緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

晴れ日は思いもにぎやか

2008年10月16日 18時18分36秒 | 健康
10月16日(木)

すっきりとした朝の散歩、昨夜は久方ぶりに友人たちと飲み会、いつもはハシゴしない二次会まで出向いてしまい前期高齢者であることをつい忘れてしまいました。話題を豊富に持つ友人たち、時間のたつのも早く、話が多彩なほど飲み会もにぎやかになります。


重要文化財旧朝倉家住宅(渋谷区猿楽町29-20・TEL03-3476-1021・東急東横線代官山下車徒歩5分)

仕事も大切、なかなか地方都市に不動産を求める動きは鈍く、今以上の働きで情報収集に努めないときびしい現実が待っています。午前中は情報を求めて宮崎市まで出向きました。初対面の方とお話する事をためらっていては不動産仲介業務は成り立ちません。現地資料を収集して写真や公図を掲載した自社製チラシで売り込みをします。


どこか宮崎県串間市旧吉松家住宅と似通った雰囲気のある大正時代に建築された日本式家屋

さて、都城ライオンズクラブへの提案書作成も待っています。ラオス国シェンクワン県サックソッド村に小学校校舎寄贈が実現するかどうか。より具体的な提案書作成に向けてアジア教育友好協会(AEFA)のご協力も必要になります。判りやすい提案書とは具体的な事実が盛り込まれているかどうかです。


なんと表現すれば良いのか、この屋敷の所有者の変遷を見れば、日本国の内部を垣間見る思いがします

あれもこれもと思いはにぎやかな一日です。「吐噶喇列島・斎藤潤著」をめくっては思いを南島へも馳せます。鹿児島港を金曜日夜十一時五〇分に出航して口之島・中之島・平島・諏訪之瀬島・悪石島・小宝島・宝島・名瀬港とおよそ十七時間におよぶ海の旅、さぞかし楽しかろうに、数年前に鹿児島港から那覇港まで船旅をしたことがありますが、船上から眺める各港風景は絵になります。吐噶喇列島を知るにはまず船旅からです。
参照:http://www.tokara.jp/index.html


旧朝倉家住宅を通して、平成の世から大正時代を振り返って見ますと、日本の近代史がすけて見えてきます

今回、笠利町佐仁の奥ご夫妻訪問をも兼ねて行きは船旅、帰りは空路の旅へ出向きたいものです。贅沢を申しますと船旅は一等客室がよろしいですね。飲めばいびきも大きいし波を枕の船室は個室に限ります。フェリーとしま(総トン数一三九二トン・速力十九ノット・定員二百名)の鹿児島名瀬間の片道料金、一等で二三,二四〇円、指定寝台で一五,八七〇円、二等で一一,六二〇円。


日本人はこのような建築様式を捨てて、どこへ目指して行くのか、若者教育はしないのかと、右派になります

庭の柿の実も良い色合いになってきました。五〇や百個はなっています。残念ながら手が届きません。脚立でも無理です。昨年みたいに植木屋さんに頼んでフォークリフトで収穫する方法もありますが、万円単位の費用がかさみます。脚立に登って取れる分は収穫しましたが、注意すべきは柿ノ木にはダニが多いと言う事です。カッパを着込んで採集しないと普段着で作業しましとダニがいっぱい服にこびりついて大騒動です。と言うのも台風が遠くを通り過ぎて、まだ柿ノ木は葉でおおわれています。葉にダニが付着しているのです。野生と人間社会には目に見えない境界があります。めったやたらと野生の世界に入り込まない事です。入り込むにはそれなりの準備をする事です。すぐそこにある野生の世界、人間が住む空間は限られたものです。


日本庭園に中庭が取り入れだしたのはいつの頃か?平安時代かな、中国の様式採用が最初と思うけど!少し疑問も残る


東京も南九州も植生は同じ照葉樹林帯と思いますが、緯度の違いもあり成長過程が少し異なるのかな!

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