古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

近江・越前への実地踏査ツアー⑥

2024年08月08日 | 実地踏査・古代史旅
2024年7月28日。鴨稲荷山古墳から近江大津宮跡へ向かう途中、トイレ休憩を兼ねて白髭神社に寄りました。琵琶湖に浮かぶ大鳥居が人気の映えスポットでしたが、あまりに観光客が増え、道路横断に際するマナーの悪さも手伝って、ついには湖岸へ降りる階段を閉鎖し、道路横断も禁止になりました。なんとも残念。代わってジェットスキーやボートで鳥居までやってくるサービスをする業者が出てきました。社殿は改修中でした。





湖西道路を走って琵琶湖を南下、近江大津宮跡(錦織遺跡)へやってきました。これまで巡った遺跡や神社から少し時代が下って7世紀の遺跡です。663年に白村江で唐・新羅軍に大敗を喫した天智天皇は敵国の本土侵攻に備えて都を飛鳥からこの近江に遷しました。しかしその後、壬申の乱で後継者の大友皇子(弘文天皇)が敗れたために5年余りで廃都となった宮です。















これは面白そう。
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ここから大阪に戻って高槻にある安満宮山古墳に向かいます。丘陵上に設けられた公園墓地の中、たいへん見晴らしのいいところにある古墳で、3世紀後半の築造、墳形は18m×21mの長方形、割竹木棺が直葬され、5面の青銅鏡、1,600個のガラス玉、鉄刀などの副葬品が見つかっています。中でも青龍3年(235年)の方格規矩四神鏡が有名で、丹後の大田南5号墳のものと同笵鏡とされています。







埋葬施設が復元されています。長方形墳であること、丹後の大田南5号墳との同笵鏡が出ていることから、この三島の地と丹後のつながりが考えられます。三島、近江、越、丹後の4点がつながっているように思います。すべてに関わりがあるのは天日槍です。



とにかく眺望が素晴らしい。淀川流域が見渡せます。しかも眼下には安満遺跡が広がっています。ここも最近になって公園として整備されました。また別の機会に行ってみようと思います。









これも良さそう。
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このあと、ファミレスでランチをとったあと、いよいよ継体天皇の真陵とされる今城塚古墳へ向かいます。それとともにツアーのゴールが近づいています。古墳見学の前に今城塚古代歴史館を見学します。



説明ガイドをお願いしたところ、なかなか楽しいガイドさんが担当してくれることになりました。このガイドさん(小和田さんといいます)、かなり勉強しているようで知識が豊富で、手作りの資料もたくさん用意しているし、質問にはすぐに答えが返ってくるし、何よりもしゃべりが軽妙で、たいへん楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

歴史館の展示については以前に投稿したこちらの記事「今城塚古代歴史館」をご覧ください。

さて、いよいよ今城塚古墳に行きます。佐々木さんは二度目ということでベンチで休憩。初めての岡田さんを案内する形で墳丘に登りました。墳丘の様子も以前の投稿「今城塚古墳」をご覧ください。







時刻は17時。このあと、この古墳に並べられた埴輪を焼いたとされる新池埴輪製作遺跡へ行く予定にしていたのですが、見たいと思っていた復元焼成窯が17時までしか見れないとのことだったのであきらめてパスし、代わりに継体天皇陵に治定される太田茶臼山古墳に行きました。

太田茶臼山古墳は5世紀中葉の築造で、全長226mは全国21位の大きさ。ここの埴輪も新池埴輪製作遺跡で焼かれています。さて、この古墳が継体陵ではないとしたら、いったい誰が葬られているのでしょうか。古墳の築造時期と継体の没年に70~80年程度の開きがあるとして、継体の曽祖父である意富冨杼王との説があるようです。なるほど。







さあ、これですべての踏査地の訪問を終了しました。そのまま出発地点のOCATに戻り、レンタカーを返却して、3人で反省会です。岡田さん、運転お疲れさまでした。佐々木さん、次はもう少しゆとりのあるプランを考えますね。とにかく無事に帰ってこれて何よりでした。

(おわり)


やっぱり最後は継体天皇で締めよう。
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