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アボルダージュ!!

文芸及び歴史同好会「碧い馬同人会」主宰で歴史作家・エッセイストの萩尾農が日々の思いや出来事を語ります。

北方謙三氏の「曹操孟徳」

2017-03-04 | 雑誌・書籍

新年を迎えたと思った途端に、すでに三月だ。
そして、ここへの綴りも、二月は全く無し―。
二月は忙しかった―と、言いわけをして…確かに、多忙だった。
やることが沢山、あった。原稿もいっぱい書いた。
けれど、忙しくても、就寝時には本を読む、いや、本が無いと眠れない。
文庫本が好きだ、重量の点で、つまり、重くないから―という理由で…。
その文庫本も、昨年一年間の分だけでも、すごい量が本棚の前に積まれている(本棚にはもう入らないので)。
「積ん読」―という言葉があるそうだ。積んであるだけで、読んでいない本の山のこと。
壁から天井までの本棚を、この家を新築の時につけてもらった。そこが、表面だけでなく、本の裏側にも本を並べて、その本棚がいっぱいだ。全部、読んだ。読んだ分だけの知識が全部、頭の中に残っていたらよいのに、殆どは、消えていく(笑)。
「感性」が残っていたら、いいなぁ―と思うが、果たして…。

その裏側にいってしまっているほど、もう、ずっと、ずっと前に読んだ『三国志』(吉川英二)―。
ずっと前に読んだその『三国志』の時から、私は、曹操孟徳が好きだった。
劉備玄徳や諸葛亮孔明には、興味が湧かなかった。
織田信長が好きな人は、『三国志』を読むと、曹操が好きだろう―と、そんな事を言っていた出版社の編集の人がいた。だから、
「萩尾さんは、曹操が好きでしょう」
と、言われた。
でも、吉川版『三国志』で、曹操に泣くことは無かった。
北方版『三国志』で、曹操孟徳という男に泣かされた。胸が熱くなった。
文庫版で13巻―読み進むにつれて、曹操孟徳という人間が立ち上ってきた。
とても人間らしいのだ。
広大な中国の荒野の中を、殆ど、休むことなく、駆け廻り、己れの智慧のみで、生まれも権勢もない場所から、躍り出ていった。多分、この時代の天は、曹操孟徳に味方したのだろうなぁ―と、思われるほどに…。
百万の敵に三万で戦い、勝利し、その後、赤壁の戦いでは大敗を喫して、命も失われるだろうと思われるほどの危機を脱して、彼が使う隠密(のような役目をする)の石岐などには、
「大勝ちをしたと思ったら、負ける時も派手に負ける」
と言われたりする。
つい、涙がこみあげてしまった場面―その大負けの赤壁の戦いのあと、城塔に一人たち、
「兵士は泣かず、兵士は嘆かず、兵士は悲しまず、ただ歩き、心に故郷だけを抱いているのか」
といった意味の詩を吟じる。
「声は荒野に拡がり、消えて行く」
と、北方氏の『三国志』は綴られる。
曹操の側近(というより護衛に近い)の許褚(きょちょ)がそばにいる。
許褚は何も言わなかったが、月の光に照らされた頬が濡れて光っていた―と、書かれている。
『詩は悲しみなのである。喜びをうたっても、恋をうたっても、底には悲しみという情念が流れている。生きることは、ただ悲しいだけではないか。
 しかし曹操は、その悲しみを心の奥に押しこんでいた。書く詩からも、それを読み取れる者はいないだろう』
と、北方氏は、物語の中で、曹操をとらえ、そう綴っていた。
八巻まで読んで来て、曹操の出番(?)がとても多い。あの時、あの大陸での出来事・事象は、曹操孟徳を中心にして動いていたからだろうけれど、私には、嬉しい『三国志』だった。
曹操を赤壁で大敗に追い込んだ周瑜(しゅうゆ)が、その後、重い病を発症している事が内密に知らされた時、
『「病か、あの若さでか、惜しいな」
曹操は、そちらの方が気になった。』―と、ある。
知らせた者は、答えた。
「まず、周瑜の病を心配される。そこにつけこもうと考えられるのは、大分経ってからになる。それが、丞相(曹操)というお方で、私はそういうところに惹かれ続けてきたのかもしれません」
と。
その者と自分と、手を汚すこともやってきた、権謀という点においては、二人とも劣らないが、それで、その者が汚れたと思ったことは無い―として、最後は自分で責を負う人間であると、感じた。
劉備の所に、徐庶(じょしょ)という軍師が居た時、劉備の戦いが変わった。やがて、諸葛亮孔明を迎えて、劉備は一気に表舞台に出てくる。
劉備は、関羽や張飛、趙雲といった優れた部下がずっとつき従っている。
彼らは、特に張飛は、劉備の「徳の将軍」という評を全うさせるために、常に汚れ役を引き受ける。
読み進むにつれて、私の中で、張飛も人間になって行った、いや、人間らしくなって、目の前を駆けて行くようだった。優しい男だった。
やはり、私は、自分の夢や希望、或いは、野望を叶えるためには、自身が汚れる事を厭わない者が好きなのだ―と、あらためて確信した。
もう間もなく、周瑜は死んでいくだろうが、ここにきて、彼の人間も立ち上ってきた。
そうだ、呂布(りょふ)という男も、豪傑で乱暴で、それでも、どこか、悲しい男だったっけ…。

10巻で曹操が死ぬ。そのあとの3巻を、私は、誰をよすがに読んで行けばいいのだろうか―と、憂えてしまうほどに、北方氏の曹操は、その心の奥までも書かれていて、その底の憂いも悲しみも、そして、果断な行動も果敢な姿も、読むこちらの胸底深く爪痕を残した。
本当に、誰をよすがに…である。
誰か、その人間(人間性)が立ち上ってくればよいけど、どうかなぁ―と、残されている面々を考える。


…というわけで、春を待ちながら、本当に、年を経るにしたがって、冬過ぎての春の待ち遠しさが、年々、つのる―その春をひたすら待ちながら、まだ、忙しさの日々を頑張る!…か。



追記 
山と積まれた文庫本も、その他も、ジャンルはあちこち、滅茶苦茶であるが、この度、なぜ、今更『三国志』を手に取ったか―というと、昨年の『宮崎美子の本屋堂』という題名だったかの、テレビ番組で北方氏がゲストで、本の話をしていた。
この時、すでに、北方氏は『三国志』から『水滸伝』そして、『岳飛伝』やら…と、沢山の中国の話を書いていた。全部で50冊は軽く越えるだろうというほどに…。
それほどに、書いても、まだ、書き残している事がある―云々と。
そのひたむきな思いが、もう、羨ましいくらいに、伝わってきて、これは、読まなければ―と、思い至った次第。
その前に、北方氏の時代小説―大好きな『黒龍の柩』を除いても、『机下に死す』『草莽枯れ逝く』『ひとり群れせず』…等々、読み、染みいるものに胸熱くしてきたけれど。
まだ、心がはるか昔の中国にあるのだろうーと、毎年、その年賀状から、北方さんの心が伝わってくる。はるかな大陸に在るのだーと。


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