祈りというものを、何か一つのかたちに入らないといけないものと
考えたり、勘ちがいをしている人々が、多いようであります。
祈りというものは、かたちではありません。では、なぜかたちがあるか
といえば、神様のみこころのなかに入りやすいように、ある一つの
きまったかたちを、みんなでとるということだけでありまして、常住坐臥、
どんな時にもからだ中で祈っているというのが本当の姿なのであります。
歩いている時も、すわっている時も、食べている時も、のんでいる時も
祈っているのであります。
祈って祈って祈り抜いているすがた、愛と光にかがやいているすがた、
そうして、光をふりまいているすがた、これが、人間の真実のすがた
なのであります。
迷いもまどいもない神界にある人間は、このことを知っているので
あります。又、私どもの霊体は、守護霊守護神は、このことをよく
知って、真実の祈りへと私どもをみちびいているのであります。
私どもは、このことを心にとめて、真実の祈りが、何物にもとらわれぬ
ものであることを識って、神への道しるべである世界平和の祈りをささげ
てまいりましょう。
考えたり、勘ちがいをしている人々が、多いようであります。
祈りというものは、かたちではありません。では、なぜかたちがあるか
といえば、神様のみこころのなかに入りやすいように、ある一つの
きまったかたちを、みんなでとるということだけでありまして、常住坐臥、
どんな時にもからだ中で祈っているというのが本当の姿なのであります。
歩いている時も、すわっている時も、食べている時も、のんでいる時も
祈っているのであります。
祈って祈って祈り抜いているすがた、愛と光にかがやいているすがた、
そうして、光をふりまいているすがた、これが、人間の真実のすがた
なのであります。
迷いもまどいもない神界にある人間は、このことを知っているので
あります。又、私どもの霊体は、守護霊守護神は、このことをよく
知って、真実の祈りへと私どもをみちびいているのであります。
私どもは、このことを心にとめて、真実の祈りが、何物にもとらわれぬ
ものであることを識って、神への道しるべである世界平和の祈りをささげ
てまいりましょう。