イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ありのまま!

2009-05-07 | 第七章「光と復活体」

 今日は休み、久しぶりに牡丹の写真を撮りに行こうと思っていたが、生憎の雨。

 結局一日、書類の整理などをして終わってしまいそうである。写真は雨の中でとったベランダの矢車草。

 何気なく撮ったのだが、矢車草の花だけでなく、長くてしなやかな茎も美しい。ありのままの矢車草は良いもんだ。

 6年前に会社をサラリーマンを辞めてから、私もいろいろ変わったが、心理的な面では、防衛機制の問題が一番大きいと思う。最近はずいぶん自然体で生きられるようになったと感じる。

 会社を辞めたんだと気づいたのは、辞めて半年くらいしてから、久しぶりに電車に乗った時、座席の前でサラリーマンの上司と部下のやり取りを見ながら、ああ嫌だなと感じたことがあった。

 サラリーマン時代では気づかない嫌悪感というのであろか。ある意味で、のんびり自然体でいる時間が増えたのであろうか、そういう感情が自分のなかに見えてきたのだと思う。

 世の中、「個性を大事に!」とか掛声はよくかかるが、実際はどうだろうか?自分の体験から考えると、意外に大事にされていない。家族も学校も職場も。勿論、気楽に出せる個性の部分もあるが、そうでない隠さねばならない部分がある(批難されるので)。

 従って、ありのままの自分を出してしまうのではなく。周りから期待された役割を、何となく演じるようだ。長年サラリーマンをやっていると、それが身について個性のようになってしまう(でも個性ではなく本当は抑圧・抑制されているだけ)。

 変に怖れず、自分のありのままを極力出すように(状況によるが)するのは、結構大変ではっきり意識する必要があるようだ。

 ありのままで、矢車草のように飾らず、しなやかでありたい。そのメリットは大いにあるので。

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