緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

最後列窓側の席

2011年02月24日 18時34分16秒 | 健康
2月24日(木)  

 空の旅をシニア割引と言う特典で恵まれますと、何か新しい事を考えなくては面白くないと思うようになります。このシニア割引料金は通常運賃の三分の一程度です。従って当日は購入可能な優先順位は最後列となり空室が有れば乗せて頂きますと言う場面もあり、どちらかと言いますとノンビリと構えて一便くらいは遅れても泰然自若とした心構えが必要になります。



空港での待ち時間も自ずと増えてきます。そこで今までのセカセカした態度を改める必要が生じて来ます。退屈しのぎに空港での観察対象を増やすことがまず手始めになります。次に泰然自若とした態度を応用して座席指定もそれなりに遊び心が必要になります。そこで気付きました事は座席を最後部窓側を指定しますと、大概はスムーズに事が運びゆったりとした空の旅を楽しむ事になります。



今年になり最後部窓際席を二回ほど指定しましたら見事に当たりました。毎度の事ながら前置きが長くなりましたが、後部席から下界を眺めますと天候が良い日は物の見事にグーグルアースの写真再現です。細やかな鳥瞰図が繰り広げられて思わず見とれてしまいました。正月休暇の帰路で那覇空港より鹿児島空港へ向かう途上、航路として大隅半島上空に入り桜島の東側を通過します。尾根伝いの風力発電風車に見とれておりましたが、気付きました事は大隅半島でさえ人家の無い地域は見られなかった事です。それほど日本国土は想像以上に居住空間の広がりで原生林など皆無に近いのではないでしょうか。



昨日、羽田空港を飛び立った日航機は名古屋市上空あたりまで海岸線を左舷に見る針路で航行しましたが、上空へ向かう東京湾上空から眺めた地上は建物の広がり、東京湾岸沿いは重工業の工場群と後ろに控える住宅団地が連なっています。戦後の日本が発展した過程を眺める気分にもなりました。千葉県をも首都圏域と申すのであれば、戦後六六年間とはこのスタイルで日本は成長してきたのだなと改めて知りました。現状は広がった首都圏域が更に都心部に戻り高層化へと成長過程にあるのかなと思いました。当然の如く、フラットな広がりから立体化へと、人々は新しい生き方を求められるのでしょう。



本日は所用で都城盆地の山間集落を目にする機会があり、山水の湧き出す緩やかな地形を悠久の時間で棚田へと変えて水田稲作を営々と守り通したご先祖様の実績を風景の中に見ます。上空から眺めた首都圏の広がりとは裏腹に閑散とした農村風景です。冬の棚田風景、静寂の中に何故かしら安堵感がわいてきます。これも如何ともし難しです。



記憶にある最初の日本国人口は八千万人、一九四七年頃か、それが行動成長が進むに連れて一億人を突破して一億二千万人までになりました。その後は少子高齢化社会と呼ばれるようになり人口減少傾向にあります。首都圏を上空から眺めますと、これが目一杯か、さもありなんと思う広がりです。首都圏の広がりと大隅半島の農業施設の連なり、大いなる現状認識の光景です。

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