小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

東フィル×尾高忠明(6/18)

2021-06-21 01:12:06 | クラシック音楽

この週末は在京オケの名演奏を立て続けに鑑賞したが、その初日が金曜日(6/18)のサントリーホールでの東フィルのラフマニノフ・プロだった。指揮は尾高忠明さん、ソリストは上原彩子さん。最近のコンサートでは珍しいほど客席が埋まっている。

『パガニーニの主題による狂詩曲』は、最初の音から力強くパーカッシヴなピアノの打鍵が印象的で、ジャズや前衛音楽を予感させる20世紀のモダンが詰め込まれていた。ラフマニノフが『ピアノ協奏曲第4番』を書いたのは、この7年前だった。2番のコンチェルトからは34年の月日が流れている。

ラフマニノフの音楽は躍動的なリズムが素晴らしいと思う。上原さんは背筋を伸ばし、屈みこんだり大袈裟なそぶりをしたりすることなく、激しいリズムに「厳しい」音楽を乗せていた。テクニック面では驚異的に難しく、華麗な演奏効果をもつ曲だが、ピアニストは瞑想的で、人気があるがゆえに通俗的なイメージもあるこの曲の、奥の奥にあるものを見つめているようだった。

エンターテイナー然として弾かれることもあるこの曲には、明らかに「死」が潜んでいるのである。リストの「死の舞踏」のパラフレーズで聴く「怒りの日」のモティーフが、パガニーニの主題と交差するように強く現れたが、この暗い主題がここまで明解に聴こえたのは初めてだった。華麗な曲の中に、骸骨のシルエットが浮かんで見える。

唐突に「なぜ生まれたばかりの子供は可愛いのだろうか」という想念が浮かんだ。小さな子供は一挙手一投足が眩しく、太陽のようで、やがて自我が芽生えると感情を秘めるようになり、大人になり、時が過ぎると身体は醜く衰えて、面白みのない顔つきになっていく。
「それは運命なのだ」とラフマニノフの音楽は伝えていた。日が昇り沈むように、当たり前のことであり、その間から喜怒哀楽の感情が溢れ出す。パガニーニの主題の技巧的なパッセージに、「怒りの日」の旋律が闇のように被さり、最後賑やかに盛り上がった音楽は、呆気なく終わる。「これが死か」と思われた。

東フィルのロシアものが悪いはずはなく、この日は特に低弦のロングトーンの生命力に耳を奪われた。私は本当に東フィルのファンなのだと実感した。このオーケストラの公演を聴いて失望したことは一度もない。

尾高さんの指揮は毎回神秘的で、自分の中では秋山さんと尾高さんはもはや批評の対象ではなく、何か大切なものを教えてくれる神のような人になっている。その上をいく意見を持とうとするのは本当に不可能だと毎回感じる。それでいいと自分で思う。

在京オケにランキングを付けて聴く、というのも面白い試みだと思うが、多くのオーケストラの公演に通って、序列をつけるということが自分には出来ない。本格的にオーケストラ公演を取材するようになってちょうど10年が経ち(それしか経っていない)、捨てずにとっておいたプログラムが山のように部屋を占拠しているが、結果分かったのは、東京のすべてのオーケストラが最高水準にあるということだった。

ラフマニノフは感傷的だという人もいる。ローティーンの頃からラフマニノフに魅了されてきた。ラフマニノフのピアノ曲のほとんどをレコーディングしてきたアシュケナージでさえ「ラフマニノフはバッハやベートーヴェンに比べると残念ながら重要な作曲家ではない」と語る。
しかし、自分にとっては重要な作曲家であり、かなり年を経てから「晩禱」のような宗教曲を聴いて、さらに愛情が増した。

後半の『交響曲第2番』は指揮棒なし。東フィルの厚みのあるエモーショナルな音の広がりが、ロシアの大地を思わせた。ロシア芸術の本質は、詩でも音楽でも「過ぎたときを再びともに生きる」ということだ…と教えてくださったロシア語の翻訳家の方の言葉を思い出す。ラフマニノフのこのシンフォニーを聴くと、20万人もの人々が革命のとき西に逃げようとしてバイカル湖の湖上で凍死し、春になって氷が割れたとき次々と人が沈んでいったという話を連想してしまうのだ。

まるでオペラのように饒舌で情熱的だが、シンフォニーでしか表せない透明感もあった。東フィルの管楽器は素晴らしく鍛えられていて、指揮者が強い信頼を寄せていることもひしひしと伝わってきた。弦楽器は輝きに満ちていて、楽章ごとに見事な表情を聴かせ、アダージョ楽章は特に感動的だった。

この後に続く都響、読響のコンサートでも、メロディというものがふんだんに溢れ出したが、今聴きたい音楽というのは「歌のある」音楽で、しばらくウィーン前衛派のようなものは御免だと思った。尾高さんの「素手の」ラフマニノフ2番は、壊れやすい肉体をもってこの世界に投げ込まれた人間が、生と死をどう認識したらよいか、深く考えさせてくれる貴重な音楽だった。