村上春樹の「アンダーグラウンド」を最近ゆっくりと読み進めている。地下鉄サリン事件での被害者約60名のインタビュー記録といってよい、ノンフィクションの書である。
その中で、重度の障害を負った方のインタビューがあり、村上氏がその方の手を握る場面がある。その場面(講談社文庫 228P~229P)は、実に卓越した文章で、私は何度も読み返した。そのごく一部を引用しよう。
「・・・それを表出することを可能にするための力と手段が、一時的にせよ彼女の中から失われてしまっている。でもその何かは、壁に囲まれた彼女の中の場所の中に、傷を負うこともなくしっかりと存在している。彼女は誰かの手を握って、「それがそこにあるのだ」ということを静に伝えるしかないのだ。・・・」
本当に素晴らしい表現で、感動してしまう。IT企業を辞めて、福祉・介護業界で働いたときの、言葉で表現しにくかった、一番大事にしたいことに似たことが書かれていると思う。
話は、変わるが、昨晩DVD「ローマ帝国に挑んだ男 パウロ」を見た。それで、新約聖書の使徒言行録等をパラパラとめくっていたが、その中にコリント信徒への手紙6-19があった。
「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、・・・」
このパウロの記述も、何かこのインタビューでの出来事に近い経験で裏打ちされているのではないか。
村上春樹氏が言う、「その何か」は、愛そのものの魂かもしれないし、この聖書の中の聖霊かもしれない。そんな一つの解釈を自分なりにしてみた。
ぐっとくる、感動といってよいような自分に向かってくる暖かい感情。
(写真は神社の境内での撮ったものですが、この文章と関係はありません。イメージとして掲載しました。)
(感情から考える 2/8)
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