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坂口安吾『堕落論』を読む 5 ファルス  共通テスト実施

2021-01-22 22:25:24 | 日記
A.突き放す「童話」「狂言」「伊勢物語」
 坂口安吾の名を高からしめた『堕落論』だが、これはエッセイで『続堕落論』を含めても、そう長いものではない。小説家としては1930年頃から「風博士」などの作品を書きながら同時に評論も発表していて、戦争中も旺盛に執筆しているが、もちろん「堕落論」のような反戦的内容は、戦前は御法度だからもっぱら非政治的なファルス(笑劇)的文学論や日本文化論が多い。いま岩波文庫になっている『堕落論/日本文化史観』には表題作の他おもな評論22編が収められている。前半11編は戦前に書かれたものである。そのひとつ、「文学のふるさと」(1941年8月『現代文学』に発表)を読んでみる。

 「シャルル・ペローの童話に「赤頭巾」という名高い話があります。既に御存知とは思いますが、粗筋を申上げますと、赤い頭巾をかぶっているので赤頭巾と呼ばれていた可愛い少女が、いつものように森のお婆さんを訪ねて行くと、狼がお婆さんに化けていて、赤頭巾をムシャムシャ食べてしまった、という話であります。まったく、ただ、それだけの話であります。
 童話というものには大概教訓、モラル、というものが有るものですが、この童話には、それが全く欠けております。それで、その意味から、アモラルであるということで、仏蘭西では甚だ有名な童話であり、そういう引例の場合に、屡々引合いに出されるので知られております。
 童話のみではありません。小説全体として見ても、一体、モラルのない小説というのがあるでしょうか。小説家の立場としても、なにか、モラル、そういうものの意図がなくて、小説を書きつづける――そういうことが有り得ようとは、ちょっと、想像ができません。
 ところが、ここに、凡そモラルというものが有って始めて成立つような童話の中に、全然モラルのない作品が存在する。しかも三百年もひきつづいてその生命を持ち、多くの子供や多くの大人の心の中に生きている――これは厳たる事実であります。
 シャルル・ペローといえば「サンドリヨン」とか「青髯」とか「眠りの森の少女」というような名高い童話を残していますが、私はまったくそれらの代表作と同様に、「赤頭巾」を愛読しました。
 否、むしろ、「サンドリヨン」とか「青髯」を童話の世界で愛したとすれば、私はなにか大人の寒々とした心で「赤頭巾」のむごたらしい美しさを感じ、それに打たれたようでした。
 愛くるしくて、心が優しくて、すべて美徳ばかりで悪さというものが何もない可憐な少女が、森のお婆さんの病気を見舞に行って、お婆さんに化けて寝ている狼にムシャムシャ食べられてしまう。
 私達はそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。
 その余白の中にくりひろげられ、私の目に沁みる風景は、可憐な少女がただ狼にムシャムシャ食べられているという残酷ないやらしいような風景ですが、然し、それが私の心を打つ打ち方は、若干やりきれなくて切ないものではあるにしても、決して、不潔とか、不透明というものではありません。何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ、であります。
 もう一つ、違った例を引きましょう。
 これは「狂言」のひとつですが、大名が太郎冠者を供につれて寺詣でを致します。突然大名が寺の屋根の鬼瓦を見て泣きだしてしまうので、太郎冠者がその次第を訊ねますと、あの鬼瓦はいかにも自分の女房に良く似ているので、見れば見るほど悲しい、と言って、ただ、泣くのです。
 まったく、ただ、これだけの話なのです。四六判の本で五、六行しかなくて、「狂言」の中でも最も短いもののひとつでしょう。
 これは童話ではありません。いったい狂言というものは、真面目な劇の中間にはさむ息ぬきの茶番のようなもので、観衆をワッと笑わせ、気分を新たにさせればそれでいいような役割のものではありますが、この狂言を見てワッと笑ってすませるか、どうか、尤も、こんな尻切れトンボのような狂言を実際舞台でやれるかどうかは知りませんが、決して無邪気に笑うことはできないでしょう。
 この狂言にもモラル――あるいはモラルに相応する笑いの意味の設定がありません。お寺詣でに来て鬼瓦を見て女房を思いだして泣きだす、という、なるほど確かに滑稽で、一応笑わざるを得ませんが、同時に、いきなり、突き放されずにもいられません。
 私は笑いながら、どうしても可笑しくなるじゃないか、いったい、どうすればいいのだ……という気持ちになり、鬼瓦を見て泣くというこの事実が、突き放された後の心の全てのものを攫いとって、平凡だの当然だのというものを跳躍した驚くべき厳しさで襲いかかってくることに、いわば観念の眼を閉じるような気持になるのでした。逃げるにも、逃げようがありません。それは、私達がそれに気付いたときには、どうしても組みしかれずにはいられない性質のものであります。宿命などというものよりも、もっと重たい感じのする、のっぴきならぬものであります。これも亦、やっぱり我々の「ふるさと」でしょうか。
 そこで私はこう思わずにはいられぬのです。つまり、モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、そこでは、モラルがない、ということ自体がモラルなのだ、と。
 晩年の芥川龍之介の話ですが、時々芥川の家へやってくる農民作家―ーこの人は自信が本当の水呑百姓の生活をしている人なのですが、ある時原稿を持ってきました。芥川が読んでみると、ある百姓が子供をもうけましたが、貧乏で、もし育てれば、親子供倒れの状態になるばかりなので、むしろ育たないことが皆のためにも自分のためにも幸福であろうという考えで、生まれた子供を殺して、石油缶だかに入れて埋めてしまうという話が書いてありました。
 芥川は話があまり暗くて、やりきれない気持になったのですが、彼の現実の生活からは割り出してみようのない話ですし、いったい、こんな事が本当にあるのかね、と訊ねたのです。
 すると、農民作家は、ぶっきらぼうに、それは俺がしたのだがね、と言い、芥川があまりの事にぼんやりしていると、あんたは、悪いことだと思うかね、と重ねてぶっきらぼうに質問しました。
 芥川はその質問に返事することができませんでした。何事にまれ言葉が用意されているような多才な彼が、返事ができなかったということ、それは晩年の彼が始めて誠実な生き方と文学との歩調を合わせたことを物語るように思われます。
 さて、農民作家はこの動かしがたい「事実」を残して、芥川の書斎から立去ったのですが、この客が立去ると、彼は突然突き放されたような気がしました。たった一人、置き残されてしまったような気がしたのです。彼はふと、二階へ上り、なぜともなく門の方を見たそうですが、もう、農民作家の姿は見えなくて、初夏の青葉がギラギラしていたばかりだという話であります。
 この手記ともつかぬ原稿は芥川の死後に発見されたものです。
 ここに、芥川が突き放されたものは、やっぱり、モラルを超えたものであります。子を殺す話がモラルを超えているという意味ではありません。その話には全然重点を置く必要がないのです。女の話でも、童話でも、なにを持って来ても構わぬでしょう。とにかく一つの話があって、芥川の想像もできないような、事実でもあり、大地に根の下りた生活でもあった。芥川は、その根の下りた生活に、突き放されたのでしょう。いわば、彼自身の生活が、根が下りていないためであったかも知れません。けれども、彼の生活に根が下りていないにしても、根の下りた生活に突き放されたという事実自体は立派に根の下りた生活であります。
 つまり、農民作家が突き放したのではなく、突き放されたという事柄のうちに芥川の優れた生活があったのであります。
 もし、作家というものが、芥川の場合のように突き放される生活を知らなければ、「赤頭巾」だの、さっきの狂言のようなものを作り出すことはできないでしょう。
 モラルがないこと、突き放すこと、私はこれを文学の否定的な態度だとは思いません。むしろ、文学の建設的なもの、モラルとか社会性というようなものは、この「ふるさと」の上に立たなければならないものだと思うものです。
 もう一つ、もうすこし分かり易い例として、伊勢物語の一つの話を引きましょう。
 昔、ある男が女に懸想して頻りに口説いてみるのですが、女がうんと言いません。ようやく三年目に、それでは一緒になってもいいと女が言うようになったので、男は飛びたつばかりに喜び、さっそく、駈落ちすることになって二人は都を逃げ出したのです。芥の渡しという所をすぎて野原へかかった頃には夜も更け、そのうえ雷が鳴り雨が降りだしました。男は女の手をひいて野原を一散に駆けだしたのですが、稲妻にてらされた草の葉の露をみて、女は手をひかれて走りながら、あれはなに?と尋ねました。然し、男はあせっていて、返事をするひまもありません。ようやく一軒の荒れ果てた家を見つけたので、飛びこんで、女を押入れの中へ入れ、鬼が来たら一刺にしてくれようと槍をもって押入れの前にがんばっていたのですが、それにも拘らず鬼が来て、押入れの中の女を食べてしまったのです。生憎そのとき、荒々しい雷が鳴りひびいたので、女の悲鳴もきこえなかったのでした。夜が明けて、男は始めて女がすでに鬼に殺されてしまったことに気付いたのです。そこで、ぬばたまのなにかと人の問ひしとき露と答へてけなましものを――つまり、草の葉の露を見てあれはなにと女がきいたとき、露だと答えて、一緒に消えてしまえばよかった―ーという歌をよんで泣いたという感情の附加があって、読者は突き放された思いをせずに済むのですが、然し、これも、モラルを越えたところにある話のひとつではありましょう。
 この物語では、三年も口説いてやっと思いがかなったところでまんまと鬼にさらわれてしまうという対照の巧妙さや、暗夜の曠野を手をひいて走りながら、草の葉の露をみて女があれは何ときくけれども男は一途に走ろうとして返事すらもできない――この美しい情景を持ってきて、男の悲嘆と結び合わせる綾とし、この物語を宝石の美しさにまで仕上げています。
 つまり、女を思う男の情熱が激しければ激しいほど、女が鬼に食われるというむごたらしさが生きるのであります。女が毒婦であったり、男の情熱がいい加減なものであれば、このむごたらしさは有り得ません。又、草の葉の露をさしてあれは何と女がきくけれども男は返事のひますらもないという一挿話がなければ、この物語の値打ちの大半は消えるものと思われます。
 つまり、ただモラルがない、ただ突き放す、ということだけで簡単にこの凄然たる静かな美しさが生まれるものではないでしょう。ただモラルがない、突き放すというだけならば、我々は鬼や悪玉をのさばらせて、いくつの物語でも簡単に書くことができます。そういうものではありません。
 この三つの物語が私達に伝えてくれる宝石の冷めたさのようなものは、なにか、絶対の孤独――生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独、そのようなものではないでしょうか。
 この三つの物語には、どうにも、救いようがなく、慰めようがありません。鬼瓦を見て泣いている大名に、あなたの奥さんばかりじゃないのだからと言って慰めても、石を空中に浮かそうとしているように空しい努力にすぎないでしょうし、又、皆さんの奥さんが美人であるにしても、そのためにこの狂言が理解できないという性質のものでもありません。
 それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない、我々の現身は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。
 私は文学のふるさと、あるいは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる―ー私は、そうも思います。
 アモラルな、この突き放した物語だけが文学だというのではありません。否、私はむしろ、このような物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。
……
 だが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。そして、文学の批評も。私はそのように信じています。」坂口安吾「文学のふるさと」(『堕落論・日本文化史観』岩波文庫)、2008.pp.91-100.

 評論・エッセイといっても、これは人前で講演をするような話しかける「です・ます」調の文体で、句読点の少ない『堕落論』とは違って、私は、いかにも、そのように…と一語一語句点で区切ったしゃべりの言葉である。安吾の基礎的教養の源泉は、豊山中学から東洋大時代に学んだ仏教とアテネフランセの仏文学で、昭和6,7年ごろの大学生がみんな熱病のようにとり憑かれた左翼マルクス主義のシュトルム・ウント・ドランクの嵐からは免れて、外にいたようだから、ある意味で政治に屈折やコンプレックスはなく、戦争中も好き勝手な文学論を書いていられたのかもしれない。ただ、戦後になって堰を切ったように『堕落論』をはじめ、言いたいことを好き放題に言えるようになった解放感はあったんだろうなあ。


B.冷たい経済学
 大学受験のシーズンがやってきて、コロナ禍のなかで入試をどうするか、心配すればきりがない状況である。こればかりは中止にはできないが、こちらもセンター試験に代わる新型の共通テスト初年度ということもあり、いろいろ試行錯誤のようだ。ぼくはもう入試に関わらなくてよい立場になったので、他人事として眺めているが、国立大の多くは共通テストだけで個別二次試験等はしない大学も多くなるらしい。試験実施当局者の心配は、なにか異常事が起きてしまった場合の責任を、当事者が集団で分散してしまうことによるリスキー・シフトだという。

 「危機の時代の意思決定:責任の分散が招く鈍感さ   竹内 幹 (一橋大学教授)
 先週末、約53万人が志願した大学入学共通テストが全国681カ所の試験会場で行われた。寒くて換気もしづらく、密閉空間となった教室にたくさんの受験生が密集した。
 新型コロナウイルス感染症が心配なところだが、大学入試センターは「試験場入場時におけるサーモグラフィーなどによる受験者の検温を行わないこと」と各会場に通知していた。検温が受験者に「無用の不安感や動揺を与えるおそれ」があるからだという。しかし、発熱症状に対処するキャパシティーがないので、問題自体をなかったことにして切り抜けたようにも見える。
 大学共通テストを予定通り実施することで感染が加速する可能性はある。しかし、テストを延期すれば様々な混乱が発生する。両者をてんびんにかけて、それでも前者の方が損害は小さいと見なし、テスト実施のリスクをとったと解釈するほかない。
  •       *      * 
 経済実験での人のリスク回避度を測るときには、例えば、「50%の確率で千円が当たるくじ」がどのくらいの価値をもつか考えてもらうことが多い。不確実性を嫌うリスク回避型の人にとって、くじの価値は低いだろう。だが、それなりの金額を支払ってでも、このくじを買える人はリスクを許容するタイプにちがいない。このようにして測られるリスク回避度は人それぞれであり、特に正解はない。
 興味深いのは。複数人が集団で統一的な意思決定をする場合だ。集団を構成する一人ひとりのリスク回避度に比べると、集団の意思決定は極端な方向に振れやすいことで知られる。集団が堅実さを忘れてリスクをとる方に大きく振れるときは、リスキー・シフトが起きたといわれる。
 リスキー・シフトが起きる原因の代表的なものが「責任の分散」だ。リスクをとった結果として損害が出ても、その責任は集団内で共有され分散されるので、集団に属する人はリスクに鈍感になってしまう。結果、リスクを回避することが難しくなるのだ。
 政府は新型コロナ対策にあたって、不確実性が大きいなか、様々な決断に迫られた。ただ、昨年春の東京オリンピック延期や入国制限、「Go To トラベル」の一時中止、2度目の緊急事態宣言などの決定は総じて遅きに失した感がある。リスクを放置した、との印象は否めないだろう。
 安倍晋三首相が昨年4月7日の記者会見で「最悪の事態になった場合、私たちが責任を取ればいいというものではありません」と述べたことからわかるように、ここでは、責任の分散が生じ、感染拡大のリスクを軽視するリスキー・シフトが起きていた可能性がある。
 今回の決定の遅れは、金融投資の業界で知られる「ディスポジション効果」という行動様式にも通ずる。
 これは、投資家が、購入した株が値下がりして含み損を抱えた場合でも、なかなか株を売却できず、損失を膨らませてしまう傾向を指す。株価が下がり続けても、いつかは株価が回復し、含み損が一気に解消されるという望みを捨てきれないのだ。
 実は、この心理は投資家に限ったものではない。一般的に人は不利な局面になると、一か八かの勝負に出る傾向がある。政府は、新型コロナの感染者数が増え続けるのを見ながらも、いつかはそれが減少に転じて多くの問題が一挙に解決されるという望みを捨てきれず、重要な決定を先延ばししてしまったのだろう。
 *         *          * 
 意思決定の責任を問いただすことは当然としても、そもそも完全な「正解」は存在するのだろうか。
 例えば、コロナ禍で行われた1人10万円の特別定額給付金などは必要な政策だったし、正当に評価すべきだ。しかし一方で、昨年度129兆円だった国債の市中発行額は今年度212兆円を超える見通しだ。昨年までは2割に満たなかった短期国債(償還期限が1年以内)が占める割合も今年度は4割近くになるなど、財政は自転車操業の様相を帯びつつある。大規模な財政出動は必要ではあったが、長期的に“正しい”選択だったのかはまだわからない。
 理想的な意思決定はどうあるべきか。ひとつの指針として「マックス・ミニ基準」がある。複数ある選択肢について「最も悲観的なシナリオ」を想定し、それぞれを評価する。そして、選択肢の中で最も損害の少なかったものを選ぶというものだ。だが、最も悲観的なシナリオを想定することは意外に難しい。
 10年前の福島第一原発事故でいえば、事故前の政府の安全設計審査指針は、事故原因となった冷却用電源の喪失について「想定しなくてよい」と解説していた。東京電力は貞観地震のような大地震で大津波が発生し、原発を襲う可能性を認識していたが、対策はとられなかった。
 完全な「正解」は、容易に得られるものではないのかもしれない。
 それでも、私たちにしかできないことが一つある。後世の人々が教訓を得られるように、今日の意思決定過程を丹念に記録し、その帰結を長く記憶してゆくことだ。危機の時代を生きる私たちには、この使命が課されていることを自覚したい。」朝日新聞2021年1月21日朝刊13面オピニオン欄、経済季評。

 「最悪の場合を想定して、万全の体制をとる」のがリスク管理だとわかっていても、どういう事態が最悪の場合なのか、想像力が不足しているか、そんなひどいことは起きないと考えたい、という心理が働くのだとする。経済学は、ある意味、冷たい学問で、リスクは必ずあるのだから、コストを計算して、30%失敗したとしても、60%成果があがれば中長期的に見て、まあまあ悪くないと判断する。仮にウイルス感染が30%発生して、致命的な犠牲者が3%出たとしても、それで全体がびくともしなければ必要な犠牲だと考えるのだろう。でも、それは経済を維持するために、一定程度の死者が出ても医療制度が崩壊しなければまずまずだと「命の選別」を、医療現場に丸投げする、のだとしたら、責任は医療者ではなく、政治の方にあるだろう。
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