アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

土方歳三と巡る人々 (その2)

2018-06-02 | 幕末関連

最高気温が7℃と予報に表示された通りに、夕刻の寒い函館に入って、翌日、5月19日、やはり、寒い!
けれど、外を歩き回ることは少ないので、2013年5月半ばに7年ぶりに函館を訪れた時よりは、マシだった。
2013年の時は、プライベートだったので、あちこち歩き回った。
北海道の友人Fさん夫妻と松前の桜の見物まで計画していたので、当然、寒い外にいる時間は長い。
そして、松前で桜を観る事はできなかった。終わってしまったのではなく、五稜郭公園内も松前も、まだ、開花していなかったのだ。GWの松前桜見物ツアーなどは、桜の無い花見だったとか…。
この時は、最高気温が5℃と表示されていた。私は、冬のコートを持って行った。
現地に着いてみたら、ダウンを来ている人もいた。ストーブもたかれていたし、建物の暖房も入っていた。
縦に長い国なのだ―と、なぜか、自分に言って、(「寒いぞ、覚悟しろよ」―ということか?)五稜郭タワーへ。
新選組グッズが溢れている。
京都もそうだが、新選組は、何故か、この数年、かわいいキャラクターグッズが多くなった。
いや、これは、新選組に限らないか、かわいいキャラクター、それから、アニメなどでは、「超」がたくさん付くほどの美形キャラクターだ。
そのどれもが、作った人の愛情なのだろうなぁ―と、思いながら、つい、『ヒジカタ君』ファイルを購入してしまった私。
でも、超カッコいい、歳さんの写真のファイルも購入した。そして、
「いい男だ!!」
と、今更ながらに、呟いている(笑)

そして、講演。
函館中央図書館の視聴覚ホール。定員150名。
けれど、雨だし、寒いし…等々で、これは、半分も入らないのでは―との危惧が…。(結果としては、あと12席で満席という結果で、よかった~! )
戊辰戦争150年―と冠しているので、最初は150年と言う時間の長さの検証。
150年は長いのか、短いのか。
明治150年、戊辰戦争150年―その捉え方は、地域によって違うので、かつての長州・萩を、新選組が大好きな身で訪れた時の事、また、新選組の大きな後ろ盾だった会津の事などを話した。
前者は、「新選組が大好きで」とひと言、口を滑らせた(?)途端に、穏やかだった初老のホテルのオーナーの表情が急に冷たくなった話(笑)
会津は新選組は大歓迎―は言うまでも無い。
ここで会津のお酒を土産にしようとした女子が、どこから来たのか聞かれて、「鹿児島からです」と答えた時、「薩摩っぽに売る酒は無い」と言われた事―これは、九州在住の友人から聞いた話)―などなど。
そんな反応を思うと、150年は遠い昔ではない―と話した。
そして、1800年もの長い時間の昔から現代に訪れた、歴史の向こうの出来事。
2018年3月に、それは、来た(?)から、数か月前だ。
中国の昔々―魏、蜀、呉の三国の時代。魏の国を建国した曹操孟徳、私の大好きな人物だ。
2005年に見つかった大型古陵の発掘調査から、曹操を示す「魏武王」と刻まれた石牌など200点以上の埋葬品や60代前後の男性の遺骨と女性2人の頭部や足の遺骨が発見され、中国河南省文物局が曹操の陵墓であるということを2009年12月に発表し、ほかの研究機関も、曹操の墓である可能性が高いと判断。
そして、今年3月に曹操孟徳のものーと断定された。
曹操は220年に亡くなっているので、1800年近い時間が間に横たわっている。
そう思うと150年は、つい最近―と断定した。

けれど、その150年の時間の半分は明治、大正、昭和の前期―と、政府と軍部が異国との戦争への道を歩んだ時間だった。
残りの半分が、太平洋戦争敗戦後から現在まで。
日清戦争、日露戦争、そして、太平洋戦争。そこに至る事実が、明らかにされてきたのは、平成の時代になってからだ。
司馬遼太郎さんが『坂の上の雲』を書いた頃は、「日本は強い」という神話のような戦史しか、表には出ていなかった。司馬さんは、それを参考にするしかなかった―ということも、平成時代になって明らかになった。

そんな日清日露戦争の話のあとに、やっと、歳さんたちの話。
土方歳三の写真が まだ、今ほど、巷に溢れていなかった頃、友人と函館、松前、江差、鷲の木浜、そして、五稜郭と旅した昔のこと、『散華 土方歳三』を書くきっかけなどについて語った。
その友人は九州に在住なのだが、出逢いのきっかけは、昔々の日野の歳さんの墓なので、「墓フレンド」(造語)―と認識(?)していることなど、五稜郭内に土方の遺体は埋葬されているにちがいないから、「ここか」「いや、こちらか」―などと、半分以上は本気で探し回ったこと―それも、青春の1コマだ―と。
私は、北方謙三氏の『黒龍の柩』が大好きで、3回ほど、あの分厚い上下の本を読んだ。
ここに書かれている歳三と山南さんのカッコいいこと!
この土方の胸の底には、死んでいった山南敬助の想いが、自らの願いのように在る。
歳三にも山南にも徳川の先が見えていた。だから、これからの新選組と隊士たちの道を考え続けた。それは、本当は、山南と共に見つけて行く道だったのだが、山南は死病(胃癌)を抱え、
「お前をひとりにして済まんと思っている。若い者たちも、おまえに頼るしかあるまい。近藤さんは頂点に立ち続けようとするだろうからな。それは、時には滅びにつながってしまう」と、土方に言い置き、屯所を出て行く。(それは、伊東甲子太郎への牽制もある。山南への処断によって、隊士たちは鉄の規律の厳しさを改めて知る。)
友情が切なかった。
こういう友情は、女の私には書けない―と、少し嫉妬した(笑)。
勿論、『黒龍の柩』の話を結構入れる事は、北方謙三さんには了解済み。

そうして、斎藤一やら、歳さんを巡る人々の話をして、新刊『群華(ぐんか)土方歳三と巡る人々』の一番最後の作品『願はくは花の下にて』について、触れた。
歴史はとぎれることなく続いているから、歴史の扉の向こうから、人々は、
「仲間よ、百年の後に来る仲間たちよ、同朋よ」
と、きっと、呼びかけているに違いない―と。
そうすると、歳さんの百年の後に来たのは誰か―。
フランスの俳優、アラン・ドロン氏だった。(もう、美の典型!!)
沖田総司の生年月日はいくつかあり、武士の家系であるのに、それが、はっきりしない所に、総司さんの人生の暗い部分をふいと見る思いがする。
斎藤一と同じとも言う。同じであったら、彼らの百年の後に来たのは、これは、最近、気が付いて、「!!」だったのだけど、歌手で俳優の舟木一夫氏だった。舟木さんも若い頃に沖田総司を演じているなぁ―と思い当った。
アラン・ドロン氏が土方歳三を演じるわけにはいかなかったけど(笑)。
しかし、ドロン氏は『サムライ』という一匹狼の殺し屋を演じている。「武士(さむらい)」に強く惹かれている人でもある。

…と、そんな風に、歴史はとぎれることなく、繋がっている。
それでは、私たちも、
「百年の後に来る仲間たちよ、我が同朋よ」
と、未来へ呼びかけるのか―ということになるが、
「百年の後に果たして人類は居るのか」
などと、講演中に、怖~い事が思われて、それは、話さなかった。

16:30から1時間半、90分の講演、少し、オーバーして、外に出てみたら、冷たい雨はやんで、函館山の頂上の明かりがクッキリと見えた。
「夜景はばっちりです」
と、聞いて、久しぶりの函館山へ。
勿論、ホテルに寄って、コートの下に薄手のセーターを着込んで、冬の恰好(?)に着替えた。

夜景はクッキリ、バッチリ!
雨で洗われた後なので、そして、空気が冷たいので、ものすごく綺麗な夜景を観る事が出来た(5月にしては、寒かったけど、ね)。

翌日、五稜郭祭の本祭―パレードの行われる日。
ピカピカの晴れ!
でも気温は15℃くらい。気持ちのいい日となった。
「さすがに、歳三晴れ!」

一本木関門の土方最期の地は、山ほどの花―だった。



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