猟盤の日々改めDEADMAN IS ALIVE!

ヴィニル・ジャンキーの猟盤話から死んだ人の話を経て、呑み屋の話になったり、ギターの話になったり。。。

「たちのみ」について

2008-04-25 | 食い物・バー
初めて立ち飲みやに行ったのは大学生の頃だ。
渋谷の東急文化会館の向かって左に角の滝沢酒店、今はもう「タキザワビル」という名前だけが残っている。渋谷のハチ公が死んだのは昭和10年3月8日、渋谷3丁目18の滝沢酒店横路地で当時の経営者滝沢春野氏が発見したとのことである。その場所は今の山下書店のビル、渋谷警察の明治通りをはさんだところだ。当時はそちらに店舗が存在したのかもしれない。

北九州地方では、酒屋で立ち飲みすることを「角打ち(カクウチ)」というらしいがそこはまさにそれにふざわしい。基本の酒は日本酒、つまみは缶詰、乾き物で20時で終了である。その後、1970年半ば、新宿伊勢丹の一階明治通り側にできた北海道池田町町営の「十勝ワインバー」によく行った。樽のテーブルでジョッキのワイン、フランスパンにパテとエスカルゴというビストロメニュー。でも時々お湯で洗ったばかりの温かいジョッキで出てくる時があった。いつごろ閉店したかみんな覚えていない不思議な店である。

1980年代に入ると新橋のうなぎ串焼きの名店「たち木」に通いだす。肝焼、短尺、倶利伽羅焼に冷酒、つまみのオーダーは最初の一回のみ呑み終わった客はみな食器をさげ、ふきんでカウンターをきれいに拭いて帰る規律の整った店であった。今でも健在。

その他にもずいぶん、いろんなところで立って呑んで来たし、今も呑んでいる。新宿アイララのカウンター、渋谷だったら富士屋本店、第三福ちゃん、のんべい横丁の莢でもほとんど立って呑んでいる。青山、なるきよ、自由が丘あつまり、浜松町秋田屋、恵比寿の準角打ち、梅暦酒店、Q、whoopee、Tapachos、TIO DANJO BAR
18番、縄のれん、今は亡き牡丹でも立ち飲み、大井町むら上、武蔵屋酒店、勝どきかねます、2003年11月19日に閉店した銀座クール・・・・・・。

写真はすべて渋谷の富士屋本店。地下にあるのも珍しいが詰めれば80人は入るのはたぶん日本一では。30年前から来ている常連親父に混ざって若い音楽関係、のんべいOLなど毎晩賑わっている。スタッフ募集中です、ぜひ。

下はたちのみやでちょっとだけ気を遣ってほしいところを僕なりに挙げた。異論もあると思うがいかがでしょうか。

たちのみや10か条

1.まずはシステムをつかめ
店によってオーダー方法、支払い方法は千差万別なので初めての店ではまごつかぬように。

2.占有スペースは最小に
カウンターはできれば幅30センチ以内に。たくさんオーダーし過ぎないことが肝 心。⇒ダークダックス・スタイル

3.姿勢が大事、背筋は伸ばして
猫背はいけない。

4.隣の人にも店の人にも安易に声をかけぬよう
独りで呑みたい人もいる。話しかけたい時は相手の様子を見て。たちのみやは従業員も忙しい。話すときは短めに。

5.オーダーははっきり、短く
注文する時に迷ったり、話しが長くなってしまう人がいる。余計な形容詞、助詞は省いて簡潔に。

6.値段を考慮せよ
富士屋でてんぷらに天つゆはないかとかとり皿をくれと言って店員に怒られているのを見たことあり。

7.長居は無用
長くて1時間以内、ある立ち飲みやで常連らしき客が現れ何も言わなくても酒とつまみが出てきて5分で帰ったのを見たことがある。その間一言も発せず。けっこうかっこよかった。

8.大人数はだめよ
3人ぐらいまでが妥当かと。

9.イヤホン、新聞、雑誌、本はいかがなものか
独りで来てIpod聴くより全体のノイズを感じてほしい。本読むよりマンウォッチング!

10.帰る時はひとこと
一人の場合帰ったのかどうか店の人が分からないことがある。ご馳走様の一言、基本。


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