イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

フェイスブックを生き甲斐の心理学から考えてみようか?(縄文スイッチ ① 5/10)

2014-12-14 | 第一章「意識と知覚」

 昨日は某所でフェースブックの勉強をした。日常の中でだんだん空気のようになってきたフェイスブックであるが、あらためて振り返ってみると一昔前と随分違う人間関係をもたらしているなと感動したりした。

 人間は五感と体感をもつ存在だが、フェイスブックは視覚や聴覚といった五感に響く情報を単に受発信するだけでなく、場所に縛られることなく広域な仲間たちで情緒を含めた相互交流を可能にしてきているようだ。単なる情報伝達を越え、たぶん人類始まって以来の新しいコミュニケーションの時代なのだろう。

 ただ、それ故に感情の問題とか、今まで以上に臨床心理学的な知見などをもって、こうしたSNSを正しく使うノウハウが必要になっているのかもしれない。「生き甲斐の心理学」の観点から考えると、フェイスブックをより良く使うためには、①各自のアイデンティティの問題もある ②生育史の解釈の問題もある ③感情の世界をどう考えるかという心理学や哲学の問題もある ④他者に不快感を与えないような防衛機制の知識も必要かもしれない まあ、考え出すときりがないが、SNSを「生き甲斐の心理学」から考えるといろいろなことが浮かんでくる(自戒を込めて)。来年にはフェイスブックと生き甲斐の心理学といった勉強会を計画してみようか?

 ところで、縄文スイッチをオンにしてみよう、5000年前とか10000年前とか・・・私たちの祖先は、どのようにコミュニケーションをしていたのだろう。縄文語を話していたのだと思うが、文字はどうだったのだろうか。古ヨーロッパなどではかなり前に言語があったようだが、日本ではどうなのだろう。

 定住していたのだろうが、遠隔地の交流も想像以上にあったようだ(地方の名産があり、それがいろいろな地域で使われていたりする)。井戸尻の研究者には今の川筋沿いの国道と違って、海抜900メートルラインの等高線上を移動していたのではと研究している方もいらっしゃる。想像以上の移動やコミュニケーションは発達していたようだ。そして、コミュニケーション技術はどうだったのだろう。

 ちょっと話は大きくなるが、考古学の後藤和民先生の本で知ったが、縄文時代は弥生時代と違い戦争(人と人が殺傷しあう)が無かったようなのだ。これは世界史的にも珍しい不思議な10000年。ひょっとしたら、感情等のセルフコントロールが極めて発達した文化だったのかもしれない。

 まあ、今日は縄文スイッチを一旦オフにして、フェイスブックのことでも今日は考えよう。

縄文スイッチ 5/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ <・クリック応援いつも感謝しています! o(^▽^)o