さらさら

なーんにもない、平凡な日常です。

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海外駐在の方のブログを見た

2008年06月20日 11時59分57秒 | 日常のつぶやき
いやー、驚いた。


私の知らない世界だった。
紹介してあったので商社マンや外交官の妻達のコミュニティも拝見。

気苦労が多そうだ。

まず、

人と接するのが苦手な奥さんなら、本気で悩むだろう。
事実、悩んでいる方もいた。

外国はパーティーは夫婦同伴が当たり前の所が多いし、お返しに自分の家でもパーティーを
するだろう。

テーブルマナーは勿論だが、テーブルウェアにも気を使う。
私の知っている方はテーブルウェア展などに出向いて、お勉強されていた。
自分で工夫して楽しむのもいいだろうが、飾りつけが苦手な奥様もいるのではないだろうか。

食器も揃えなければならない。
和・洋でこのお皿が何枚以上・・・ とアドバイスをくれる会社もあるらしい。

その他日本文化のお勉強。
着付けを習い、お茶やお花を習い・・・。
とても忙しそうだ。

更に現地でのボランティア活動や、バザーなど催し物、お仲間とのお茶会や食事会。
お仲間と言っても上司の奥様もいる。

転勤する国の公用語が英語でない場合の語学勉強もある。
まあ、英語ができれば何とかなるそうだ。

予防接種も行く国によっては色々あるだろう。
・・・お子さんもたくさんするのかしら?
やっぱりするよね?

私がOLをしていた頃、会社で海外の駐在経験を持つ方達のお話を聞く機会が多々あった。
言葉だけじゃない、考え方から習慣から何から違うのだから、それは苦労すると話されていた。

そして派遣される国だ。
治安の良くない国も当然ある。
そして当然、夫婦同伴だ。

ある方が冗談混じりに


「僕は子供がいなかったからそういう国ばかり行かされたんだよ。あいつは○○や○○
ばかり・・・ ズルイよな(笑)」


と言っていた。
この方は、ある国で


物を盗むのはいけない事


盗んだらそれを返さなければ(弁償)いけない事


現地の人達にここから教えたと言う。
盗んで逃げた人の家族・親戚一同が集まって、説明会を催したこともあるそうだw
親族の方が皆で返すと言ってくれたそうだ。


「話はわかってくれた。」


「が、その金額は少し負けろと言われた。」


とのことだ(笑)


その国の文化や歴史を学んで観光できるのは羨ましいが、苦労が多そうだ(汗)

なぜに私が全く違う世界のことが気になったのかと言うと、


ポストに入っていた


転居(転勤)しましたハガキ


を見て、その方の新しい住所(国)にびっくらこいたからなのであった。 

揺れるぜい肉

2008年06月20日 11時19分27秒 | 日常のつぶやき
雨が振りそうなので迷ったが、自転車でさっさと買い物に行った。


雨の方は何とか降らずにいてくれたが、帰り道で気がついた。



太った・・・



また太った・・・



自転車をこぎながら、ふとお腹を見たら



3段腹の2段目



が揺れていた。


ここでショックを受ければ、ダイエットにも力が入るだろうに。
あほな私は歌を口ずさみながら帰ってきたのだった。



お な か が   ゆ れ て る よ ー ん ♪


  ぶ る ぶ る   ゆ れ て る よ ー ん ♪



もうすぐ家という所で



あら? これは何の曲だったかしら?



と考えた。
何かの曲に勝手に歌詞をつけて歌っていたのだけど・・・。


あ!


わかった。
五木ひろしさんの


探していたんだよー♪


という歌だ(曲名わからず)
演歌にはほとんど興味のなかった私だが、年を取ってからは頭の中によく浮かぶようになった。



しかし、こんな歌詞だと五木ひろしさんも怒るよな(笑)  

2004’ 1970年代 先生はすんごーく恐かったです

2008年06月20日 09時49分03秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記
今なら考えられないですが・・・


ぶっ飛ばし先生


でした。
ええ、私も何度かぶっ飛ばされました(笑)

男女の差なく、殴られました。

でも、


「自分が悪いことをしたから」


とわかっていたので当たり前のことでした。
家に帰って親に


「先生に殴られた」


と報告をしたら、母は笑っていましたよ(笑)

ある時殴られた男の子の母親が、父兄参観後のクラスの集会でそのことを抗議したらしい
ですが、居合わせた親は勿論、それを後から聞いた子供達も


「抗議する以前に、<自分の子供はカンニングしたんだぞ>」


と、誰も同情はしませんでした。
そんな時代でした。


ある時、私はまたもや思いっきりぶっ飛ばされました。
旅行中で就寝のために布団が敷いてあったせいか、ほんとに飛びました。
勿論、私が怒られるようなことをしたからです。

翌日、一番前に並ばなくてはならず、昨夜怒っていた先生と話さなくてはいけないことが



すごく辛くて


すごく恐くて


何より先生になんと言えばいいのか・・・


先生はまだ怒っているのではないか・・・


最初にやはり昨夜のことを謝るべきなのか・・・



びびっている私の前に先生が現れました。
私は半分笑顔、半分ひきつり顔でした。
もう目なんてウルウルしていました。

それでも泣かないように必死に


変な笑顔


で定例の報告をする私を見て、先生は笑いながら片手で私の頭をつかみ


ギュッと自分の胸に押し当てました。


今の時代ならエロになってしまうかもしれません(笑)
そんなことを言う人もいるかもしれません。
そういう教師もいるかもしれません。

だけど、そんなものは一切なく、


先生の生徒への愛情


を素直に感じることができた時代でした。



殴った先生の手から



怒っている先生の顔から



言葉から



愛情



を感じることができた最後の時代かもしれません。 

2004’ 1970年代 クラスの男女は仲良く

2008年06月20日 09時36分56秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

小学校時代、クラスの男女は仲が良かった。


私のクラスは朝、昼、そして放課後も男女で仲良くサッカーや野球をして遊んだものだ。

男女に力の差を感じてはいても、まだまだクラスの男の子達は女の子達に好意的だった。
私達女の子が 仲間に入れない と感じたのは6年生の先輩がいる、クラブ活動に
5年生になって初めて参加してからの話だ。

まあ、結局うちのクラスは6年生になっても男女仲良くスポーツをして
いたのだが・・・。

そうだ・・・ 一つだけ苦い経験が有る。

サッカーをしていた時だ。
私は寒いのが苦手で、サッカーは好きでも冬の朝は辛かった。
だからちょっとズルをして相手ゴールの近くに ずっといた 事が有る。

キーパーはいつも明るい、人気者のK君だった。
彼は男女共に人気がある。
まず運動神経がいいし当然、サッカーも上手い。
先生や友人達からもよく誉められていたので、キーパーには絶対の自信を
持っていたと思う。

ところが。
ある時、私のいた所にボールが来た。
そりゃ、いくら誉められてるキーパーだって 1:1 なら無理だ。
私には敵は誰もついていないのだもの。

ええ、ゴールしましたよ。
仲間は皆、大喜びでした。

そうしたら、K君が 泣いてしまった のだ。
これには私もあせった。

女にゴールを入れられる なんて、K君のプライドがいたく傷付いたらしいのだ。
そんな事言ったって、あれは たまたま いい所にシュートを打つ人間がいただけだし、
それを止める人間もいなかった。


K君の問題じゃないよ、偶然だよ、偶然


・・・そう言ってくれる人間も無く(泣) 男子達はK君に同情し、私はいつの間にか
仲間のはずの同じチームの男子からさえも


ひどいやつだ


と、にらまれるハメになった。
そんな空気をひしひしと感じた冬の朝(嗚咽)

まあ、にらまれたのはその時だけだし、K君にはなぜか ごめんね と謝る
ハメにもなった。
私は いい人 であるK君のプライドを傷つけた ひどいやつ になってしまった(涙)

女なんかに・・・ と言うK君の気持ちはわかるが、あれが


いつまでも一緒には遊べないんだ


と感じた最初の出来事だったかもしれない。 


2004’ 1970年代  学校前のあやしいおじさん

2008年06月20日 09時30分27秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記
よく小学校の正門前で放課後、怪しいおじさんがいた(笑)


学校に許可をもらっているはずもなく、だけどそれを先生が止めるでもなく。
おじさん達は堂々とお店を広げていた。

このおじさん達の持ってくる品物がおもしろくて、皆それを見るのが好きだった。
手品に使う商品を売っていたり、スプリングのおもちゃとか、スライムとかを売って
いたと思う。(スプリングのは、階段の上に置いてジャージャーと一段づつ降りてくる物)

親の世代だと子供が集まるのは紙芝居屋さんかな?
そのおじさん達は何度も来るおじさんだっただろうから、子供達もそんなに恐がりも
しなかっただろう。

だけど、私達の時代のこのおじさん達は一度見たら・・・ ほとんどの人が、


「二度と見かけない」


おじさん達だったのではないだろうか。

おじさん達はニコニコと愛想のいい人もたまーにいたが、小学生相手だというのに
ニコリともしない人もいた。
口調もなかなか恐くて、怒ってるような口調のおじさんもいた。

私達はそのおじさん達に



「よくわからない怪しさ」



を感じつつも、ビビリながらも、それでも興味がビビリを上回ってしまって、その人に
恐る恐る近づいたものだった。

ある日、その中で今までにない位、



すんごーい恐いおじさん



がいた。
おじさんはあまり表情もなく、


「・・・だよ。」


とぼそぼそとしゃべる。
おまけにくわえタバコだ。



怪しさむんむん



恐さむんむん



である。
おじさんは決して大声をあげたりしないのだが、それが余計に恐かったりする。

いつもなら子供達が集まって大盛況のはずなのだが、この時はさすがにみんな独特の
雰囲気にビビリまくって、ちょっと見ることはあっても買わずにそそくさと帰っていったと
思う。

おじさんは手品用品を売っていた。

中には初めて見る、とってもおもしろそうな商品もある。
が、どうも今回は手に取って試せない雰囲気だ。


手に取ってみたい・・・


恐々と近づいた私と友達。
最初から買う気はなかったのに手品に使う木箱があって、それに私は惚れてしまった。

絵の描いてある小さな薄型の長方形の箱をマッチ箱のように開けて、中に10円玉を入れる。

箱を閉じる。

そしてまた箱を開けるとあらあら不思議。
10円がなくなっているという不思議な箱なのだ。

そしてもう一度開けると10円がまた現れる・・・。

って、なんのことはない。
入れた10円を乗せている板を移動できるという細工があるのだ。

これが2~300円だったろうか。
もしかしたら500円くらいしたかもしれない。

当時の私は小学生で、お金は文房具を買う時以外は持ち歩かなかったから当然、それを
その場で買えるはずはない。

家に帰ればお金はある。
だけどそれまでこのおじさんは、ここにいるだろうか。

確認をしたいのだけど、



おじさんが恐くて



話しかけられない。
でも箱は欲しい。
欲しい欲しい、とっても欲しい。

恐いおじさんにしたら、もしかしたら私の方が恐かったかもしれない(笑)
じーっと一点を見つめ・・・ かと思うとおじさんの方を向き無言でまたそれを繰り返す。



無口なおじさん


話せない私


そしてそれを黙って見守る友達



沈黙の時は続く。
意を決して私は小さな、消え入りそうな声で


「まだいますか?」


と聞く。
おじさんはうなづいた。

やっと買う決心をして家に帰る。
友達に別れを告げ、往復ともダッシュだった。
車の激しい通りをつっきるので、私は事故にだけ気をつけながら走った。

家に帰り、お小遣いを手にしてまた学校に戻るとおじさんはいた。
この時に私を見つけたおじさんの顔は



ちっとも恐くなかった。



おじさんの顔は寧ろ優しげに見えた。
慣れなのだろうか(笑)
それともおじさんの表情が変わったのだろうか。

私は息を切らせながらおじさんにお金を渡す。
おじさんの周りにはもう誰もいなくて、時間も結構経っていたのでもしかしたら待って
いてくれたのかもしれない。

その時私は子供だったので、そんなことは考えなかったけれど。


苦労して手に入れた手品の木箱は回りにすごく好評だった。
実は一緒にいた友達も、クラスメイトもその箱が欲しかったらしい。
だけどおじさんのあまりの恐さにあきらめたのだった(笑)


私はもう、嬉しくてその箱をいつも持ち歩いていた。


今は当たり前のようにその箱はないのだけれど、この木箱、しばらくは持っていた気がする。

2005’ どうも私のアタマは過去に飛んでっちゃったみたいだ

2008年06月20日 09時12分09秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

しばらくは、むか~しのお話になりそうだ。


ちびまる子ちゃん と言うマンガがあるけれど、あの主人公と昔の自分がダブッて
見える人は多いのではないだろうか。
何て事無い普通の出来事なのに、だからこそ有りがちで妙に懐かしい。

マンガは全部は読んでいないが、私が思い出したのは 夏休みの出来事 だ。

休み前から要領よく荷物を分けて持ち帰ればいいものを、私はまるちゃんと同じで
それをほとんどやっていなかった。

だから終業式の日に大変な荷物を抱えて帰るという・・・(汗)

めんどくさがりだから、当然一回で済ませるつもりである。
最初から友達が一緒にいて手伝ってもらったことも有るし、一人で帰る途中に
まるちゃんの様に (だったかな?) 絵の具箱をぶちまけて、通りかかった
クラスメートの男の子に手伝ってもらったり。

工作作品 画板 絵の具箱 書道箱 画用紙に描いた絵 教科書。
給食当番のエプロン に 帽子 体操着 体操靴 上履き・・・。

そうそう、 ボール 迄持ち帰らなくてはいけなかった(笑)


よく一回で持ち帰ったよなあと、我ながら関心してみる(笑)


2005’ パイゲンC

2008年06月20日 09時08分25秒 | 食べる 

又、思い出した。

私がマミーの前に飲んでいたのは


パイゲンC


と言う飲み物だった。
これも牛乳屋さんからとっていたはず。


これが又、私には足りない量だった。
子供には適量だったのかもしれないけれど、当時の私は


またまた夢を持った(笑)


だが、パイゲンCは私が大きくなる頃にはもう、目にすることは無かったと思う。

それで、これはキャップの裏に 当たりつき♪ だったと思う。
仮面ライダー の記憶が蘇っているのだけど、当たりの絵はライダーだったのかな?

そこら辺の記憶が定かでは無いけれど、焼きゴテでジュッとつけたような絵と
ライダーの顔が浮かんで来るのだ。


懐かしくなって来たので、検索でもしてみようかな。

誰か知っている人いるかな? 


2005’ 元気ハツラツ オロナミンC

2008年06月20日 09時03分58秒 | 食べる 

そうそう、 オロナミンC が好きだった時期が有る。


きっかけは誰かから、オロナミンCをケースで戴いたのだったと思う。

当時、私の周りでは飲んでいる友人は誰もいなかった。
どうも一度、周りから


おっさんか、お前は


みたいな事を言われたのだが、でもCMを見る限りでは 仲良く家族で 
飲んでいるじゃない?  
だから私が飲んでもいいのだ・・・ 何て思っていた。

ただ、あのCMでは皆が好き好きにオロナミンCに色々と入れて飲んでいた。
あれは私には出来なかった。
何を入れれば美味しいだろうかなんて、思い付きもしなかったし。

あのCMを見て、色々と試した方はいるのだろうか。

ジンで割るというのが有った。
他にも有ったと思うのだけど、思い出せない。
しかし、私が覚えている中でショックだったのは


タ・マ・ゴ


卵を入れていた人がいた。
・・・ママだった?

あれってどうなんだろう。
ミルクセーキっぽく飲めるのかな。
・・・・・。


た、試さないぞ


マミーみたくなったら、私はオロナミンCも飲めなくなるもの(笑) 





2005’ 氷の国の生活は恐いよ

2008年06月20日 08時59分06秒 | 北海道

水抜き と言うものがある。


水道関係で、中に水が残らないようにしないと凍って大変な事になるのだが、
私はこの方法をいまいち理解していないようだ。
近所の奥さんとその話をしていてまっ青になった。


え・・・ そのツマミってどこ?  そこもやるの?


そんな感じ。
そう言えば、気温の低い日にお風呂を沸かそうとして驚いた事が有った。

うちは水を貯めて沸かすのではなくてお湯を貯めるやり方にしているのだけど、
釜の火をつけて蛇口をひねったら、


ガガガッ!


と変な音が。
いつもならお湯が出て来るのに出て来ない。


あれ?


と思って見つめているといきなり、


ばーっっっ!!


とお湯が出た。
それも熱湯だ。
ぶわあーーーーー っと湯気が立ち上って一瞬、何も見えなくなった程。
危うく火傷をする所だった。

こんな事も有った。

全くお湯が出ない。
前回の事が有ったので、私はびくびくしながらやかんのお湯を回しかけた。
よく見たら、室内・・・ 凍っていました。

そして今回はストーブだ。

先日の雪はいつもと違って、ベランダに置いてあるタンクの上にも積もった。
いつもはそこまでは積もらない。
そこで私が雪を取れば良かったのに、溶けるまで放っておいたために水が
タンクの中に入り込んでしまった。

今使っているタンクはもしかしたら、室内用? (室外用なのだろうか) なので
口がしっかり閉じずに隙間から水が入り込んだ様だ。

中に溜まった水が凍ってしまって固まりになって、灯油がポンプを通るのを
塞いでしまっていたのだ。

この時期にストーブが使えないというのは大変困る。


寒い(笑)


氷を何とかせねば・・・。 

2003’ 必死のメロン買い

2008年06月20日 08時40分01秒 | 北海道
今日スーパーに行って来たのだけど、去年皆に送って評判が良かった


穂別メロン


が無かった _| ̄|○ 


もしかして時期を外したのだろうか・・・。
そして人気の 夕張メロン も小さいのばっかりだった。


そのスーパーは 観光バスも乗り付ける所 なので、結構見栄えのいい綺麗な
メロンを沢山並べている。 (その割に値段も高くないのだ)

TVのニュースで 夕張メロンの出荷がピーク と言っていたけれど、今年は
あまり出回っていないのだろうか。


夕張メロンは出荷の基準も厳しいだろうし、今年は全体的に数が少ないのかなあ。
いやいや、もしかして去年はいい出来のメロンが多過ぎたのかしらん?

と言う事で、今年は 


富良野メロン


富良野メロン はやっぱり赤肉で、ネットも凄く綺麗なメロンだ。


私は元来、お中元派では無い。
でも、普段色々と頂き物をしているのでやはりお返しをしないと。
と言う事で、私は


電卓持参


で (せこくてすみません) スーパーに行き、青果売り場で周りの事等
すっかり忘れてそれはもう、必死に計算をしたのである(笑)

送り先は2軒3軒では無いからだ。
そうなると


私の頭ではもう計算が出来ない


表示金額に消費税を足して、それぞれの地域の配送料を足して・・・


!!!


予算OVER・・・(汗)

店員さんに聞いてみると、やはり今年は 夕張 と 穂別 のメロンはあまり
動いていないようだ。
富良野メロン がお薦めみたいだけれど、結構高めだ(涙)

送る軒数を減らそうかと又私は、


女々しく いつまでも電卓を叩きまくって


いたら (私は真剣なのだけど) あまりの私の執念に驚いたのだろうか。
店員さんが売り場の偉い方を連れて来てくれたのだった。

その方から


どの位予算をOVERしているのか


聞かれたので、素直に


キリがないんです  ○軒送りたいのだけど今の値段だと○軒しか送れなくて


と言ってみた。
偉い方は うーーーん という顔をしていた。
そりゃそうだ、いくら引いてもらっても予算内は無理。

もっと もっと 引いて なんて私も言う気はないし、あまり時間を取ってもらうのも
申し訳無い。
仕方がないので


予算はOVERだけど、これで・・・


と決心して言いかけると、何と値引きをしてくれました(感涙)


値引きはちょっとだけですが・・・


と申し訳無さそうに言われたけれど、とんでもありません。
贈る人数が多いから、トータルしたらちょこっとどころの値引きでは無いのだ。

あああ、助かった。


空港でメロンを買おうとして、値段の高さに驚き躊躇している方をたまに
見かける。
メロンを買うのなら空港だけでは無く、 普通のスーパー を見る事をお薦めする。
今はそこから配送出来る訳だし。
観光バスが乗り付ける所は高い所も有るかもしれないけれど、それでも普通のスーパーの方が
いくらかは安いと思うし、中には今回私が行った様な良心的な値段の所も有ると思う。

その良心的なスーパーで更に値段を引かせた私・・・(汗)


鬼や


あんたは鬼や


と、これを見た友人達に言われそうである。 

はっ、また自分の分を買うの忘れた(笑)