飛騨さるぼぼ湧水

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薬より生き方 (その 2 ) 「感謝」で思考は現実になる!

2018-06-30 21:31:09 | エッセイの部屋

先日は私の突然の高血圧の原因がフリカケの塩分と分かってよかった。
その後、お蔭様で塩分を絶って朝の血圧も下がってきている。
今は大事をとって、しばらくは車やバスでの外出をひかえる事にした。
しかし、よくよく考えてみると、こんな事が冬でなく夏に起こって幸いだった。
ここは寒い飛騨の地だ、もし冬だったら、零下十数度の早朝の血圧ももっと上がっただろう。
不幸中の幸い、感謝感謝だ!と思う事にした。
また、週5回ほどだった外出も、しばらくしないと決めたら時間的にも心にも余裕ができた。
そのため、放ったらかしだった食事作りや家の周りの世話にも目を向けるようになった。
お蔭で鉢花の雑草も取り家の周りもきれいになった。
これも高血圧のお蔭、感謝感謝だと考えるようにした。
本来の私ならば、最近は家の外にもする事がいっぱいあったから、「どうしてフリカケなんか食べてしまったのだろう」とか「ああ、いつもの外出ができないなんて」とか、「家に閉じ込められて気がめいる、気分転換ができない」とか「早く血圧よ下がれ」等々気をもみイライラしているところだった。
しかし、今回は不幸な出来事も、上記のように悔やむだりイライラする事なく、感謝の心で受けとめられている。
この変わり様には、少々自分でも驚いている。
何故そうなったかと言えば、ある本を読んだからだ。
その本によって、今まで私が思っていた考え方や生き方が「やはり正しかった!」と勇気づけられたからだ。
その本とは、「感謝」で思考は現実になる パム・グラウト/桜田直美訳 サンマーク出版、昨年発売の本、である。
この本の中では「猛烈な感謝」を奨励している。
この事と似たような話を思い出した。
それは小林正観の「ありがとうの神様」と言う本である。
数年前に私がこの本を読んで感動した時は、自分でも「感謝魔婆さん」と言う童話を作ったくらいだ。
今回も久しぶりに心を揺り動かされた。
そして、「ああ忘れていたけれど、そうだった!」と改めて感謝の大切さ、と言うよりも「すごさ!に改めて気づかされた。
その結果、上記のように今回の出来事も感謝で受けとめる事ができたのである。
そう言いながら、現在パソコンに向かっている私も、実は大変な状況である。
と言うのは、今、この地域は豪雨の真っ最中である。
私の自室は二階なのでトタン屋根を打つ雨音がかつてなく激しい。
部屋のテレビの音もラジオの音もかき消されて聞き取れない。
暗い外からはパトカーのサイレンとアナウンス声と救急車の音だけがかろうじて聴こえる。
昨日からの大雨で、近くの山が崩れて、私の地域にも「避難指示」が出ているのだ。
先ほどから激しい雨音の中を「すぐ避難してください!すぐ避難してください!」と言う移動中のパトカー?からの呼びかけが続いている。
隣の姉さんも、私の長靴やタオル等の避難用具を準備すると、「いつでも避難できるように着替えて!」と言って、早々に帰った。
パトカーは相変わらず「避難指示が出た!すぐ避難してください!」と移動しながら呼びかけているが、避難と言っても私の場合、数十メートル平な道を離れた公民館に移動するだけである。
避難所と私の家も安全面では大差がない。
それに山崩れ箇所もだいたい見当がついている。
私の家からはかなり離れた箇所で、私の家には影響はない。
子供の頃近くの山々をくまなく歩き回ったから、どの付近が崩れやすいか分かっている。
雨の勢いも減ったようだから、我が家付近は大丈夫だと考えて心配するのを止めた。
先の事について、あまり心配するのは良くないむしろ明日は素晴らしい事が起こりそうだ!と思う方がよい、と言うのも上記の本の考え方だ。
と言う訳で、本題に入るまえの余談で疲れてしまったので、途中だけど、ここで筆を置く。
翌日、6月30日(土)
今日つづきを書こうとしたが、無理なので次回にする。
昨晩の山崩れで鉄道も埋まりjr高山本線は高山と下呂間では不通になっているようだ。

(つづく)

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