私の家の10キロ圏内に、田端環状積石遺構、ストーンサークルがある。そして、その遺構から南方向に丹沢山系や富士山(頂上付近)が望めるが、冬至には丹沢の一番高い蛭が岳頂部に日が落ちるという。さぞかし美しい日没に、縄文の人たちはどのような神のイメージを持ったのだろうか。特にこのストーンサークルが活躍した時期は、縄文後期の生活に厳しい時期。とても興味が湧くところである。
先日行った国宝展の縄文のビーナス。ともしびの中で表面の雲母が微妙にきらめいく女神像。優しい女神のイメージが人々を安らかにしたかもしれない。しかし、香炉型土器にあるように、裏と表で恐ろしい姿もある二面性をイメージしていたかもしれない。日本神話にも、イザナギの冥界にイザナミを探しに行く話があるが、冥界の食べ物を食べたイザナミの恐ろしい姿の様子があるが、そういった相反するイメージが共存していたかもしれない。
神仏のイメージは、自分の記憶を辿ってみても、いろいろ変わる。幼いころのイメージ。少年のころのイメージ。青年のころのイメージ。そして今。それは、その時の様々な状況や神仏の理解のしかたなどに大きく影響されているようだ。
その時、その時のこころの健康度を考えると、私にとって健康な神仏のイメージは、何処かで甘えられ、自分をゆるす神のイメージだ。それから、頼りになるイメージもあるだろう。その反対の甘えをゆるさず、何を考えているのか判らない神のイメージの時は、こころの健康度も低いようだ。神仏のイメージと心の健康。こんなことを研究する人も世の中にはいらっしゃる。
さて、縄文人の神のイメージ。優しいビーナス。仮面をかぶる女神・・・来週の22日、冬至の時。丹沢に落ちる日没を眺めて妄想したい。写真は丹沢山系と富士山。
縄文スイッチ 10/10