗議 を果たして会社が聞くのだろうか。


会社は聞いた(おいおい)


私達のあまりのひどい言い様を聞いた、更に上の人が


お前達はワガママだな~ はっはっは(笑)


と見に行ったら、私達よりも愕然としたらしい。


いくら何でも、あれは無いだろう・・・


と言う事になって、その候補地は ぽしゃった のである。
きっと お客さんへのイメージ や お客さん達の衝撃 も考えたのだと思う。

今の通りに面した明るいオフィスから、あの


暗黒色のビルのオフィス


に移ったのを見たお客さん達は・・・


先ずビルを見て驚き  古いエレベーターに恐怖を覚え 

湿ったオフィスに入り・・・


もはや、うちの会社に 同情の念 しか無いであろう。
いや、そこまで想像しなくても・・・ >会社(笑)

不景気だし経費は削減したいし、でも色々と周りから詮索も有るだろうし、
引越しって結構大変なのである。 

2004’ 母が下着泥棒に怒った訳

2008年06月06日 12時59分11秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

むか~しむかし。


私がまだ若い頃、 下着泥棒 にあった。

昔住んでいた家にはいくらか庭が有ったので、洗濯物は地上で干していたのだ。
だから入りやすかったのだろう。
そういう家なら、多くの女性が経験しているのではないだろうか。

それで、泥棒。

ある日下着が減っている事に私が気付いた。
おかしいと思って母と話をしたが、最初は 気のせいだろう と言う事になった。

しかし、後日又々下着が減っている。
と言うか、


母よ、気付いてください(涙)


この時、


もしかしたら泥棒かな・・・


と、二人とも自信無く思ったのだった。


それが決定的になったある日の事。
私が帰ると母が怒っていた。


あ・・・ やっぱり泥棒だったんだ


と、私は母に近づいたのだが母が怒った理由を聞いて笑ってしまった。
娘の下着を盗られてそれに怒っているのかと思ったら、


母の下着が丸めて捨ててあった


そうで(汗)
物干しにかかっていた母の下着は丸めて捨てて、その奥にかかっている私の下着を
持って行ったようだ。

母は


失礼しちゃうわねっ!(怒)


と怒っていたのだった。

おかあさん・・・ そこ、怒る所と違います。


2004’ 近所のパン屋さん もう行かない(笑)

2008年06月06日 12時50分29秒 | 食べる 

初めて行った所なのだけど・・・ もう二度と買わない(笑)


そこは トレー が変わっていて、


厚紙で出来ている


ここで気付けば良かったのだが、どうも想像力に乏しい私は予想が出来無かった。

ここはパンをトレーから何種類かづつ、ビニールに入れるのでは無くて、
その厚紙で出来たトレー毎、 ビニールでくるむ やり方だったのだ。

しかしこれだと平べったくなってしまって、邪魔になる。
まずバッグに入らない。
そして自転車のカゴにも入らない。
カゴに入れるには 立てる しかない。
ここで嫌な予感がした。

私は


ピロシキっぽいパン & トマトピザ風パン


そして


よもぎあんドーナツ


を買ったのだ。

あああああ、ちゃんと見ておけば良かった。
と言うか、 いっしょくた に入れるパン屋さんが有るとは思わなかった。


案の定、家に帰ってみたら 砂糖 が _| ̄|○ 
全体にまぶしたようになっていた(泣)
せめて 砂糖物 は別のビニールに入れてくれてもいいじゃなーい。

そこはお店のコーナーに テーブルと椅子 が有ってその場で食べられるし、
ホットコーヒーはフリー と言う結構ありがたい、人気が出そうな所なのに。


とほほ。 


2004’ おばあちゃんの茶飲み友達

2008年06月06日 12時42分50秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

私が 二十歳位の頃 だったと思う。


私は 母の田舎 が昔から好きで、まとまった休みが入ると突然にでも田舎に行っていた。
その時も 祖母 や イトコ達 に会いに喜び勇んで、駆けつけた。

ある時、家に着いて驚いた。
同じ年代の 茶飲み友達 がその場にいたならば、よく有る事だ。
取り立てて驚かなかっただろう。
その時祖母と一緒にいたのは、


青い目の外人さん二人


だったのだ。

田舎の老人は、基本的に人を疑わない。
まあ、今は犯罪も増加してこういうのも無くなって来ているだろうが。
その頃は、祖母は車で周回する販売業者の人から、郵便配達の人から、宅急便の人迄


お茶飲んで行きなさい


と、誰彼構わず お誘い していたのだ(笑)

しかし、まさか 日本人以外の方達 まで招き入れるとは・・・。
いや、それよりも彼らは誰?
その頃の田舎には外国人は滅多に・・・ と言うか、 皆無 だったはず。
ちょっと大きな町に出ても、たま~に見かける位だっただろう。

私は冷静を装いながら、頭に ? を付けたまま彼らと話をして、少しづつ
わかって来た。
彼らは 宗教の宣教師 だ。

母の田舎には仏壇が有り、お寺もすぐ近くに有る。
当然、 仏教 だろう。


・・・まさか改宗した訳では無いだろう(汗)


色々な考えが頭の中を駆け巡ったが、私の出した結論は・・・。
そう、いつもの


お茶飲んで行きなさい


だ(笑)
祖母には、彼らが何をしていようと関係無いのだ。
一度会ったらお友達。
彼らも異国で、それもきっと


○○教って何だべ?


と言う具合の老人が多い田舎で布教もやりにくいだろうに(笑)
と言うか、ほとんど信者をつくるのは無理だろうに(涙)  
それでも一軒一軒、廻っているのだろう。
その中で優しくしてくれる祖母にどうやら感動したらしい。

つい目が行ってしまった、どう見ても


眉毛がつながった青い目のハンサム・ボーイ


が又々チャーミングな笑顔で


オバアチャン、イツモ ヤサシイ・・・


と言っていた。
祖母を介して、いつの間にか家族皆とも仲良くなった彼らは、何と


イトコの結婚式の二次会にもお呼ばれしていた(笑)


彼らも おばーちゃんのきのこ 食べたかな?(笑)


2004’ おばあちゃんのきのこ

2008年06月06日 12時25分25秒 | 食べる 

田舎に住んでいた祖母が生前、よく我が家に送ってくれていた キノコ の 事を
思い出した。


名前はわからない。
薄くて、ちょっとぬめっとしていて、薄いきれいなピンクと言うか 薄紫の色 だったと
思う。
それをよく大根おろしで食べていた。

私は おろし が苦手だが、そのキノコを食べる時はおろしで食べていた。

何だか急に懐しくなってネットで探したけれど、キノコの種類が沢山有って
全くわからない。
せめて写真を見ればわかりそうだけれど。

わかっているのは、祖母は 海の近くでいつも採っていた と言う事。
でも、


どこから採ってくるの?


と言う私の問いに、いつか母がこう答えた。


老人は自分の場所は絶対に教えないものだよ


と。
だから祖母が亡くなった今はそのキノコは手に入らない。

もう二度と口にする事は無いないだろうなあ。


おばあちゃんのきのこ  


2004’ 小学校の思い出 鼓笛隊

2008年06月06日 12時11分44秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

小学校5年生の頃、鼓笛隊が結成された。


何かの行事で生徒達の行進が有ると、いつも一番先を行きながら演奏する、あれだ。

私は立候補をした。
動機は不純で、近づく運動会の


笛の練習が嫌だった


のだ。
笛を吹きながら何度も行進の練習をするのは、かったるいと子供ながらにサボッたのだ。
嫌な子供だ(笑)


鼓笛隊なら、皆が練習しているのを 休みながら見学出来る と言う事を私は知っていた。
担当する楽器は何でも良かった。
確率を考えて皆が立候補していない楽器をばーっと見たら、 小太鼓 と 中太鼓が 有った。
すかさず、私は小太鼓に立候補した。

立候補数が少なくてラッキーだった。
私は小太鼓の担当になれた。


しかし、ここからが辛かった。
初めての 6年生鼓笛隊 との引継ぎ練習の時だ。
男女数が合わず、私は 男の先輩 から引き継ぐ事になった。
しかし、その子が私には 


一切教えてくれようとしない


近寄ってもこない。
女なんか教えられるかよ、と言う態度だったのだ(涙) 


周りは先輩から後輩への指導が始まっている。
私はその時、一人ぽつーん状態だ。
どうしよう・・・ と言う思いで悲しくなったが、仕方が無いので
他の女子の先輩に自分も教えてもらえる様に頼んだのだった。
その先輩は快く、二人の5年生に教えてくれた。
そして何回かの指導の後、今度は自分達で練習を続けた。


気が重かったのは 本番当日 だ。
引継ぎ式の時、私はどうなるのだろう。
みじめな思いをするのではないだろうかと、気になっていた。
段々、日が近づくにつれて気が重くなって来る。


案の定、リハーサルもひどかった(涙)


校庭の真ん中で、6年生から5年生に楽器を渡して引継ぎをする。
何とその男の先輩は、ぽいぽいと私に投げるように楽器を渡して来た。
もう私は諦めていた。
引継ぎ式は一瞬の事だし、仕方が無いかな・・・ と。

今思うと・・・ 大した事では無いとも思うのだが、その時の私にとっては
結構な問題だった。


当日。
いよいよ 式の本番 になった。
演奏は大丈夫。
演奏と言っても小太鼓だから、 タンタカ タンタカ とリズム良く叩くだけだ(笑)

引継ぎ式 が来た。
ちょっと気が重い私は 恐る恐る 先輩に近づいて行った。


ほんの一瞬、嫌な思いをするだけだ


と自分に言い聞かせた。


しかし、その日の先輩は違っていた。
自分の体から小太鼓を外し、バンドを持って何と小太鼓を


私にかけてくれた


のだ。


ほら・・・


そう言ってかけてくれた。
びっくりしている私に更に


頑張れよ


そう言って バチ を渡してくれた。


嬉しかった。
恥ずかしい年頃だし、本当は男の子の後輩に教えたかったのだろうけれど、
最後は私に 思いやり をくれた。
私も単純なので、それまでの嫌な思いは


一瞬で吹き飛んだ(笑)


翌年、今度は私が5年生の 男の子 に引き継ぎをする事になった。
すごく大人しい子で演奏に苦労もしていた様だが、私が 


手取り足取り 親切丁寧 に


教えたのは言うまでもない(笑)


本番の引継ぎ式、私は去年自分が先輩から声をかけてもらった様に、
その後輩にも声をかけた。


2004’ 嫌な上司

2008年06月06日 11時56分38秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記
OL時代、何かの会話で


「そんな、赤裸々(せきらら)な・・・」

と言ったら、冷めた目で

「あかららでしょ?」


と正されたことがある。
驚いて、ショックで家に帰って調べたほどだ。


会社の文書で掲示板に貼り出す書類を作成していたのだが、

「これでよろしいでしょうか」

と上司に提出したら、一番上の「各位」がおかしいと返された。

「各位殿だろ、目上の人に失礼だ」

と言われた。

その頃、真面目すぎた私の認識では(笑) 各位で既に敬っているのだから「殿」をつけたら
二重にならないだろうかと思ったのだが、言って納得する人ではないので「各位殿」に
直したことがある。


「わかっていてもそう書く」(○○課長殿のように)ということは結構あったので、各位殿も
そうだったのかもしれないが、上司はそういう意味では言っていなかった。


職場では中々面倒だが、皆おかしいと思っても上司に合わせていたように思う。
いつも「常識がないなあ」が口癖の上司だった。
皆が聞いたらギョッとする上司お気に入りの「英単語」があって、周りが嫌な顔をしているのに
気づかないで何度も口に出すような人だった。

自分のものさしが一般常識と思っている上司だったようだ。


そう言えば、結婚式のお呼ばれのご祝儀でも嫌な思いをしたことがある。
この上司に招待され出席したのだが後日、お酒の席で金額の話になった。
ご祝儀の話だ。

私は3万円を出した。

「友人なら2、3万円なので上司ならやはり3万円だろう」

と、一緒に出席する仲間と事前に打ち合わせもした。
ところが、この上司は皆の前で私に

「君が出した金額は年齢の割りに多すぎるわな」

と言った。


ひょおおおおおおお。
ちょっと待ってくださいよ。


例として出したのだろうが、こういうお金の話を皆の前でするのはどうかと思ったぞ。
ましてそのお金は自分がもらっているご祝儀ですよね?
自分の式に出席した者のことを批判するなんてと、私はお口


あーんぐり


ですよ(涙) 




2004’ 銀座のお店 ほにゃほにゃほにゃ・・・

2008年06月06日 11時27分44秒 | 食べる 

私がOL時代。


上司が 皆でビアガーデンに行こう! と言い出して、何度か皆で飲みに
行った事が有った。

恵比寿のビアガーデン、電車の中で飲むのが楽しかった。
あとは 銀座のライオン とか スエヒロ も行ったなあ・・・ スエヒロは
地下の牧場の方。
あちこちのオフィスビルの上や駅の上、結構行ったのね~。


そしてある一軒の又々 銀座 のお店。
そのお店はまだ出来たばかりの時で、若いOLさん達でお店は賑わっていた。
お店の方は おしゃれさ を売りにしたかったのかな。
店員さんはやけに気取った雰囲気だった。
私達はいつもと変わらず、課できゃっきゃと飲んでいたのだが突然、店の男性が
大きな声をあげた。


お客様、アペリティフと言うのは食前酒の事でございまして、これは食事の前に

飲むものでございます


声のする方を見ると、二人の女性が顔をまっ赤にしていた。
私としては、別に食後に食前酒を頼もうがいいじゃないの・・・ と言う感じだった。
親切心でお客に教えるのならば、もっと静かにスマートに教えてあげればいい。


お客に恥をかかせるような言い方はどうなのよ


とちょっと不快になったのだが、その男性は更に続けたのだった。

ならば・・・ と女性達は別のお酒を注文したのだが、信じられない事に又々
大きな声で薀蓄が始まった。

女性二人は肩を落として、げんなりしていた。


もう、好きなだけしゃべっててよ、おじさん・・・


と言う感じで、見ていて痛々しかった。
ここまで来ると意地悪にしか思えないのだけど。
私なら怒って店を出たかもしれない。
ああいうお店は最低だと思う。
何を気取りたいのだかわからない。

それにそのお店はかしこまった店でもなく、歴史のある店でもなく、
オープン仕立てのいわば、


ビアガーデン


だ。

私は直接不快になる事を受けた訳では無いが、聞いていてすごく不愉快だったので、
そのお店には二度と行かなかった。

楽しい思い出を・・・ と思ったのに、また怒りの思い出になってしまった(笑)
何回も通って好きだったお店の名前より、こういう思い出の方を思い出すものなのね~ 


2004’ 北海道でラーメン♪ だったはずなのに

2008年06月06日 11時10分50秒 | 食べる 
私達夫婦は ラーメン は結構好きな方だと思う。
でも、北海道に来てから 


あまり食べなくなってしまった


せっかく北海道に来たのに? なぜ ? そう思われるだろう。
美味しいと評判のラーメン屋さんは札幌に集中していて、私の住んでいる場所近くには
どうも 無い 気がするのだ。

ただこれは・・・ 私達は軒数もそんなに行っていないし、並んで迄食べたいと
言う気持ちの無い年を取った私達(笑) が、美味しいお店を知らないだけなのかも
しれない。
まだ自分達の好みのお店を見つけられない。

最初は 


北海道だ! ラーメンだ! 食べ歩くぞ~♪ 


なんて、わくわくしていたのだけど。
いざ住んでみて、数軒食べ歩きした結果。
関東にいた時に出前してもらったお店や、よく行ったあっさり味のラーメン屋さんが
懐しい・・・ と言う結果になった。
これは 美味しい まずい ではなくて、好みの問題だろう。
私は 油ギットリ がどうも苦手になった。

美味しいと評判だったお店が有るには有ったのだが、宣伝や口コミにより
観光客が列を作るようになり、段々と地元の人達が行かなくなった様だ。
よくある話だが 味が変わった と言う。

私が北海道に行ったら最初に行こうと決めていた所は、乗ったタクシーの運転手さんが
けちょん けちょん にけなし、それも一人では無かったので行く気がしなくなって
 (ここがパワー無しの私の悪い所) 結局行くのを止めたのだった。

そして、ラーメンの上に浮くあの 油。
うちの近所のラーメン屋さんは油が凄い。
たまに食べるのならいいけれど、スープの上に 油の層 が凄いぞ。

札幌も広いが評判のいいラーメン屋さんが沢山有って、気にはなる。
でも凄く並ぶらしいし、家からはちょっと遠い。

そうそう、こんな事が有った。
雑誌に出ていた割と評判のお店に行った時だ。
店のご主人は黙々と 職人さん をしていた。
これは私達の期待も高まる。

しかし、主人がふと見つけてしまったお店の


あんちょこ


調味料の配合あんちょこ、お客に見える所に貼らないでください(涙)


おまけに・・・


いの一番


って書いてありました。

ああ、懐しいじゃないですか。 


2004’ 札幌の地下鉄はゴムタイヤ

2008年06月06日 10時47分40秒 | 北海道

初めて札幌で地下鉄に乗った時、私は驚いた。


すすきの に行く用事が有ったので記念に(おい) 地下鉄に乗ってみる事にしたのだった。

電車がホームに入って来て、私はホームで前に進み・・・ 仰天した。
だって、


タイヤが付いている


のだもの。
でも何だか可愛い姿。
ゴムタイヤの地下鉄はすごく珍しいのではないだろうか。
それに、揺れも意外に少ない気がする。

北海道に旅行して、地下鉄に乗る機会が有れば是非ご覧くださいませ。 


2004’ 他人の子供でも叱りますよ

2008年06月06日 10時21分38秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記
雪かきをしていた時に、積み上げた雪山で子供達がよく遊んでいた。


登ったりすべったりと楽しく遊んでいたのだけれど、ある二人の子供がうちの雪山を崩し
始めた。

遊ぶ分には私は文句は言わないが、せっかくきれいに積み上げた雪がまた道路にばらまかれた。
その子供たちは他の家の雪山も崩し始めた。

一人は家によく遊びに来るおぼっちゃまんだったが、もう一人の子は私の知らない子だった。
子供達は遊び終って、それぞれ帰ろうとした。
奥様達はそれを見ていたが、誰一人注意をしない。


こら待ていっ、坊主達。遊んで散らかしたら片付けろぃ


私がそう言ったら周りの奥さん達がこう言った。
「あの子は、あっちの方の偉い人の子供なのよ」

「親が偉いも何も関係ないじゃないですか。遊んで人ん家散らかしたら、片付けるのが
当たり前です。私は別にその子の親がいても注意しますよ。」

と言ったら、妙な感心 (引かれたのかもしれない) をされてしまった。
・・・なんで? 私、間違っていないと思うのだけど。
でももしもその場に親がいたら私だって一応、言い方は変えるだろう。


遊んだら片付けてね~♪


こんな感じ(笑)

まあ、だからと言って片づけを無理矢理やらせる気はないが注意はする。
案の定、おぼっちゃま君は何の反応も示さずにぼーっとしながら帰って行った。
これはこれで心配だ(笑)

残ったいつも家に遊びに来る子が素直に雪をせっせと戻していたので、私も一緒に片付けた。

偉い人の子供でも、迷惑をかけたら注意するくらいいいと思うのだけど。
まあ、私が子供いないからできるのかもしれない。

余談だけど、それから子供がそんなことをしているとお母さんが私に


ちょっと怒ってやってよ。私の言うことは聞かないのよ


って・・・ おぃ(笑)
おぃと言いながらも


おーい、それ以上やったら、おばちゃん飛び蹴りしちゃうぞー♪


いいんですか? こんな注意の仕方で(笑)
でも、子供も別に恐がっていないし、まあいいかな。 

2004’ 私がどのくらいボケてるかというと

2008年06月06日 10時06分20秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記
あれはOL時代。


冬に入り、通勤も寒くなってきた頃。
久しぶりにお気に入りの、一年前に買ったコートを出して会社に着て行った。

クリーニングの名前札をつけて歩かないように、しっかりとチェック。
コートは半コートで銀ボタンが輝いていた。
・・・ここで気づけば良かったのだ。

紺のコート に 銀ボタン は果たして有り得るだろうか。

会社に到着して同僚にあいさつをし、上司にあいさつをし、ご機嫌で入った更衣室でコートを
かけた途端にちらっと目にしたボタン。


あれ? はげかかってる?


ボタンに目を近づける。
前に縦一列、両袖に二つづつ、おまけに後ろに二つ・・・ それらは全て銀ボタン。
ボタンに触った私は驚いた。


ひえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ


何と


ボタンの表面が取れた


のだ。
そしてその取れた中から現れたのは


見覚えのある木のボタン


ぺらっと手に取れたのは、ボタンをクリーニングから守る アルミホイル。


・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(汗)


するってぇと、私は


アルミホイルをつけたコートを着て、東京を闊歩してたってわけですね? ←おばか  

2004’ 本八幡の映画館は今でもあるのだろうか

2008年06月06日 09時59分05秒 | 本・映画・音楽・DVD・ゲーム等
ふと、そう思った。
あれは私が中学生か高校生の時だったと思う。


友達に映画のチケットがあるからと誘われて、本八幡まで電車に乗り映画を見に行ったのだ。
「本八幡」 の名前は知っていたが普段行かない場所だったので、私達は所要時間を見誤って
しまった。
上映開始時間ぎりぎりに映画館に飛び込んだのだった。

確か、その時上映していたのは


ロミオとジュリエット


だったかな?
記憶は定かではないが、大人の純愛映画だったと思う。
大人な映画じゃないか♪ と少しどきどき、楽しみにして映画館に向かった記憶がある。

あせりながら小走りをして映画館へ。
館内に入り入り口にさしかかった途端、係員のおばさん達が私達を見て口々に叫んだ。


こっちこっち!


私達は呼ばれるままにおばさん達の元に走り寄り、いや、というより駆け抜けた。
二人のおばさんが私達に叫び誘導しながら何かを手渡したが、もう一人のおばさんがドアを
開けてくれていて手招きをしてくれたので、私達の視線はそっちに行ってしまっていたのである。

中は暗闇、予告上映もどうやら終っていたみたいだ。
私達は息を切らして、空席を見つけて座り込んだ。


はぁ、間に合った・・・


友達と笑顔で目を合わせて安心した私は、ふと自分の手が握りしめている物を見た。


ん? なんだ、これ?


友達も同時だったようだ。
それは・・・紙で作ったメガネだった。
レンズが入るべき所には色セロファンのようなものがある。
ゴムが両端についていて、耳にかけるようだ。

二人とも、まさに 「?????」 状態だったその時、映画が始まった。


じゃーーーーーーーーーんっ!

ちゃらりららら ちゃらりららら♪


・・・どこかで聞いたことがある音楽だ。


え? こ、これはまさか・・・

もしかしたら・・・もしかしなくても・・・

ド・・・ドラえもん?


そう、始まったのは ロミオ どころか ドラえもん。
そして私達が手にしているのは 3Dメガネ なのであった。


なぜ・・・ どうして・・・


私達はあっけにとられながらもスクリーンを見つめた。
チケットには間違いなく、ロミオとジュリエット (だったかな) とあった。
おばさんが勘違いしたのか。
それとも、私達が時間でも間違えたのか。

今となってはわからない。


私達はもう、メガネをかけてドラえもんを観るしかなかった。
でも、なかなか楽しめました(笑)

2004' どいつもこいつも(怒)

2008年06月06日 09時45分40秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記
一体どうなってるの!?  
人を見下す発言をするのが周りにうじゃらうじゃらいるじゃないの~(涙)


どうしておばさんってのはあんなに偉いの?
そういう私もおばさんだけど、今私の周りの50代~のおばさんは両極端だと
思う。
控えめで謙虚なおばさんと、図々しい何様おばさん。


私は人を職業やら会社やらで判断して、そのことを馬鹿にして口に出す人嫌いなんだっつーに。
その人があなた達に何をしたっていうのだろう。
皆、一生懸命働いているんですよ。
あなた達は別にその人より偉いというわけではないでしょ?

その地位までいった旦那様は偉いだろうけれど、それはあなた達の役職じゃないでしょ?


人と自分を比べて、人を見下すことは誰にでもあると思う。
それについては否定しない。
私だって多々あるだろう。
人間て、そういうことで自分に安心する部分を持っているとは思う。
でも、何もしていない人に対してそれを口に出して噂したり、本人に対して馬鹿にするというのは
見ていてすごく気分が悪い。

その人に攻撃でもされたのならまだわかる。
たいして仲良くもない間柄の人や、初対面の人に


呑気な商売でいいわねぇ、ほんとに


とか、


お気楽な仕事でうらやましいわぁ


とか。
そういう言い方をされて、ほんとに羨ましがられてるんだと思う人は少いだろう。
ケンカ売ってる? とか馬鹿にされていると感じるのではないだろうか。

それでもさらりとその人がかわすのは、あほなおばさんだなと相手にしないからだろう。
それもわからず続けざまに言うあなた達には呆れてしまう。


私もどんどんおばさん度は進んでいくだろう。
図々しくもなるだろう。


だけど、こういう人間にだけはなりたくない。