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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

私がなぜキリスト教信者に?(暗い解釈は何故よくない 2/10)

2016-05-20 | 第五章「和解と平和」

 ネットで国土地理院の地図をよく利用するが、その中で特定の場所の航空写真を見ることができる(場所によるが)。1960年代、1970年代、1990年代などが揃い、たとえば私が育った四谷や市ヶ谷周辺も見ることができる。小学校高学年の時に家が建て替えられたが、そんなことも分かる。

 私は戦後生まれであるが、調べてみると1945~1950年代の航空写真もあった。空襲後の写真だろうか、家の周りは無残に被災し荒れ果てているのが良く分かる。私の幼いころの記憶は、もう戦後で復興中であるので、その写真を見て両親・祖母が感じただろう時代の悲惨さをちょっとは理解できた。

 今私は縄文時代に遡って、日本人の心や魂の問題を考えているのだが、身近な両親や祖母たちの時代も同じように興味深々である。自分が何かを理解するうえで大切な背景を学べるからだ。

 このところ、なぜ私がカトリック信徒になったかを、ちょっと憂鬱な気持ちで考えていた。自分の生育史はある程度分かるが、幼児洗礼の私が信徒になった原因は母や伯母の影響が大きい(そうでなければ幼児洗礼は授けられない)。私の母の家は代々仏教で戦後母の姉が洗礼を受け、その影響で母も洗礼を受けたのがキリスト教との出会いだ。

 なぜ、母や伯母がカトリックの信徒になったかは私にとって謎だったが、昨日母のお見舞いに行った時に訊いてみた。答えは意外だった。戦後貧しかったとき洋裁を学びたかった伯母が、某カトリック修道会で無料の洋裁講座があるというの参加し、それが洗礼のきっかけとなったとのことだった。

 重い話でもあるのかと妄想していたが無料の洋裁講座とは。しかし、空襲後の四谷の空虚な航空写真を思い出し、納得した。因みに私は幼児洗礼を授かったが、代父(ゴッドファザー)が不明なので以前訊いてみたところ、たまたま洗礼式のときに居合わせた他人だったとのこと。戦後はそんな時代であり、今から考えると心豊かな時代だったかもしれない。

暗い解釈は何故よくない 2/10

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