Ca me plait beaucoup

1歳の娘との生活と日々の出来事、想う事、旅行の事などなどなど

本日より11ヶ月

2011-05-30 21:18:24 | 妊婦・育児生活
 先週末の午前中は部屋の温度が30度になり、耐えきれず今年初めてクーラーを使用してしまいました。しかしその後は一変、気温の低い日々。雨の毎日で関東も梅雨入りしちゃいましたね。
 今年は梅雨入り早いですね。6月1日が私の誕生日で、その日は例年梅雨前のさわやかな晴れの日が多いのですが、今年はどうかなぁ。な~んか変な年ね、今年は。
  
 さて。ひなこは本日より生後11ヶ月です。来月末にはついに1歳の誕生日を迎えます。早い!もう1歳か!

   
 のんびりペースの成長ぶりで、ハイハイは10ヶ月に入る頃、やっと出来るようになりました。しかし一旦出来るようになったらめきめき上達。高速移動をするので目が離せなくなってしまいました。母たちが滞在していた2ヶ月間、家事をしている間はひなこを見てもらっていたので楽だったので、余計大変に感じます。棚から本を全部出し、洗濯物はひっぱって落とし。キッチンに柵を付けてないので、調理中私の足にしがみついたり床置きしてる油の容器を触ってみたり。確かに動けるようになったら楽しくて仕方がないよねぇ。
 今まではリビングにカーペットを敷いて、そこをひなこスペースにしてたんですが、もうそんな所に収まっちゃくれません。ホコリが気になるので、掃除もマメにするようになりました(が、限界が・・・)。安全対策ももっとしっかりしなければと考えてます。

  
 後追いもすごいです。ちょっと離れるとこんな感じで泣いてます。困るけどかわいいです 今はどうしても動いてほしくない時はベッドに入れるんですが、立つようになったらそれも危ないですよね。うーむ
  
  
 寝相もすごいです(笑)。様子を見に行ってみると、90度角度が変わっていたり、手足が柵からはみでていたり。あとうつぶせ寝、横向き寝も好きみたいで、よくその体勢で寝ています。うつぶせ寝の後起きるとほっぺにタオルの跡がくっきり(笑)。
 以前は昼寝をしても30分くらいで起きちゃってたのですが、最近は毎日1時間以上長い時は2時間寝ています。それだけエネルギーを使っているんでしょうね。起きてる時は目が離せないので、「なるべく長く寝ててくれ~」と思いながら、この昼寝の時間に出来るだけ夕食の準備をしています。

  
 9ヶ月頃から、徐々にコミュニケーションが取れるようになってきてます。「ねんね~」とか「ねんこ~」とか言うと、写真のようにほっぺをクッションや床にペタンと押し付けたり。反応があるとやっぱり嬉しいです。
 最近は本や雑誌を見て、人や動物の絵や写真に反応して指を指すようになりました。お気に入りの本を持って「開いて」と要求もしてきます。以前は絵本を見せてもかじって終わりだったのですが、こんな感じなら図書館に連れて行っても楽しめそうです。おはなし会に参加してみようかなと思ってます。

  
 離乳食は10ヶ月から3回食にしました。それまでは面倒で←(おいおい)、母乳あげてるから大丈夫でしょとか思っていたのですが、10ヶ月検診で身長が平均ラインを下回っていたので先生に「離乳食3回にして下さい」と指導されてしまい、慌てて始めました(でも体重はラインの中だし、体はムチムチだし、夫君も小さい頃はちびっこだったらしいので遺伝だろうと思ってます。ただ3回食にしてない後ろめたさはあったので、これが開始のきっかけになりました)。
 1回の量は少ないかもなのですが、出した分は結構しっかり食べてくれます。母乳の子は離乳食嫌がる子が多いらしく、お友達とのランチに連れて行って、ひなこが持ってきたご飯をパクパク食べるのを見て、子持ちの友人たちは驚きます。まぁそれでも好き嫌いはあって、ひなこはトマトやリンゴ、ヨーグルトなど、私が赤ちゃんが好みそうと思ったものを嫌がります。反対に癖があって苦手かもと思ってたレバーはすごくよく食べてくれます。好みが読めません(笑)。
 歯も上下2本ずつ生えてきたので、歯みがき練習もすこしずつ初めてます。ホントはもっとしっかりやりたいのですが、ガーゼで拭こうと口の中に手を入れると泣いて嫌がるし、むりやり入れると噛まれる(かなり痛い)ので難航中です。以前は食後のお水もちゃんと飲んでくれたのに欲しくない時は絶対飲んでくれません。仕舞にはごちそうさまのポーズまで嫌がるようになりました(歯と関係ないけど)。虫歯にしたくないので、歯みがきは根気よく続けなければ。
  
 最近は立ちたくて仕方がない感じです。いまだ二足歩行のひなこが想像出来ない母ですが、その日は遠くないんだろうな。コミュニケーションももっと出来るようになるんだろうな。ねんねの時期が過ぎて、初期の頃とは別の大変さが増えたけど、ひなこへの愛もますます増えてます。ホントにかわいいです。1歳のお誕生日が楽しみです

母たちお引越し

2011-05-29 00:54:28 | 雑記
 お財布の中に夏目漱石の千円札を発見しました。お久しぶりです。夏目さん、好きなんで(ルックスが(笑))なんとなく使えずにお財布にしまったままにしてます。そんな渋いオジサマ好きの私としては、先日の児玉きよしさんの訃報が残念でなりません。心よりご冥福をお祈り致します。

 写真はタイトルとは関係ない最近のひなこ。ハイハイ絶好調で後追いがすごいです。床が散らかってるのは全てこの子がやりました(ホントですよ!)

 さて。震災直後から2ヶ月我が家に滞在していた母と祖母が、東京都が提供している都営住宅に引っ越してからもう2週間近くになろうとしています。…うーん、早いな。もうそんなに経つのか。ひなこが生まれてから一日がホントに早いのですが、震災の後はもっといろいろな事があって、より一層時が経つのが早く感じます。こう思っている間に早く原発事故が収束してくれれば良いんだけどなぁ…。

 震災の翌日、母と祖母は叔父(母の弟)夫婦と共に叔父さんの娘が一人暮らししている郡山に自主避難し、その数日後に叔父さんが車で我が家へ二人を連れてきてくれました。東北道がまだ開通していなかったので、一般道を片道8時間かけて。しかもガソリンは片道分。幸い翌日うちの近くで給油できるスタンドを見つける事が出来、2時間並んでガソリンを手に入れられたので、叔父さんはまた郡山まで戻る事が出来ました。店が閉まり、物資が不足していた郡山ではご飯と漬物の毎日だったそうなので、私もスーパーで出来るだけ多くの食材を買い(東京も品薄状態だったので開店前に並んだりした)、叔父さんに持っていってもらいました。
 到着直後、母たちは疲れていました。震災当日は相次ぐ大規模な余震で眠る事が出来ず、自宅は断水。そして原発の爆発での不安。避難した郡山はライフラインは無事でしたが、狭い1DKのお部屋に大人4人で雑魚寝状態。
 郡山での滞在は数日と考えていたので(パニック状態でもあったのだと思う)、あまり荷物を持たずに出てきてしまったようです。近所のお店で服を買って帰宅した母に「道の途中にゴルフの打ちっぱなしがあったけど、結構人が入っていたよ。こっちでは日常が続いているんだね」と言われた時は、福島で大変な思いをしたのだなぁと改めて思い知り胸が痛くなりました(逸れますが、震災直後、計画停電や余震、物資不足で東京も混乱していたので、のんきに打ちっ放ししている人たちに私もビックリでしたけどね)。

 そんな訳で避難直後は住宅を借りるなど考えられる状況ではなかったのですが、事故収束の見込みが全然見えない中、1ヶ月以上が経ち、地元の親戚、知人が、住宅を借りたりあるいは南相馬の自宅に戻ったり、落ち着く場所を見つけ始めたので、今度は焦りが出てきたようです。私は初めこそ同居なんて不安だなと思っていたのですが、段々その生活が日常化してもう慣れてしまっていたし、夫君も「いつまでいても大丈夫だよ」と言ってくれていたのですが、やっぱり自分の家が無いっていうのは不安なんでしょう。
 焦った母がまず申し込んだのは県内の借り上げ住宅。ただ条件を聞くと、提供してもらえるのは住宅と家電5点のみ。しかも家電はいつ入るか分からない上に持ち帰りとの事で、あまり条件が良いものではありませんでした(被災地なので仕方ないかと思いますが)。
 私が提案したのは、どうせなら被害のない西の方に行くのはどうかなぁと。とある県に問い合わせた所、住居以外に家電や寝具、調理道具など生活用品も揃えてくれるとの事なのでこれは良いなぁ、ひなこへの影響が心配なので私も時々お世話になろうかなぁなどと考えてたのですが…その県営住宅は昭和30年代築とかなり古く。贅沢は言えませんが、何より住み続けるのは母と祖母なので、知らない土地、知人のいない場所で部屋も古くては二人にもストレスになってしまうので止めました。
 そして、どうしたものかとネットを見ていたら、偶然東京都の住宅提供の募集を見つけました。二次募集の時期未定との情報を最後にすっかり都の住宅提供の存在を忘れていました。しかも締め切りはその日の6時。私が情報を発見したのが4時半!慌てて母に伝えてひなこを連れて3人で都庁へ向かいました。到着は締め切り10分前。逆に誰もいなかかったので、親切丁寧に書類作成を指導してもらいました。間に合って良かったです。
 一週間後に抽選結果が発表され、幸運な事に住居を提供してもらえる事になりました。場所は我が家からはドアツードアで1時間くらいかかってしまいますが、同じ沿線沿い。住宅は新しく、避難してきた人たちが何世帯か住んでいるようで、顔見知りも出来たようです。家電等も提供してもらったので、夫母がいろいろ貸してくれた生活用品などと合わせると、大半は買わずに生活を始める事が出来ました。支援してくれた方に感謝すると共に、ただでさえストレスな避難生活の中、少しでも良い状況で新生活が送れる事が出来、良かったなぁと思っています。
 新しい住居は借りられましたが、出来るだけ母たちにはこちらに来てもらおうと思っています。まだまだ不安は尽きませんが、都内で母と過ごす事は考えてもいなかったので、実は少し嬉しかったりもします。どうせなら今しか出来ない事を、母、祖母とたくさんしたいなぁと考えています。

昭和記念公園のチューリップ

2011-05-11 00:10:16 | お出かけ
 ご無沙汰しています。震災以降ずっと、落ち着かない毎日を過ごしていました。続く余震。原発問題に揺れる福島の地元の事、避難している家族、親戚の事。そして都内にいても乳児に対する放射能の影響の不安。今でもこれらが頭から離れない日はありません。それでも最近ようやく少しずつ心が落ち着いてきたところです。あの日から2ヶ月。桜が終わり、東京は新緑とつつじ、ハナミズキの美しい季節になりました。

 いつまでも暗い気持ちでいても仕方が無いので、まぁ諸々の想いは機会があったら書くとして。今回はかなり前になりますが、4月下旬にお出かけした話題を。

 お天気の良かった週末。夫君、ひなこ、夫両親、そして避難して現在うちに住んでる私の家族(母・祖母)のフルメンバーで、立川の昭和記念公園へ行ってきました。荒川に住んでいた時に仲良くしていたママ友さんがここのチューリップをおススメしていたからです。実際行ってみて納得。広大な敷地にたくさんのチューリップが植えられていて大変見事でした(あれだけ広いとお手入れも大変そうなので、そういう意味でもすごい)。チューリップはいろんな種類、色、形があって面白いですね。かわいいので大好きです。
 この日はGW前だったので、園内はほどよい混み具合でした。私は昭和記念公園は二度目。一度目はかなり前にコスモスの時期に夫君と訪れました。昔立川に住んでいた夫家にとっては馴染みの公園です。公園は東京ドーム約40倍の広さ。チューリップ園も大変広いのですが、ほんの一部。サイクリングしたりバーベキューしたり、夏はプールで遊んだり、いろんな楽しみ方が出来るようです。

  
 昼前に出発し、途中のおすし屋さんでお弁当を買って電車に乗りました。最近外出を控えていたひなこは久々の電車です。しっかりお座りも出来るようになりました。

  
 園内はちょうど芝桜も見頃でした。規模は去年行った秩父の羊山公園に比べると全然小さかったのですが、ピンクのじゅうたんがとってもキレイ。ここの前でお弁当を食べました。「外で食べると開放感があって良いね」とうちの母。毎日うちの中にばかり居たので、気分転換になったみたいです。来て良かった。

  
 神妙な面持ちで花畑を見つめるひなこさん。何考えてんのかな?

   
 お昼ごはんの後は腹ごなしに散策。
 左のレースの様な花びらのチューリップは印象派の絵画のように美しいですね。右の朱色のチューリップは対照的に花びらが丸くてかわいらしい雰囲気です。

  
 ひなこは最近大きく口を開けてこの変顔をするので、ちと困ります。どこで覚えたんでしょう?みんなが笑うので、本人も嬉しくなってまた繰り返しちゃうんだな。私も困るけど、この顔をされると結局笑ってしまいます。

  
 そんな風にはしゃいでたひなこですが、チューリップ園の途中で静かになったと思ったら、ぐずる事無くいきなり昼寝モードに突入。そのままおうちまで寝てくれました。お疲れ様ひなこさん。
 久々の遠出で、大人たちも良い気分転換になりました。予定外に東京で暮らす事になった母と祖母。みんなで塞ぎ込んでいても仕方が無いので、この際たくさん東京見物をして楽しんでもらおうと思っています。近くに住む夫家もいろいろ協力して下さるので本当に感謝しています。