さらさら

なーんにもない、平凡な日常です。

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2005’ ストーブは命なんです

2008年06月21日 14時55分23秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

北海道のストーブは高い


と思った。
普通のファンヒーターでは無いし、灯油を使うけれど煙突が付いている。
そして横に大きくて15畳用や20畳用があって、価格は6万も7万もする。

灯油のタンク は内臓では無くて、外に置く別タンクだ。
そこから壁の穴を通っているホースで部屋の中のストーブに灯油を送り込んでいる。


そのストーブの調子が悪くて、急に止まってしまった。


おーい、待ってくれ(汗)


今、外は氷点下だ。
なのにストーブが壊れたら、私は凍死してしまう。

多分、ポンプの調子が悪いと思うのだ。
外の灯油を送るホースが詰まっているか、空気でも入ったか。


どうでもいいけど、寒いです(涙)


スイッチを入れても、


ぽん ぽん ぽん ぽん ぽん ぽん ぽん ぽん ・・・


って (桃太郎侍みたいだ・・・)  
音が続いてその後、自動的に消火になってしまう。
昼間はまだいいけれど、夕方になったら凍えてしまうぞ。

こたつ はどこかにあったと思うけれど出していない。
ここでは皆、こたつは使わないみたいだ。
ストーブ一台で暖かいから。

だからこんな時は困る。
さてさて、どうしよう。

夕方になったら主人が帰る迄、スーパーにでも逃げ込もうか。
いや、ずっと夜中スーパーで買い物している訳にも行かない。


私はあせって部屋の押入れをあちこち見る。
すると、何と押入れに


セラミックヒーター (じゃーーーーーーーん!)


なる物が有るではないか!?
・・・うちの押入れは ドラえもんのポケット か。

これは主人が独身の頃に本州で使っていた物かな?
私は今迄見た事は無かった気がする。
でも、これは助かった・・・。

部屋は暖まらなくても側に置いて点ければ、私自身は暖かい。
しばらくこれで過ごす事にしよう(涙)


私は喜んでヒーターを点ける(喜)
すると、


バ チ ー ン!


突然部屋の電気が消えた・・・。


あれ?


コレハ ナーンデスカー? (なぜか外国人口調)


もしかして、これが ブレーカー落ちたよ と言う事だろうか。
自慢では無いが、と言うかお恥ずかしながら私はブレーカーが落ちて
それを直した経験がない。

暗闇の中、私はあせる。
非常用の懐中電灯 が有るはずなのに、 どこに置いたっけ? とあせる。
仕方が無いので 携帯の薄い明かり を、頼みにしてブレーカーを探す。
確か玄関に有ったような・・・ あれかなー?

んー・・・ 前に そういう時はスイッチを上げるだけ と聞いた気がする。
しかしスイッチが沢山有って、わからないではないか(汗)

よく考えたら全部その場で上げればいいのだ。
なのにその時の私はまるで、


赤と白の線を間違って切ったら 爆発 する


並にブレーカーのスイッチを恐れていたのだった。
更にブレーカーの位置が上過ぎて、私の身長では届かないではないか(涙)


部屋に戻り考える。
前に買っていた ? マークみたいな肩のツボを押す棒があったはず。
それを思い出して棒を探す。


あった!(喜)


私はスイッチを全部あげてみる。


あああ、点いたよ 点いたよ(涙)


そうして私は何とか暖まる事が出来たのだった。


そしてその頃。
仕事中だと言うのに可哀想に、私から何通もメールをもらった主人は・・・。


爆笑


していたらしい。
なぜ笑うのだ(笑)

私が主人に送ったメールは3通。


「ストーブが壊れました」


「押入れでセラミックファンヒーターを見つけました。これ、使えるかなあ?」


「えーと、ブレーカーはどこですか?」


この3行で、


私が あせりながら解決しようと動き回り


私が 涙目のところにヒーターを見つけ喜び


私が それはもう、大喜びでスイッチを入れた途端にブレーカーが落ちた


事を簡単に想像出来て、爆笑したのだった。 


2006’ 今回は間違いなく インフルエンザ

2008年06月21日 13時46分38秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

熱は二日で下がったのに、たった二日間で 体力がすごく落ちた 感じがした。

後にひくのだ。
これがインフルエンザなのだな と思った。

お年を召した方にはすごく辛いだろうとも思った。
老人には危険 だと言うのがよくわかる。


話が戻るが今回、私は病院に行った。
ただ、婦人科に通院していたので内科ではなくて 婦人科 に行ったのだ。
さすがに熱が9度を越えてヤバイと思ったので、薬を飲んでもいいか病院に
電話をして聞く事にした。

たまたま私の担当の先生が当直だったようで、内科ではなくて婦人科に来なさいと
言って頂いた。

当日は 産婦人科で妊婦さん達に移したら えらいこっちゃ なので、私はマスクを
していつもの待合場所とは思いっきり離れた所に座った。
病院も事前に状況がわかっていたので、私は受付後すぐに呼んでもらう事が出来た。

電話をした時は熱が9度だったのに、翌日病院では7度4分。
それでも検査をしてみようと言う事になった。

きっとインフルエンザだろうと病院に行ったのに、検査を


「やってみる?」


と言うのがまたおもしろい(笑)
私がこれまで


インフルエンザにかかった事が無い


と言うので、先生と看護師さんが 一芝居うってきた(おい)
先生が目を伏せて言う。


先生 「ちょっとこれは痛くて苦しい検査なんだよね・・・」


私  (ごくり・・・)


看護師さん 「ああ、先生もやりましたよね」


ええええええええええええええええ?! (滝汗)


そんな そんな そんな・・・ (ぶるぶるぶる)


血液取るんじゃないの?  ねえ、違うの?(涙)


先生 「そうそう、私は去年、予防接種をしながらインフルエンザにかかりました」


そう、肩を落とす先生。


意 味 な い じゃ ー ー ー ー ん !


なんて言いたくても、今は言っている時じゃない。
何やら検査の棒を取り出す看護師さん。
綿棒? みたいなそれは 12、3cm以上 は有るだろう。

これを突っ込むのだと言う。


ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~ (号泣)


先生 & 看護師さん 「覚悟を・・・」


ってアンタ達、一体私に何を・・・。
もうどうしようも無いので、私は覚悟を決めて目をつぶる。
そして座ったまま上を向く。

綿棒を 鼻から入れる と言う。
あの長い棒が全部入るのかと驚愕する。
そんなのは


鼻カメラ


以来だ。
それでも痛かったら嫌なので、私は体の力を抜き


鼻を心持ち広げる


いよいよ、棒が入る・・・ 私は構える。


右の鼻の粘膜をちょちょ


左の鼻の粘膜をちょちょ


え? 


終わりっすか?


私は貯め込んだ恐怖をどこに持って行っていいのかわからずに、二人に


ヴヴヴヴヴェ~?


と訳のわからない言葉を発する。
先生は真面目な顔をして、


先生 「脅しておかないとね、一応」


と言う、訳のわからない事を(涙)


そこから早く帰りたいのに、検査結果がわかるまで1時間位かかると言うので
私は外に出て時間をつぶす。
体はしんどいのに、病院でじっとしているのは苦痛だ。
だから病院の回りを散歩する・・・ と言う訳のわからない行動をとる。


結果、インフルエンザ。


流行りのA型が出ました~。


2006’ 初めてのインフルエンザ

2008年06月21日 13時25分19秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

うふっ♪(涙)


まあインフルエンザは多分、初めてではないのだろう。
3~4年に一回、高熱を伴う風邪は昔からひいていた。
でもその時は3日寝込もうと、私は医者には行かなかったのだ。

今思うと、それはインフルエンザではなかったのだろうか・・・。

今回。
どう考えてもひきこもり気味の私の行動範囲は狭い。
狭すぎる。
人とあまり接していない。

高熱を出す前日。
私が地面の氷を割っていたのを手伝ってくれた奥さん。
こちらは1M以内に近づいていないと思う。

そして日用品チェーン店。
店内はガラガラで人と接したのはレジのみ。

そうすると、そうすると。
あと思い当たるのは


病院


のみ。
私は何と、 病院からインフルエンザをもらって来ると言う・・・ あほな事を
したのではないだろうか。

主人から、 マスクをした方がいいよ と言う、ありがたいアドバイスを
受けていながら。
使い捨てマスクを箱で買っておきながら。


そう! 何もせずに病院に行きましたとさっ。


あああああ。
ほんとにあほだ。
待合室でゲホゲホと咳き込んでいる人が一人いた。
同じく咳き込んでいる子供が一人。

あの方達は


インフルエンザ君?


それしか考えられない。
そして、二日間熱が9度を越えてさすがの私もぐったりと寝ていたのだった。

ところが。
前にも書いた様に、私と言う人間は余程の事が無いと 食欲 が落ちない。
落ちてきても うどん や おそば を食べる。

しょっぱな、ちゅるちゅると少しだけ食べても数時間後には


その残りを食べる


と言う、意地汚い人間だ(笑)


え? そう、うどんですよ


主人にてんぷらうどんを作ってもらい、1/3食べた所で寝る。
数時間後に起きて、テーブルに戻るとうどんがそのまま置いてある。
お腹がすいたので私はうどんを食べる。


のびてグタグタになっているうどんは、ある意味病人に優しい(おい)  


味も染み込んでいる。
そしてまたベッドに戻り、休んでは


うどんを食べに来る


と言う執着心。
主人が驚いたのは言うまでもない。

この 食べ物に対する執念深さ が、私を元気にするのだ。
うむ。


過去の日記 おさるさんの 「あーいあい♪」 って・・・

2008年06月21日 13時17分57秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

あ~いあい♪ あ~いあい♪ おさ~るさ~んだよ~♪

この アイアイ って・・・ アイアイという動物 がいたのね。
私はてっきり 

かけ声


とか、 


お猿キャラの名前


だとばかり思っていた。
これって何だか、物凄いショックだ(笑)

実はこの曲自体、周りの人が歌っていたのを聞いただけで私は馴染みがない。
この曲を詳しく知っている人は、アイアイが マダガスカル島に生息する動物 だと言う事を
知っているのだろうか。
え? 知っていて当たり前?(笑)

調べていたら現地ではアイアイは悪魔と恐れられ、見つかれば殺されていたそうで
今は絶滅寸前と聞いた。
歌のかわいいイメージが・・・ これは調べない方がいいな(汗)

数年前の時点で数百頭らしい。
ただその動物を保護する動きもあって、現在は上野動物園で見られるとの事。

是非一度、お会いしたいものである > アイアイ

訪問 その2

2008年06月21日 10時36分46秒 | 国内

四人で計画していた旅行は三人となり、二人となった。


当然、一人当たりの旅行代金は高くなる。
移動のタクシー代もそうなると、半端な額ではなくなる。
普通に行ったら飛行機とホテルその他で10万円近くかかるのだ。
私は色々な旅行会社のツアーを必死に見比べた。

目的は友人にお線香をあげに行く事だ。
だが、金額を考えれば ツアーで行く 方法しかない。
所が、ツアーだとホテルに着くのは夕方から夜が普通。
これでは一番の目的の友人の家への訪問が難しくなってしまう。

結局、 飛行機とホテルのセット を選ぶ事にした。
来年の1月か2月を考えた。
二人なので一人当たり代金が4万円近い。

それでも、これが一番安いのだ。
もうこれで決めようか・・・ そう思っていた。

悩む私を見かねたのか(笑)、航空会社系列の旅行会社のお姉さんがアドバイスをくれた。
レンタカーとホテル、飛行機のセットで安いのが有るので、それを選んで
レンタカーを放棄すればいいと。
そういうのは考えていなかったのでありがたい。
ただ、これは結局チョイスしなかったのだけれど・・。

友人とメールや電話で打ち合わせをし、ほぼ決めかけていた時だ。
「明日、予約を入れるね」 と言いながら、また私はネットでつらつらと
パックを見ていた。


!!! 


に・・・ に・・・ にに・・・ ににににに


にまんえんだいがある・・・


飛行機にホテル二泊で 二万円台 が有ったのだ。
それも今月。
いや、いくら何でも急過ぎて無理だろう。
行くのは私一人じゃないし・・・ でも一人当たり一万五千円も違うのだ。
二人で三万円も浮いたら、タクシーだって頼めるではないか。

私は思わず、


今、安いのを見つけてどきどきしています


と友人にメールを打った。
このパック、昨日迄は出ていなかった気がする。
それとも私が来年のカレンダーばかりを見て、見落としていたのか。
もしかしたら、直前の空きの多い日をバーゲンで売りに出したパックなのかもしれない。


とりあえず、落ち着かねば


すぐに友人から返信メールが来た。
「行ける」 らしい。


ぎゃああああああああああ


自分で聞いておきながらあせってしまった。
自分のスケジュールを確認する。


うっ、私も行ける・・・


もう、頭の中で


その差15,000円


がこだましているのだ。
これは行くしかないだろう。

いつか行くというのは、なかなか実現しないものだ。
今を逃したら、次はいつ行く事になるかわからないだろう。


もう後悔はしたくない


亡くなった友人との話だって、いつか中間地点で会おうねと言いながら何年も
実現しなかった。
亡くなった今になって行くと言うのも、悲しい事だがだからこそ、行きたいのだ。


私は旅行会社に予約を入れた。

日にちがないので、大慌てで準備しなければ。



訪問

2008年06月21日 10時29分07秒 | 国内

訪問が現実味をおびてきた。


行くのなら早い内に・・・ と言う案があって、早速又ネットで色々と調べてみる。


ふわあーっ、遠い、遠い、遠過ぎる・・・


思わず又、亡くなった友人を思いながら


あんたっ、どこ住んでたのよっ(笑)


等と部屋で一人でしゃべっちゃった(笑)
でもすごくいい所だ。
ネットで何度見てもそう思う。

観光地で、ホームページに写真をあげている人が沢山いたので見てみたが、
いい景色ばかりだった。


彼女の生まれ育った所を見てみたい


という思いが沸々と沸いても来る。
しかし、口でいくら行きたいと言っても実際に行く話となると・・・。
皆もうそれぞれ働いていたり主婦だったり・・・ 職場で仕事を調整したり、旦那様にも
許可を取らなくてはならないだろう。
行く理由は叶っているが、かかるお金もすごいと思うから。

主婦になると自分でお金を自由に使うと言う事に、遠慮を感じる様になる人もいる。
旦那様次第かな。
旦那様は例えOKでも、やっぱり家庭を預かる主婦としては二の足を踏むと言うのも
わかる。

だから勿論、強制はしない。
もしも最後に私一人になったとしても、私は多分一人で行くと思う。


そして数日後。


最初、 四人で行く予定だった追悼旅行? は、何と二人になってしまった。
まあ、予想はしていた。
最初に行きたいねとは言っても本当に、それもすぐに行くとなったら話は別だろう。
声をかけて、その時の相手の仕事の状況や反応で大体わかっていた。
多分、行けるのは二人だろう・・・ もしかしたら、私一人だろうとは思った。

それでも私は行くつもりだった。
独りよがりかもしれない、自己満足かもしれない。
でも、行かずにはいられない。
葬儀に参列しなかった私は、行って彼女ときちんとお別れをしたい。
お別れと言うよりも、


謝りたい


のだ。


彼女が辛かった時に、わかっているつもりで全然わかっちゃいなかった、優しく
なかった自分の事を謝りたいのだ。

一人、賛同してくれた友人がいた。
彼女の旦那様は、 「行っておいで」 と言ってくれたと言う。
亡くなった彼女と一番仲の良かった友人は、行っては迷惑をかけるしご家族の気持ちを
考えると行くべきではない・・・という結論になったようだ。
それは私も考えた。
考えた上で、


それでも行きたい


と思った。
私は勇気を出して彼女の実家に電話を入れた。
私が電話をかけることで、彼女のお母様は一層、辛い思いをするかもしれないからだ。
亡くなって、まだそんなに日も経っていない。

名前を告げ、彼女の学生時代の友人だと言いかけた時、お母様の方から私の下の名前を
言っていただいた。
結婚して姓が変わっていたからなのだが、相手が私の事をわかってくれていて、ほっとした。
いきなりで、それもこんな時期に伺いたいというのは非常識で失礼なのかもしれないけれど、


それでも、私は彼女にお線香をあげたい


それをお母様に伝えた。

やんわりと遠慮されると思っていたのに、お母様は即、 ありがとうございます と
言ってくださった。
そしてその後、二人で涙声になりながら色々と話をした。
良かった。
お母様に了承していただいたのだ。

後は予約を取って行くだけになった。
年が明けてから、落ち着いた頃に・・・ そう思っていた。

彼女のいた実家は交通の便が悪くて、バスでものすごく時間がかかる。
タクシーを頼むと 一人6,000円 位かかるかな。
しかしバスでも、その位はかかるのだ。

タクシーで、彼女の生まれ育った所を回ろうと思う。


2004’ 追悼 その2

2008年06月21日 10時22分16秒 | 国内

友人の死について考えていた。


ここ数日、ずっと友人の死について考えていた。
楽しい思い出が蘇る度に涙が出る。

昨日思ったのだが・・・ 私は勝手に まさか・・・ なんて思っていたが、
もしも病気で亡くなったのなら、今頃C子は


天国で怒っているよなあ・・・


なんて。
今日、友人から電話が来た。
彼女のお母様と話せたらしく、亡くなった理由は病気で有ったらしい。
精神的にはやはり、とても辛かったらしく 死にたい と言っていたのも
本当だった様だ。
それでも、


まさか・・・ ではなかった


のだと。
最後はあまり苦しまず・・・  そう聞いて少しはほっとしたのだった。

すぐにでも行ってお線香をあげたいが、場所が遠く行き方もよくわからない。
今はお悔やみとして、お香典を送ろうと思う。
一緒に封筒に入れようと思い、ご両親宛てに手紙を書いていたが書いている途中、
涙が止まらない。


こんなに辛い思いで手紙を書いた事なんて無かった


それを読むご両親も辛いかもしれない。
けれど、何か書かずにはいられない。

すぐでなくていいから、友人達と彼女の故郷を訪ねたいと思う。


2004’ 追悼

2008年06月21日 10時17分31秒 | 過去のお気楽日記&過去の日記

私は昔、炭酸飲料が苦手だった。


コーラ を飲みはしたけれど、少しづつ飲む事しか出来なかった。
あの強い炭酸が喉を通るのが苦手だったのだ。

学生時代、私はC子と仲良くなった。
多分、きっかけは講義の時の席が隣だった事からだと思う。

彼女はいつも、明るくてカラカラと笑う元気な子だった。
私達は急速に仲が良くなり、一人暮らしをしていたC子の部屋に
私はしょっちゅう泊りに行く様になった。

週末は二人で色々な所に行って、深夜迄遊んでいたりした。

彼女の部屋で缶のコーラを飲んだ事が有る。
彼女はいつも飲み物は 一気飲み だ。
私はいつまでもチマチマと飲むタイプだ。
おまけにこの時はコーラ。
でも、ゴクゴクと気持ち良さそうに飲む彼女を見ていたら、私も何だか
ゴクゴクと飲みたくなった。

最初の一口はすごくきつかったけれど、その時から私は炭酸飲料をゴクゴクと
飲める様になったのだ。

社会人になって彼女は関西に行った。
私は一度だけ、彼女の家に泊りに行った事が有る。
しばらくはそこにいたが、やがて彼女は郷里に戻った。

彼女はいつも 睡眠薬 を飲んでいた。
話を聞いた私は心配して、あまり飲み過ぎない様言ったが彼女は 眠れないのだ と
言っていた。

私が結婚しても、彼女とはメールでやり取りしていた。
仕事の事や愚痴等・・・ 中には 辛いだろうな と感じるメールも有った。

彼女は私の事を 恵まれている とよく言っていた。
それなのに自分は・・・ と。
この頃彼女はネガティブになっていたと思う。
早く結婚したいとも言っていた。
私は彼女に早く生涯の伴侶が現れることを祈っていた。

一昨年位前だったと思う。
彼女から 大怪我をした とメールが入った。
大きな手術もして、すごく辛いと言っていた。

大怪我の経験の有る私は、だからこそアドバイスは出来なかったが 
すぐに改善しない と言う彼女に、


そういう怪我は自分と向き合って 少しづつ治して行くしか無いのだ・・・


と言うメールを返したりした。


目に見えて良くはならなくても、振り返ってあの頃よりは良くなったと言う事が
有るよ・・・ 


と返した。
出来る限り彼女を励ました。

怪我以来、彼女から時折来るメールは愚痴だけになった。
私が励ましを返して、 そうだね と言う時もあったが中々彼女も暗い中から
抜け出せないでいたのかもしれない。

他の友人達も話をしてもそういう状態なので、段々疎遠になっていった。

ある日、私に


死にたい


とメールが来た。
私は


死んだら ~できなくなるよ(笑)


とわざと、なるべく明るく返した。
確か、それだけ。
辛いのに頑張っている彼女に何も言えなかったし、私は死にたいと言う人に
優しい言葉はかけられなかった。
それ以外の事に関しては、 こうしたらどうかな? 位の提案は返していたと思う。

会社もつまらなく、人間関係も上手く行かない と言っていた彼女。
家族とさえもトラブっていた様だった。

それから、彼女のメールは途絶えた。

たまに彼女の事を思い出しては気になっていたが、私もメールはしなかった。
一度だけ、去年だが 元気? と言うメールを出したが彼女からの返事は
無かった。
彼女は私へのメールは会社のパソコンからくれていたはず。
もしかして会社を辞めたのかもしれない と思い、そのままにした。

死にたいと言っていたし、気になって何度か実家に電話をしようかとも思ったが、
家族とも上手く行っていない様だったので、それもしなかった。

数日前、彼女のことを思い出した。
私はまた主人に 友達でこういう子がいたんだよー と言う話をした。


いつも明るく笑う子でね、教授にもすごく気に入られてね・・・


そして今日。
学生時代の友人から電話。

彼女の実家から


喪中のハガキ


が届いたと言う。
亡くなったのは


彼女


病気かもしれない。
でも時間が経ったとは言え、彼女は死にたいって言っていた・・・。
聞く訳にも行かない。
なぜ彼女が亡くなったのかはわからない。

まさか・・・ とも思った


私に何が出来ただろうか。
もっと気を使って彼女に連絡を取れば良かっただろうか。
それは私の奢りだ。

私には何も出来なかった。
彼女自身の問題に入る事なんて出来ない。
解決する事も無理だ。

私に出来る事は、彼女が私にメールで話したいと思った時に、彼女と話す事
だけだった。

彼女の事を考えながら、歩いた。
彼女が万が一・・・ 病気で亡くなったのではなかったならばと・・・ 考えながら
歩いた。
彼女も苦しんだのだと思った。


今は天国で楽になっただろうか。