古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

◆神武王朝の皇居・陵墓

2016年12月21日 | 古代日本国成立の物語(第一部)
 私は初代神武天皇から第9代開化天皇までを神武王朝と呼んでいるが、この神武王朝9人の天皇の皇居(宮)および陵墓の場所を地図上にプロットしてみた。左が皇居の場所(カッコ内数字は天皇の代位を表わす)、右が陵墓の場所(マル内数字は天皇の代位を表わす)である。
 

 

■皇居の場所
 第6代孝安天皇までは奈良盆地南西部の葛城地方に宮を置いていることがよくわかる。吉野や宇陀から大和に入った神武天皇は饒速日命を従えたあと、邪馬台国のあった纏向に直ちに進出することを避け、邪馬台国と対峙するかたちで鴨氏の力を借りながら勢力基盤を整えていったと考える。その後、第7代の孝霊天皇が饒速日命の拠点であった唐古・鍵遺跡のある奈良盆地中央部へ、第9代開化天皇が奈良盆地北部へ進出し、纏向の邪馬台国を取り囲むように勢力を伸ばしていった。

■陵墓の場所
 皇居の場所と同様に第6代孝安天皇までは奈良盆地南部あるいは南西部に陵墓が築かれていることがよくわかる。特に畝傍山の麓に陵墓が集まっており、初代の神武天皇が宮を開き、崩御後に葬られた場所として神聖視されていたのだろう、その後の3人の天皇もこの地に陵墓が設けてられている。第7代孝霊天皇と第9代開化天皇は葛城を出て奈良盆地中心部あるいは北部へ進出したために陵墓もそれにあわせた場所になっている。ただ、孝霊天皇の陵墓が宮から少し離れていることについてはよくわからない。



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