生きるということ
死ぬということは
どういうことかということを
これから説明しようと
おもうんですが
先ず
いのちというものに
区切りがないと
いうこと
これをしっかり頭に入れておいて
欲しいとおもうんです
これはもう
ずっといってきたことですけれど
死というものが
我々のおわりなんだという
恐れがずっと
業想念になって
この地球世界に渦まいてしまった
ために
たとえば
世の無常ですとか
厭世観というものが
我々の想念の底に
ずっと沈んで
支配してきたわけです
それで
死ねばおわりなんだ
あとは闇なんだ
となった
死というもののこわさは
何かというと
自分という存在が
すっかり消えてしまう
ということに対する
恐さなのです
今
こんなに
一生懸命やっているのに
それが
あとかたもなく消えてしまう
そういった
無常感ですよね
ところが
生命というものは
そんなちゃちなもんじゃない
そう簡単に消えてゆかない
生命というものが
永生であるということと
人は
自分というものを
失わずに
生きてゆく
というのが
原則なんです
死というのは
となりに引っ越すのとかわらないん
です
それじゃあ
田中一郎は
むこうに行っても
ずっと
田中一郎で
生きていくのか
というと
そうじゃないんです
田中一郎というのは
この世で
その人を
呼びならわした
いわば
記号なんです
けれど
その人が
この世で
田中一郎として
田中一郎らしく生きた
その生き方、個性というものは
ずっとその人のなかに
入ってゆくんです
そうして進化してゆく
すきとおってゆく
それで
その人が
百生生きたとすると
百色その人らしさが
入るわけです
そして
それを全部
むこうで生かしながら
祈りのなかにかえしてゆくんです
で
つねに新しくされてゆくんです
生命というものは
こういうものです
我々は
つねに死んで
そして
死んだと同時に
よみがえりを果たしている
というのが本当のすがたなのです
無常というのは
常なし
ということでありますが
それは
ほろびにむかうものではなく
いのち
というものが
神の愛によって
つねに新しくされ
よみがえらされていることを
指すのであります
ですから
無常は
永生にむかって歩いている
人間の真のすがたを
しめしているので
あります
いのちというものが
いかに
生き生きと
働くものであるか
そして
その生命の働きを
たすけささえているものが
神の愛であり
また
守護の神霊の愛である
ということを
私は
はっきりと
知っているのであります
つまり
祈りの光によって
我々は
この生命のすがたを
しらされてゆくのであります
世界人類が平和でありますように
と祈ってゆくときに
我々は無限の感謝の光とともに
無限の愛にとらえられている自分自身を
しるのであります
そのとき
我々は
この世の区切りである
生死を越えて
存在している自分自身を
そして
神を
みることに
なるのであります