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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

聖地でのまつりを解釈する!(解釈の傾向 1/10)

2016-05-06 | 第一章「意識と知覚」

 今朝、府中のくらやみ祭りは終了したが、私は今年も4日に大太鼓を友人の紹介で叩かせていただいた。直径2mくらいの大太鼓がこの世にあることを知ったのは、多摩に引っ越ししてきたときからだったが、実際に叩いてみると実に爽快。今年も気持ちよくたたくことができた。

 さて、くらやみ祭りの大本の大國魂神社であるが、昔は六所宮と呼ばれていた、創設は西暦111年と言われる。しかし、多摩境のストーンサークルと同じ緯度にあり、冬至に丹沢の最高峰蛭が岳に日没するという位置を考えると、その起源(移転したにせよ)は4000年とか縄文時代にさかのぼるように思う。

 そして、聖地をめぐる解釈(社会的地位)も、いろいろ世の中の変化に従って変わって行ったのに相違ない。

 さて、最近縄文小説を書いて楽しんでいるが、その中でつくづく思うのは、狩猟・採取・漁撈で定住の世界に生きていた縄文時代の祖先が物事をいろいろ解釈し生き抜いてきたのだろうが、その解釈の中身を推察することの難しさである。

 例えば、私は多摩に住んでいるが、周りの雑木林や野草に接することが都心よりは多いと思うが、花が綺麗とか、それなりの印象や感情を持つ。しかし、例えば5,000年前の縄文の祖先はどうだろうか?恐らく、一つの大木を観ても違う解釈をするだろう。木の実が食べられるか否か、旬はいつか、あく抜きの方法、保存の方法・・・それは恐らく、プロとアマの違い以上にあったのではないかと思う。石器時代の原始人というイメージとは明らかに違う。

 今朝読んでいた、縄文時代における漆技術についてであるが、縄文前期(5-6千年前)には全国に広まっていたとか。それも、今でさえ人手と技術が要求される複雑な仕事を黄河文明が始まるはるか前から行っていたのだ。植物に対する驚異的な知識・解釈。もっと謙虚にならねばと思う。

解釈の傾向 1/10

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