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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文の祖先は農耕をしていたか?(暗い解釈は何故よくない 6/10)

2016-05-25 | 第二章「五感と体感」

 昨日は山梨県に縄文の旅をしてきました。山梨県立考古博物館の展示の充実ぶりに驚嘆し、図録を3冊買って帰ってきました。縄文の研究も、分かったつもりでいることの愚かさに気づかせていただきました。生き甲斐の心理学もそうですが、分かったつもりは実に恐ろしいことです。

 写真は金生遺跡の写真ですが、私の興味のある配石遺構(ストーンサークルもその一種)のある縄文後期・晩期の遺跡です。そこでどんな暮らしが営まれていたか、雄大な八ヶ岳を望みながら妄想してきました。私たちの祖先でもあるので想像できるところもありますが、わからないこともたくさんあるようです。

 今はあまり聞きませんが、縄文時代にも稲作が行われていたなどのニュースが流れたことがありました。採取文化なので食に関しては大雑把で知恵がなかったかのように私もかつて思ってましたが、どうも違うようです。当然ながら食は命の基本ですから。食べられるものをより効率よく入手すること。そして無駄なく摂取する技術も磨くはずです。今も昔もその点変わりません。

 採取文化(漁撈、狩猟は除いて)といっても、ドングリ、トチ、クリ、クルミといった有用な植物は植えたり手入れしたりするのも普通だったかもしれません。今でも私たちが食べている根菜類、五穀もすでに揃っていた可能性もあります。

 食物ではないですが、役にたつものを植えたり手入れをしたりする実績は縄文時代にたくさんあるようです。まず9000年以上の歴史を誇る漆はその第一候補ですし。カラムシなどの食物繊維の原材料も栽培があったと思われます。また、1万年以上の歴史を誇る土器も灰汁抜き技術そのものです。

 遺伝子研究や残された人骨からの食物の研究からも、新しい事実が発見されています。縄文時代でも植物性の食物の摂取は50%を超えるそうです。三内丸山遺跡でクリの遺伝子研究等でクリが栽培されていたこともほとんど定説化されていますが、油をとったエゴマの栽培、ヒョウタンや根菜類なども確実視されています。そして、県立考古博物館で見学した大豆圧痕深鉢などから、6000年前に大豆の栽培があったのではないかともいわれているようです(第31回特別展 食いしんぼうの縄文人 図録参照)。記紀に出てくるウケモチノカミの五穀の神の神話も、縄文時代からの祖先の記憶ではないかと思わず妄想してしまいます。

 考古学の縄文農耕論は、食に関するある領域の解釈の一つですが、やはり私たち人間の尊厳とか価値といったものを否定するような解釈は、天に唾するようなものだと思います。私が常々違和感をもっているのは、縄文人という言い方です。

 江戸人とか鎌倉人という言い方は皆無なのに、何故縄文人というのでしょうか。遺伝子研究が進化し、縄文の人は我々の大切な祖先そのものであるはずです。確かに簡単で便利な言葉で私も使ってしまいがちなのですが・・・

暗い解釈は何故よくない 6/10

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