緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

都城志布志間高規格道路一部開通

2008年10月15日 17時30分16秒 | 健康
10月15日(水)

午後から都城~志布志間地域高規格道路の一部開通個所を確認に出かけました。全線四〇キロ開通までは後十年かかると言われる上下二車線の高規格道路、すでに曽於市末吉から志布志北有明まで約八キロが一般使用に解放されています。志布志湾へ向かって緩やかな下り勾配、途中で目にする光景は二〇mは越える切り立った火山灰土壌シラス層、火山灰はどこから飛んできたか桜島か霧島か南島か?


「孫は老人の冠」、二七年前、旧約聖書の言葉に出会ったときは素直にうなずきました

終点有明北出口はかっての都城志布志間幹線道路へ連なっています。三〇年前の事、あれから志布志港湾開発に伴い広域農道や県道の道路整備が成されて穀物運搬車・大型トラック・ダンプカーと交通量が増えています。八キロの解放区間を上下走って見ますと主に大型車がひっきりなしに走っています。この間の在来線県道や広域農道には信号ありカーブ有り坂道ありで田舎道とは言え運転に注意です。道路網とは戦争さえ無ければ際限なく広がり整備されていくものと改めて再認識します。


「父は子の栄え」、この言葉にはなぜかしら一瞬考えさせられました、今ではそうだと胸を張って答えます

なるほど、わずか八キロの解放区間、知ってしまえば同区間で在来道路を通ることも無くなります。高規格道路は車に優しい空間、九州自動車道宮崎道も半額料金になればかなりな交通量になると推測します。道路と集落は完全に切り離したが無難、都城市の中央通商店街がシャッター街になりましたのも、原因は様々ありますが国道十号線をいつまでも商店街道路と兼用した事にも遠因があります。


お誕生日は七月一日、ようやく歩けるようになり、広い公園は歩行訓練の場にかわります

今年のハイライト、八月十一日の出来事、ラオス国シェンクワン県ポーサワン市から首都ビエンチャン市へ海抜千二百mから平地四百mへの下りこう配国道七号線、夜の国道、それに雨も降る中、道路沿いの集落の数もかなり数えました。興業踊り舞台もある集落もありました。大型トラックがひっきりなしに走る道路脇に民家の連なり、交通事故が起こらなければ良いがと通りすがりの光景にあらぬ心配をしました。大きなタケノコが戸板一枚に並べられていました。あの山岳地帯の国道、集落から離れた場所に新道が出来るだろうか、これも異邦人のいらぬ心配です。


人間関係は、祖父二人、祖母父親母親健在、叔母四人、妹弟いとこは只今零人

道路網はこれからも整備されて豊かな南九州の出現!宮崎県と鹿児島県の県境を意識することもなく車の往来は激しさを増していくでしょう。都城志布志間高規格道路が地域社会を狭めることは確かでしょうが、何が変化するのでしょうと考えますが、変化するものの輪郭が浮かび上がって来ません。
かって都城市と志布志市の合併を唱えた何代目だったかな第十七代市長有田秀秋氏、よくよく地図を眺めますと都城市南部で両市は接触しています。鹿児島宮崎両県にまたがる広域都市都城市の出現が両市道路網に関心を抱く始まりかなです。
道路意識の目覚めで地域住民と産業の掘り起こし、大型合併これぞ都城市を発展へ道筋、都城市長立候補者の公約にもなりそうです。どうぞ必要な方はお使い下さい。

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