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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

至福の花見、この世とあの世の境目は何処?(時間と空間の旅 ⑥ 7/10)

2014-03-30 | 第二章「五感と体感」

 あたたかった昨日、桜が咲き始めたとのニュースを聴き、多摩センターの桜の名所に立ち寄った。想像以上に沢山咲き感動、しかも人もまばらで桜を堪能できた。

 

 桜を観ていると何か幸福スイッチをオンにされたように幸せ感をいただき、なごむ。まばらではあるが観ている人、写真を撮る人もなごんでいる。

 さて、特に辛い時に何かのはずみで突然、幸福スイッチがオン(感情がネガティブからポジティブに)になるときがある。その時の幸福感は落差が大きい分至福そのもの、まるでこの世が天国になるというか、天国の門がどこかで開かれ、幸せ感が流失するような感じだ。このような瞬間を味わうと人は変わる。それは、個人にとっては画期で、たくさん古今東西の小説家や芸術家、哲学者・宗教家が書いている。

 そして、比較宗教学をベースにした心理学でも、こうしたことを研究している。信じて見える世界、見えなくなる世界などなど・・・。

 今、手に取っている平安時代の女流作家道綱母の蜻蛉日記。玉の輿で藤原兼家の妻となった道綱母の日記だが、例えば京都から琵琶湖の唐崎に祓いをうけに日帰り旅行をするのだが、その時の琵琶湖を峠から見たときの感動が素敵だ。

 道綱母は、当時は絶世の美人で政権中枢の藤原兼家の妻となるが、一夫多妻制の世の中。子供を産むと夫は外の妻を愛するようになり、嫉妬が荒れ狂う日々を送る。そんな中の、日帰り聖地旅行(早朝出発深夜帰宅なのだろうが)なので、山から遠くの琵琶湖の景色がこの世のものとは思えないように見えたらしい。私も以前、比叡山で修業?をしたときに、坂本からケーブルカーに登る道で琵琶湖を観たが、実に印象的だった。

 道綱母は御付きの人たちと感動して涙を流す。そして琵琶湖のほとりの唐崎に到着するが。当時はとがった岬のような唐崎は、天智天皇の時代からの聖地であり。そこの水は清らかで俗の汚れを祓うサムシングがあったらしい(今では、その当時当たり前の実態、信仰が判らなくなってしまっているが)。

 人麻呂は壬申の乱の後で、次の唐崎の歌を残しているが、研究者によると天智天皇の生前時の舟遊び、あるいは葬送をだぶらせつつ次の聖なる歌、挽歌を読んだらしい。単なる叙景詩ではない。大宮人は天智天皇のことかもしれない。

 ささなみの志賀の唐崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ

 唐崎は、大津京の時代には国際的な港としても機能していたようで、どんな信仰であったかは実に興味がある。因みに、唐崎神社のとなりはカトリックの修道会があり、今でも国際的なのが印象的だ。

   

時間と空間の旅⑥ 6/10

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