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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

花! 縄文人が愛でた花は何か?(小説家になってみる 7/10)

2015-08-28 | 第一章「意識と知覚」

 ネアンデルタール人が埋葬の時に花を手向けていたということがかつて発見されて話題になったことがあるが、縄文の祖先は当然埋葬時に花を手向けた事実はあるが、どんな花を好んでいたのだろうか?そんな、疑問をずっと持っていたのだが、萬葉集の研究者の中西進先生の「旅に棲む」(高橋虫麻呂論)を読んでいたら、奈良時代でも花と言えば、櫻だったという説を言われている。一般には平安時代からは桜だが、奈良時代は梅(萬葉集で梅を歌う歌が多いなど)と言われている。

 江戸時代に交配でつくられたソメイヨシノはなかったと思われるが、今朝調べてみると三内丸山遺跡等でも桜が見つかっているという。吉野の桜もヤマザクラだが、縄文時代の桜もヤマザクラを中心にした桜のようだ(青森県のホームページを参考)。

 縄文的感性?をもつ大作家、宮沢賢治の童話などを読んでいると、コブシとかいろいろ想像してしまうのだが、少なくても関東の縄文人はやはり桜だったのではと思う。

  春の本栖湖近辺で

 伝説を大切にした萬葉歌人、高橋虫麻呂(関東の生まれでは?)は梅の歌は詠まず、専ら桜の歌を沢山書いている。それも、何か縄文時代の文化を引き継いでいるようで・・・次は、東国ではないが、大和で歌われた歌だが、日本人の美意識の原型が結晶しているようである。

 白雲の 竜田の山の 滝の上の 小椋の嶺に 咲きををる 桜の花は 山高み 風し止まねば 春雨の 継ぎてし降れば ほつ枝は 散り過ぎにけり 下枝に 残れる花は しましくは 散りなまがひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで (萬葉集 1747)

 反歌

 我が行きは 七日は過ぎじ 竜田彦 ゆめこの花を 風に散らし

 (訳)

 {白雲の) 竜田の山の 激流のほとりの 小椋の嶺に 咲き乱れている 桜の花は 山が高くて 風が止まないので まだ春雨が 続けて降るので 上の枝は 散り果ててしまった 下の枝に 残っている花は しばらくの間は 散り乱れないでくれ (草枕) 旅に行く君が 帰ってくるまでは

以上日本古典文学全集 萬葉集2 小学館を参考にしました。

小説家になってみる 7/10

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