あかるいほうへ

       おばあさん魔女への道

落語家の伯父

2019-02-26 | 思う

今日は、特別に書くこともないので

伯父のことを書こうと思います。

 

最近、談志さんの落語がマイブームなのですが

私の伯父に、落語家がいました。

胃がんで40代で亡くなりました。

 

私が小学校低学年のとき、伯父は落語家になりました。

なかなか弟子にしてもらえないから、

毎日通ってやっと弟子にしてもらった話を聞いたことがあります。

子ども心に、6年生くらいになったらテレビに出るかなぁなんて思っていました。

ある日、笑点に出る。という電話がありました。

家族で今か今かと見ていたら、手品の手伝いで

チラッと映っただけでした。

2つ目になって名前が変わりました。

その頃かな、熊本市で落語会がありました。

升席に座り、伯父の落語を聞きました。

口上の後、長い長いお辞儀にびっくりしました。

しかし、なかなかテレビにはでませんでした。

 

18.9歳のとき、名古屋でクイズ番組を見ていたら

伯父が回答者として出ているのを偶然見ました。

とても張り切っていて、何度もテレビに映りました。

身内がテレビに出るという不思議な感覚でした。

 

三鷹の伯父の家に一回行ったことがあります。

デニムの上下を着て、歯切れのいい落語家口調で嬉しそうに迎えてくれました。

やはり違うなぁと思いました。

 

私が20代前半、伯父は真打ちになりました。

真打披露の案内状が来ました。

父は、嬉しかったので、職場の人たちに話してたようで

同じ会社で働く私の上司にも、その話が伝わったようで

仕事休んで行ってあげなさい。と言ってくださったのですが

私は恥ずかしさの方が先で、行きませんでした。

今思えば、行けば良かったです。

 

伯父が売れないまま落語を続けること。

身内は心配していました。

伯父は手紙で、テレビにはでていないけれど寄席に出ていること、

歌丸師匠は厳しい方だけど、自分のことを可愛がってくれていること。

自分を贔屓にしている社長さんがいることなど、

 手紙に書いていました。

 

しかし、伯父は胃がんになり数年闘病しました。

一度、両親とお見舞いに行きました。

墨東病院でした。今思えば最後のお別れだったのでしょうね。

伯父は亡くなり、その頃は私東京に住んでいましたので、

仕事の後お通夜に行きました。

父が来ていました。

目を開けたまま亡くなったそうです。

 

お葬式の祭壇には、歌丸師匠のお花が飾ってありました。

寄席で来られなかったようです。

本当に可愛がられていたのですね。

若い落語家の人たちが法被を着て、甲斐甲斐しく動いていました。

その中に、柳昇師匠がお線香をあげに来てくださいました。

3人の子どもたちを見て、まだ小さいのに。って囁かれました。

いい方だな。と思いました。

 

それから数日後、浅草に柳昇師匠の落語を聞きに行きました。

そしたらね。枕でね。

私は、お葬式に行くのが好きで、なんで好きかと申しますと

葬式まんじゅう食べられるのか楽しみで。なんておっしゃるではないですか!

数日前、伯父のお葬式に出てたあとですよ。

でも、それは喜ばしいことですよね。

 

伯父の奥さんと三人の子どもは、実家の天草に帰りました。

末っ子の女の子は、私の成人式の着物を着てて

私は、その可愛い姿を見ることが出来ました。

 

いま、こうやって落語を聞くようになって

伯父のことをよく思い出すようになりました。

真打ち披露に行かなかったことをとても後悔しています。

 

頑張ってた伯父の晴れ舞台だったのに。

 

でも、こうやって思い出すことで許してもらおう。

5年ほど前、同級生の知り合いの落語家さんと話す機会があり

その方の落語仲間に、伯父を知ってる人がいる。と聞きました。

いつか機会があればお会いして、伯父のこと聞きたいです、

 

ちょっと、見た目が談志さんに似てたんです。 

病気にならなかったら、伯父の寄席に通いたかったな。

そしたら、また違った人生だったかも?

落語家さんの妻になってたりしてね。

 

長い独り言でした。

 

最後まで読む人いるのかな?

 

今は、youtubeでいろんな落語聴けて嬉しい。

 

残念ながら、伯父のはないです。

 

 

柳昇さんの落語も面白いな。

https://m.youtube.com/watch?v=344sW6ISiXs