古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

◆神武王朝の勢力拡大

2016年12月22日 | 古代日本国成立の物語(第一部)
 天皇が皇后や妃を娶るということはその皇后や妃の出身氏族と姻戚関係になることであり、自身の勢力の後ろ盾を得ることである。また、他者の勢力基盤がある地に自身の兄弟や子女を派遣してその地を抑えることは、その地の氏族を自身の勢力に取り込むことである。神武王朝の各天皇が娶った后妃の出身氏族をまとめると次のようになる。進出地域は既にみた宮や陵墓の場所、あるいは后妃の出自などから勢力範囲と想定される地域を記した。カッコ内は一書に記された記事とそれをもとに想定される進出地域である。
 
 
 

 第5代孝昭天皇までは事代主神を祖先神とする鴨氏から后を迎えて関係構築に取り組んだことは、その皇居や陵墓が奈良盆地南部の磐余や南西部の葛城にあったのと呼応している。尾張氏も本貫地が葛城の高尾張であると考えられるので同様である。さらに、一書では磯城県主や十市県主などから后を迎えたことになっているが、磯城県主は神武東征の論功行賞として弟磯城が授かった地位である。磯城の地はおそらく現在の奈良県磯城郡あたりであろう。そのすぐ南には橿原市十市町があるので、磯城と十市はほぼ同一地域を指すと考えられる。奈良県磯城郡には唐古・鍵遺跡があり、饒速日命の勢力域である。神武王朝は葛城や磐余を拠点にしながら饒速日命の後裔勢力の力をも必要としていたのだろう。また、孝昭天皇の子である天足彦国押人命が和珥氏の祖になっていることは既に見たが、それは彼を奈良盆地北部に派遣したと考えられ、それが功を奏したからか、第9代開化天皇は当地へ進出することが可能となったのではないだろうか。第7代孝霊天皇のときに吉備氏とつながっているがもともと吉備は神武東征の際に同盟国として神武に協力をした勢力であった。さらに第9代開化天皇が妃を迎えた丹波は饒速日命の祖国であり、尾張氏、丹波氏、海部氏のつながりはすでに見てきた通りである。

 このように神武天皇および欠史八代、すなわち神武王朝における書紀の記述は、各々の天皇が天皇として実在したかどうかは別にして、神武が東征を果たして大和に入った後の状況をある程度推測することが可能である。前半は饒速日命の後裔勢力の力も借りながら奈良盆地南部あるいは南西部の葛城地方で勢力基盤を整え、後半に入って奈良盆地中部から北部へ徐々に進出し、さらにその後、畿外にも同盟国の輪を拡大していった。その一方で、奈良盆地東部の纏向にあった邪馬台国との対立関係は続いていた。まさに魏志倭人伝に記された時代と重なってくる。


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