ヒデマル的日常生活

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任那日本府の正否

2009年05月08日 | よもやま話
 日本史を習っている中で違和感があった記述に、5世紀の朝鮮半島南部に任那日本府があり、大和朝廷が支配していたと言う記述だ。日本国内の覇権もようやく叶った政権が朝鮮半島まで進出し、一部地域を支配していたとは驚きも良いところ、どうも合理的でないように感じていた。

 ところで最近の研究で、旧来の常識がどんどん覆されているようだ。例えば、鎌倉幕府の成立は、「いい国作ろう」1192年と教えられてきたのだが、最新の研究では1185年には成立していたと言うことらしい。

 近年韓国で任那や伽耶諸国の遺跡発掘・研究が進んでおり、出土品から近畿地方の豪族と繋がりのあることは分かっている。

 ではどういう関係だったかと言うと、伽耶諸国は鉄製品の生産が可能な先進国だが、高麗、新羅に囲まれ、軍事的脅威に曝されていたこと。一方日本は鉄製品が必要で輸入したい、その見返りとしてどうも傭兵を派遣していたらしい。

 また朝鮮半島から日本へ渡来してきた人々もそれなりの集団になっていただろうから、大和朝廷の中で一定の勢力を誇っていた可能性がある。事実蘇我氏や物部氏は渡来系民族の末裔と言う説もあるので。

 話を戻して、伽耶諸国と日本は繋がりがあり、伽耶諸国に倭人の軍隊がいて、高句麗や新羅と戦い、その記録が広開土王碑文となったとすれば、受け入れやすい。

 韓国の反日思想は付き合い切れないものがあるが、任那日本府に関しては支配と言うよりは同盟、もしくは従属の関係があったと考えるほうが、どうも合理的なようだ。

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