人の病理を研究する前に、自分の病理を研究した方がずっと良いと、U先生から学んだ。
最近まじめに読んでいる本も、病理化の問題である。そんなこともあり、自分の人生でこころの健康が損なわれていた時期を考えた。人生平穏ということはない。次から次と、いろいろなことが起こりストレスの原因となる。これからもきっと同じであろう。
傍から見ても、これは本当に大変という時期もあったが、客観的にも危機の時期、ハングリーなときは意外とピッピと処理し、時間とともに乗りきれたように思う。こころの健康は意外と良い。
その反対に、目指した目標を一応達成し、人生最高潮とほっとするような時期、うまくいっているときが怖い。
どこかに慢心があるのか、のんびりし過ぎ大事な判断を間違えたり、実力を過信して大きな失敗をしたりする。そしてこころの健康が損なわれたりする。人生最高潮の時期は本当は自分探しをきっちり行うな時期かもしれない。ハングリーな時が、ある意味でよっぽど健全である。
さて、うまくいっているとき、ハングリーなときを距離をおいて考えれば、どちらも重要で意味がある。不健康なときも病理、病理と騒ぐようなものでもなく、人生という汽車の窓から見える、森羅万象の一風景に過ぎないと思う。
死ぬ瞬間から人生を振り返ってみれば、人生全体はどのように見えるのだろうか。すべてが意味ある一枚の織物だといい。
<死を考える2/4>
人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!