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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分も他人も大事にすることが心の健康にも・・・(魂で感じる ③ 10/10)

2014-12-09 | 第十章「今ここでの恩寵」

 マッサンに登場する鴨居青年は、意外にもマッサン一家の中でも会社でも、自分の意見をどうどうと述べうまくやっているようだ。ただ、父との関係は難しいようで、緊張感が漂う。こうした、他者否定的な感情が飛びまくる事態は、自分の胸に手を当ててみても想いうかべることもあり、いろいろ考えさせられる。

 青春時代は、アイデンティティの問題もあるが、孤立感に悩まされる時期でもあるようだ。エリクソンによると、孤立感は愛や親密性と関係が深いとされている。さらに孤立感とは違うが停滞感という感情もある。これはエリクソンによると、世話や生殖性と関係があるようだ。

 孤立感や停滞感で悩まされる。これは、身近な悩みという人も多い。そして、思うのだが他人からの愛や世話を求めても、なかなか思うようにならないようだ。そして、ますます孤立感や停滞感が深まる。そんな中、思わず自他肯定のスタンスが崩れて、他者否定の傾向が強まったり。そうすると、どういうわけか益々孤立したり、停滞する傾向が強まる。本当は、他者を大事にしつつ自分も言うべき時は言うなり自他肯定的になることが大事なのだが。

 さて、写真は東京都埋蔵文化センターで展示されていた縄文時代の石皿。縄文の女性が毎日どんぐり等の木の実などを摩り下ろしたのだろう、穴が開いてしまっている。ためしに、私もどんぐりの調理に挑戦したが、大変な労力であることが判った。

 縄文の女性たちが、まあ、想い通りにならない?人間関係の中であっても、時間と労力をかけて祈りを込めて調理をしたのだろう。どんぐりのシチュウやオヤキ、クッキーを祈りを込めて作る。その中で、一方的に食べるだけの男たちもいたのだろう。〇〇のために一方的に愛をこめて祖母たちが作る。なお、祈りを込めてと申し上げたのは、煮炊きに使われた土器等の文様が当時の祈りを表しているからだ。

 それにしても、どのくらい使うと、あのようなすり減った石皿になるのだろうか。

 Give and Takeはよく言われるが、Give and Giveというのは何か違う。そしてGive and Giveはエリクソンではないが愛とか世話の本質に肉薄する何かだと思う。

 私が社会人になって間もなくのころ、社有車でお客さんのところに一人で出かけたところ、運悪く雨で底なし沼化していた敷地に脱輪してしまった。途方にくれていたところ、町の人があっという間に5-6人集まってきて、それこそあっというまに引き上げてくれた。そして、お礼をするまもなく、これまた、あっというまに立ち去っていった。これは、今でも忘れられない感動の瞬間である。

 Give and Giveは先日の細い紙でつくった単なる輪っかとメルビスの輪の違いから見ると、メルビスの輪なのだろう。そこには何か心の平安が訪れる深みがある。一方、Give and Take(これはこれで大切だが)やTake and Takeのような立場はどうだろうか。最近、都心に電車で行ったりする機会が多いが、優先席に座るべき人を立たせて、平気で居座る人が多いのに驚く。時には、障がい者用の駐車場に駐車する健常者も。一概に批判はできないものの、これは単なる輪っか思考で、心の健康から考えるとどうかと思ってしまう。

 自分は自分と割り切ることは大事だと思うが、その中でも他者を大事にする視点は心の健康においても大事だと思う。

魂で感じる ③ 10/10

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