飛騨さるぼぼ湧水

飛騨の山奥から発信しています。少々目が悪い山猿かな?

冒険小説「幸福の樹」(その 21 ) 女王のアドバイズ

2019-03-31 16:56:50 | 小説の部屋

ハイハイハイハーイ、おまたせ、飛騨の小路 小湧水でーす、さくらも満開ま近かでーす。
いよいよ、明日は新しい年号の発表、さてさてどんな年号になるのでしょうか?
先生もきっとこれだ!なんて言ってましたが、外れたら恥ずかしいので一度言っただけで、もう言いません。あっ、そうだ!藤井少年の将棋の「封じ手」のように、前以て書いておけばいいですね、当たっても外れても。もちろん日付も書いて、そう自分宛てに郵送すれば当たった時、証拠になるかも。
はい、てな訳?で、早速、小説に参りまーす、はい、では開幕、開幕ー!

21 女王のアドバイズ

(しまった!)
失言で太郎は青くなったままだった。
しかし、心の奥では、言った事は間違っていないと思っていた。
もし獣に生まれるとしたら、やはり草しか食べられないウサギや鹿よりも、彼等を食べる狼や熊の方がマシだ。
「あの、隊長、本当にそうでしょうか?」
ゴクウの言葉に太郎はエッ?とつまった。
「あの、隊長、草は地面至る所に生えています。どこにでも食べ物があるのです。それに比べ狼やキツネは小動物を見つけて捕まえなければ食べられません。彼等は用心深く逃げ足も早いので簡単には捕まりません。果たしてどちらが幸せでしょうか?」
そうゴクウに言われると太郎はあわてた。
「えっ、たっ、確かに、そっ、そうだな・・・」
太郎が考え込んでいると、あの白ウサギがもどってきた。
そしてゴクウに向かって一生懸命何か伝えていた。
元々まじめな顔のゴクウがさらに厳しい表情で聞いていた。
やがてウサギの話が終わると、ゴクウは太郎とハナに向って、
「やっぱり、駄目でした」
と言った。
ハナと太郎が顔を見合わせた。
「あの、理由は違います。ピンクウサギの女王が言うには、この地下王国を通って奥の森まで行くには、私達ウサギだけなら細い通路で行けるけれど、あなた達、人間や猿ではその細い道は通れません。もっと大きな洞窟の道なら通れますが、そこは大変危険な道です。
多分あなた達では騒がし過ぎて途中でこの地下王国の主(ぬし)に気づかれて食べられてしまうでしょう・・・との事です」
「えっ、地下王国の主(ぬし)だって?あのピンクウサギが女王じゃないのかい?主(ぬし)って誰だ?それって、もしかしたら大蛇の事なのか?」
驚いた太郎が怒鳴ると、白ウサギはゴクウにまた何か言った。
「いえ、大蛇は入り口を見張っているだけで洞窟の奥にはいないそうです。それに地下王国と言うのは、とても大きくて、その中に小さなウサギ王国があって、あのピンクウサギは、そこの女王なのです」
「それじゃ、ゴクウさん、主って誰なの?食べられるって、どう言う事なの?」
ハナがゴクウに聞いていると、太郎が白ウサギに向って、
「おい白ウサギさんよ、お前はハナに助けられたんだろ?だったら恩返しはしないのか?ただ案内するだけだろ?こっそり案内してくれればいいんだ」
と怒鳴った。
すると、白ウサギは、またあわてて奥のピンクの女王の所へ跳んで行った。
しばらくしてから、もどって来て、ゴクウに告げた。
「あの、隊長、女王様が言うには、雪崩の中から救い出して、大蛇のいない入り口を教えただけでももう十分恩返しをした事になります。さらに地下王国の様子まで教えたのです。それに大事な注意する事まで教えたので、もう恩知らず!なんて言わないでください、との事です」
ゴクウが言った。
ハナはウンウンうなずいて白ウサギにゴメンネ!と謝った。
そして太郎には、これ以上ウサぎさんを困らせないで!と叱った。
「ああ、分かった、分かったよハナ、ありがとうよ白ウサギさんよ」
太郎はようやく納得した。
「さあ、それじゃ俺達だけで出発するか」
太郎のかけ声で皆が荷物を持って旅支度をした。
「よし、進む方向はあっちだ!よく考えてみれば案内なんていらないんだ、洞窟の奥へ進むだけだ。さあ、ケン、行くぞ!」
「ワンワンワンワン!」
ケンがシッポを振って久しぶりに吠えて先頭へ駆けた。
ゴクウと太郎が、その後ろに続き、最後はハナだった。
洞窟はだんだん大きくなっていって、天上も高く、横壁下の床を水が小川のように流れていた。
明かりは見当たらなかったが、どこからか光が漏れて来るのか、鍾乳洞の壁は乳白色にほの明るかった。
最後列を歩いていたハナは、ウサギ達の姿が見えなくなると、急に淋しくなった。
さらに今まで先頭を案内していた白ウサギの姿が見えなくなると、いっそう淋しく感じた。
この先、もういないと思うと、泣き出したいくらいだった。
しばらく洞窟を進んでいると、壁に小洞窟のような穴が目立ってきた。
(ひょっとして、これが、あのウサギが言っていた細い道の事かな?)
と皆は思った。
(ひょっとしたら?)
とハナが思った瞬間、その穴に何か白い影が動いた。
「ワンワンワンワン!」
「あっ、白ウサギだ!」
太郎が大声をあげた。
ハナが見ていると、あの白ウサギが姿を現した。
そして、また今までのようにケンの前を案内し始めた。
「あれっ、どうしたんだろう?また来たぞ、もう案内しないって言ってたのに?」
太郎があっけに取られた。
「まあいいや、案内してくれるのなら、こんな都合のいい事はない、なあ、ハナ?」
振り向けば、ハナは聞くまでもなく満面の笑顔だった。
太郎もハナも、ひょっとしたら女王様の許可が出て、このままずっと白ウサギが案内してくれるのかなと思って嬉しくなった。
やがて洞窟は、高い天井に穴が空いていて、そこからまぶしい光が差し込んでいる場所にきた。
突然、先頭の白ウサギが立ち止まって、振り向いて何か言い始めた。
「ハナさん、この場所に見覚えがありませんか?ってウサギさんが聞いていますよ」
ゴクウがハナに言った。
ハナは何の事だろうと辺りを見回した。
別に薄暗い洞窟の中で、脇に小川が流れているだけで、何も変わった事はなかった。
いったいどう言う事かしら?と思いつつ天井の穴を見上げた時、ハッと思い出した。
「あっ、ここって、昨年、子猿が落ちた穴だわ!」
思わず大声を出した。
「ええーっ!ハナ、ここがあの子猿を助けるためにロープで降りた巌穴なのか?」
太郎も思い出した。
「ええ、あの時、落ちた子猿を救う時、傍に子ウサギがいたのでついでに助けて天井の穴から外に出してあげたのよ、あっ、でも、・・・・」
その時、初めて太郎もハナも白ウサギが前に「ありがた迷惑だった」と言ってた事を思い出した。
その意味が今にして、ようやく理解できた。
「ああ、あの時、そうだったの?白ウサギさん、ごめんなさいね。あの時、ウサギさんは、ここで落ちた子猿さんを見守っていたのね。それなのに私ってあわて者だったわ、白ウサギさんまで一緒に上へ引き上げてしまって、本当にごめんなさい」
するとそれを聞いていた白ウサギは、満足そうにうなづいてゴクウに何か告げた。
「ウサギさんは、いえ、分かってくれればそれでいいんですって、ハナさんの親切心には感謝していますって言ってます。白ウサギさんの見送りは、ここまでしか女王様に許されていないから、ここでお別れしますって言ってます」
とゴクウが通訳した。
「えっ、えーっ、この先は案内してくれないのか?それは困るよ。何か恐ろしい地下王国の主(ぬし)もいるんだろ?ひえーっどうしよう!」
太郎が悲鳴を上げた。
白ウサギはゴクウにまた何か告げた。
「最後に女王様からの特別の伝言があるそうです。それはとても大切な事なので心して聞いてくださいとの事です。
途中で宝のような物が色々有っても、決して立ち止まったり、近寄ったり、触ったりせずに、わき目もふらずに腰を低くしてすばやく通り抜けなさいと言う事です。そうすれば主に気づかれずに通り抜ける事ができるだろうとの事です。もし万が一にも、見つかってしまったら、その時は、どこでもいいから小さい穴に逃げ込みなさい、ってとの事です。こんな詳しい事を女王様が教えるのは初めての事ですので、私も喜んでいます、との事でした」
大事な伝言を伝え終わった白ウサギは、別れを惜しむように長い耳を振った。
ハナ達が、出発してしばらくして振り返ると、白ウサギが立ったまま、天井穴からの光の下で、いつまでも耳を振っていた。
「ウサギさーん、ありがとーう!」
ハナの顔を見ると、また何か言っているようだった。
「ウサギさんが、洞窟には他にもかわいい生き物がいるから友達になると楽しいですよと言ってますよ」
ゴクウが通訳してくれた。
「かわいい生き物って?それは何だ?」
太郎が聞くと、
「それはお楽しみに!と言ってます」
ゴクウが言った。
「それじゃ、元気で、バイバイ!」
ハナ達は、最後の別れを告げると、前を向いてまた歩き出した。
「・・・・」
「へっ、なにだ、お楽しみに!なんてもったいぶって。どうせ、ネズミかリスぐらいだろ?ウサギがかわいいって言うんだからな」
太郎が思い出したようにつぶやいた。
ゴクウも合わすように答えた。
「そうですね、ネズミなんかだったら嫌ですね。白くて小さくて一匹二匹ぐらいならかわいくていいですけど、群れなんかが来たら大変ですね」
ネズミの群れと聞いて、ハナのそれまでの楽しい想像が、一変、悪夢に変わった。
「やめてよ、ネズミの群れだなんて!せっかくの楽しい想像ができなくなってしまうわ」
ハナが言うと二人は黙ってしまった。
(どんな動物がいるのかしら?)
ハナは心の中で想い続けた。

こうして太郎やハナ達だけの、飛騨の洞窟の旅が始まった。

(つづく)

ハイハイハイハーイ、いよいよ飛騨地下の旅が始まりました。
地底王国の主(ぬし)って、何者でしょうか?それにかわいい生き物って何でしょうか?はい、明日は年号のサクラ咲く!もう平成もあとひと月、来る世は、真に明るい世になりますように!
では、またのお運びを願いまして、バイバイバーイです!

ガイアの嘆き? 海のプラスチック塵!

2019-03-29 15:20:34 | エッセイの部屋


さくらがようやく開花して、寒さの中、満開に近づいている。
つい一週間前の彼岸の頃は、まだほんの蕾だった。
その彼岸の我が家の仏壇に、生菓子がお供えしてあった。
ラッキー!とお下げしていると桜餅の香りがした。
早速、一人でお茶の休憩にした。
さくら餅は、子供の頃食べた懐かしい香りがした。
その頃は、包んでいるさくら葉は、堅くて噛み切れなかったのではがして食べた。
二十歳過ぎると、甘党より飲む方になったので、あまり食べる機会はなかった。
が、食べる時は、大人になったので違和感はあったが、葉ははがさずにそのまま食べた。
今回は、もう、十分大人?なので、しかも甘党に変わったので、そのまま葉ごと食べて味わった。
と、そのつもりだった。
しかし、食べていると何か別の違和感があった。
半分以上残して食べるのを止めた。
葉が思っていた以上に噛み切れなかった。
変だな?
と指で調べてみた。
すると、驚いた事に、極薄のビニールシートがさくらの葉にくっ付いていた。
知らずに面倒だ!と飲み込まなくてよかった。
そう言えば、少し前にも同じような事があった。
わが畑で収穫したサニーレタスを食べていた時、少し違和感があった。
葉が萎びたからだと思って、そのまま飲み込もうと思ったが、念のためにと、葉を二つに裂こうとした。
すると、薄いビニールシートがからみ付いていた。
「いやーっ、危なかった、呑み込むところだった。気をつけなきゃ!」
その時、フと海亀の事を想った。
海亀は、海面に浮くいろいろな餌を食べて生きている。
最近は体調を悪くして死んだ海亀が見つかると言う。
その胃腸を解体すると、大量のビニールやプラスチックが出てくるようだ。
「俺と同じだ!」
とかわいそうに思った。
私の場合は、目が悪いので知らずに口に入れてしまう。
しかし、口や舌でのちょっとした違和感で、何とかビニールやプラスチック製品を区別できる。
あわてて口から吐き出して確認できる。
しかし、海亀には、それができないのだ。
おそらくビニールシートは、海亀にとっては海に浮いているクラゲの一種や海藻と思って呑み込んでいるのだろう。
柔らかさなどはほとんど区別できないほど似ている。
よくよく考えて見れば、ビニールシートがクラゲのように海に浮くようになったのは、ほんの50念ほど前からだ。
それまで何千念、何万年、いや何十万年と、そんな物は浮いていなかった。
明らかに悪いのは、食べる方でなく、そんな物を作って捨てた方である。
話は変わるが、私は幼い頃母親に連れられて畑へ行った。
その時、母親が畑の土に埋もれていたビニールやポリ袋を拾い出して言った。
「これから、世の中にこう言う腐らない物が増えると畑も土地も困った事になる」
幼い私は、どうして大人の人々はそんな事をするのだろう?と歯がゆく思った。
当時、日本の田舎にも菓子袋等ビニールやポリ袋が出回り始めた頃だった。
我が家は村の雑貨店だったので、今のコンビニェ店のようにあらゆる品を売っていた。
いろいろなお菓子は並んだ大きなガラスビンに入れて陳列し、薄い白紙袋に入れてばら売りした。
生菓子もケースに並べられ、そっと紙袋にいれ、子供用の菓子は神の箱や紙で包まれていた。
油揚げは薄い木シートや苞の葉に包み、豆腐やこんにゃくは客が入れ物を持ってきた。
現在のような使い捨てのレジ袋もビニールの包装品も無かった。
包むには新聞紙や包装紙などの天然素材で、田畑へ風で吹かれていっても腐って土にもどった。
しかし、その後は年々お菓子や食品がポリフィルムシート等で包装されていった。
そして、現在のように大量にゴミとしてアチコチに捨てられるようになった。
50年前に母が心配していた事が現実に起こってしまった。
不吉にも母の予言が的中してしまったと言う感じだ。
世の中のその行為は、今も悪化している。
先日もフィリッピン沖で死亡したクジラが見つかった。
胃腸を解体すると60キロもプラスッチクゴミが出て来たと言う。
世界中で海洋汚染原因となっているプラスチックゴミは、60%が中国、いんどねしあ、フィリッピン、ベトナムの五か国の沿海に集中していると言われる。
おそらく陸上では、それ以上に至る所の土地がプラスチックゴミで汚染されているだろう。
畑や野山に棄てられたビニールやペットボトルなどのプラスチックゴミは、やがて太陽光線の紫外線で劣化し細かく粉砕される。
それを見て、人々は腐ったとか無くなったとか勘違いする。
人工のプラスチックは、人間が処理しない限り天然素材の紙や布のように微生物の働きによって土にもどる事はない。
細かい粒のまま腐らずに存在し、軽いので雨が降ると河川に流され海に流れ込む。
大きな粒は海亀や海鳥が餌とまちがえてたべる。
小さい物はプランクトンとまちがえて小さい魚に食べられ、食物連鎖で次第に大きな魚の体内に留まる。
また、この微細粒は海水中の有毒物質を吸着するので健康面で問題である。
現在海水の中にこうしたマイクロプラスチック粉が世界中の海で検出されている。
ある推計によると、世界中でこのままの状態が続けば、2050年までに海に流れ込んだプラスッチック粒の総計は、海の魚の総重量を超えると言われている。
そんな事になったら、魚も海洋生物も生きてはいけないし、人々も海の魚を食べられなくなる。
欧米の企業を中心にプラスチックストローの使用をやめよう!と言う運動が起こっているが、これを機会に、世界の人々の関心が海洋汚染に集まり、早く対策に着手してほしい。
プラスチックゴミはすべて回収して、リサイクルに回すか火力発電燃料として高温焼却すれば自然界への汚染は止められる。
先進国がいち早く上記の対策に着手すべき事は言うまでもない。
しかし、現状を見ると、特に発展途上国へのプラスチックゴミの回収やリサイクルへの働きかけや援助が必要である。
そうした面とは別に、私が強く思う事がある。
それは、日本には、そうしたプラスチック材料に代わる新素材が既に開発されているのであるから、早くそれを世界的に普及させる事だと思う。
それは、「セルロースナノファイバー」である。
これは、木材が原材料で、プラスチックよりも丈夫で、自然に土にもどる。
早く国や業界が協力して大量生産に結びつけ、量産化や多方面の製品化を促がし世界普及に取り組むべきであると思う。
50年前と言えば、アメリカのアポロ11号が月面に着陸した。
その時に月の地平線から昇る青い惑星「地球」を写した写真を見た。
その「地球」は、漆黒の宇宙に浮かぶ青いオアシスのような美しい惑星だった。
この地球の美しさをいつまでも存続させたい。
奇しくも、つい最近、中国の衛星が月裏面に着陸する時に、地球の写真を送ってきたと言う。
「地球」と言う青い水の惑星、そこに住んでいる大地の女神ガイアの姿は変わっているだろうか?

(以上)


飛騨は花粉風  じゃが芋植え始まる!

2019-03-26 17:32:26 | 俳句日記の部屋


彼岸過ぎ 胸ふくらませ 仰ぐ空  湧水

朝散歩 終えて春陽の 珈琲(カフェ)かな  湧水

春のどか ラジオ野球の せちがなき  湧水

春野球 初回すがしき 緊張かな  湧水

北からは 吹けど優しき 春の風  湧水

花粉風 吹かぬのどかな 朝の里  湧水

腰も背も 伸ばして春日の 散歩かな  湧水

歩くごと 背中伸びゆく 梅の道  湧水

マスクせば 息も苦しき 花粉道  湧水

首元に 汗うっすらと 花粉道  湧水

杖落ちて 踏みとどまりし 春水路  湧水

山路来て 風もすがしき 春木陰  湧水

球児等の 元気に押され 春畑かな  湧水

三度目に ようやく始まる 芋植えかな  湧水

鍬打てど わが身の重さ 春の畑  湧水

陽と風と 大地に向う 春の畑  湧水

白日に 雹しのばむと しだれ梅  湧水

お供えの ぼた餅口にす 起きがけかな  湧水

寒もどり 厚着し朝に 初音かな  湧水

川柳

じゃが芋植え 十穴掘って ひと休み  本当はひと穴掘ってひと休み

じゃが芋植え 天が褒美の 大盛かな  弁当屋さんが畑まで来て、間違えた!と謝った

春畑に さらに褒美の 残白菜  最後の白菜も、もう終わりかけで、助かった!

春陽射し 畑かセンターか迷う朝  貴重な晴れ日は畑仕事に最適、芋植え準備をした。

冒険小説「幸福の樹」(その 20 ) ウサギの王国?

2019-03-23 14:52:41 | 小説の部屋

ハイハイハイハーイ、おまたせ、飛騨の小路 小湧水でーす。咲きました、咲きました!はいサクラの開花です。もちろん飛騨はまだです。
はい、飛騨は雪です、真冬の温度です昨日とはえらい違いです。
えっ、先生もぶるぶる震えて寒がっています。イチロウの隠退や相撲、甲子園も始まり、いろいろあります。
そうそう、さくらに雪と言うのも、なかなかインスタ映え?するんじゃないでしょうか?
ところで、全く関係ない話ですが、野ウサギって最近見かけますか?
猪や熊や鹿や猿の害はよく聞きますが、ウサギの話はさっぱりですね。やはり絶滅の方向でしょうか?
それとも、この小説のように・・・?いや、先生が喜びそうですので止めます。
何はともかく、寒い原稿、あっ、失礼、寒い飛騨冬の原稿が届きましたので早速開幕といたします。
はい、では始まりー、始まりー!

20 ウサギの王国?

飛騨の山々の下に大岩盤が横たわっている。
その中、至る所に未知の洞窟がある。
多くは鍾乳洞であるが、マグマや山が盛り上がる時にできた大小の空洞もある。
その洞窟に迷い込んだようにウサギと犬と猿と子供二人が歩いていた。
太郎やハナ達である。
洞窟の中は寒くも暑くもなかった。
一年中気温がほぼ一定だった。
これには太郎もハナもゴクウもケンも大喜びだった。
と言うのも、冬になると海から遠く離れた高地の飛騨は寒く雪も多く厳しい。
なので冬は熊のように穴の中で冬眠するか、それとも囲炉裏(いろり)のある住居の中で過ごすしかない。
しかし、雪の中でも旅を続けなければならない太郎達にとっては、寒くも暑くもない洞窟の中は、まるで天国のような場所だった。
おまけに白ウサギという道案内者もいた。
皆は何の心配もなく、ただ後を付いて行けばよかった。
「ヤッホー、ランランラン!」
皆は、まるで春の野山の気分で歩いていた。
思い起こせば、あの危険な美しく鋭い水晶があったのは、ほんの入り口付近だけで、その奥は、やはり鍾乳洞の洞窟となっていた。
外からの光は無かったが、だんだん暗闇に慣れてきた目には、天井も壁も床もほの白く光っているように見えた。
奥へ進むほどに洞窟はどんどん大きくなっていって、所々に大きなドーム状の部屋のようになっていた。
皆は歩き始めた頃は、好奇心いっぱいで天上や壁などキョロキョロ見回していた。
しかし、その内に首が疲れてきて見る事にも飽きてしまった。
太郎だけが、背中に特別大きな荷物を背負っていたのでキョロキョロせず、槍を杖代わりに下を向いてせっせと歩いていた。
「おいゴクウ、白ウサギにちょっと休憩しようと言ってくれよ。皆疲れたようだから、それに喉も渇いた」
太郎が、すぐ前を歩いているゴクウに言った。
「あの、隊長、だから言ってるでしょ?ウサギさんは私達の言う言葉は分かるんだって、直接言ったらどうですか?」
ゴクウがめんどくさそうに答えた。
案の定、先頭をピョンピョン進んでいたウサギが振り向いて何か答えた。
「あっ!おいっ、ゴクウ、何か言ってるぞ。早く通訳しろ」
太郎がせかした。
「ああ、この先に休むのによい場所があるそうです。そこはウサギ達の集合場所です。飲み水もあるそうです。それに紹介したい仲間もいるとの事です」
ゴクウが、まためんどくさそうに言った。
ほどなくウサギが言ったように、洞窟はドーム状の巨大な広間になっていた。
壁の脇には、水が細く流れていた。
不思議な事に、ドーム状の巨大広間には舞台のような一段高い場所があった。
さらに不思議な事に、床が盛り上がって、まるで観客用の腰かけのようになっていた。
それは、やや高い長椅子を並べたようだった。
「わーっ、何?これって?すごいわ!まるで大きな村の会議場みたいだわ。それに音もよく響くから歌や踊りを見てもらうのにも最高の場所だわ」
ハナが感動して歓声を上げた。
ケンも、音の響きを確かめるようにワンワン吼え始めた。
「おい、ケン、うるさいぞ!俺にはそんな事はどうでもいい。まず水を飲もう。もう喉がカラカラだ。うわーっ、冷たくてうまい水だ」
太郎が、膝をついて壁下の小川に口をつけてゴクゴク飲み始めた。
すると、ゴクウやケンも同じように口を水の流れにつけて飲み始めた。
ハナだけが両手ですくって少しづつ飲んだ。
それは、美しいドーム状の大広間を隅々まで見とれていたからだった。
ドームの天井の真ん中には、小さな穴が空いているらしく、そこから光が差し込んでいるようだった。
その光はクリーム色の壁に反射して、ドームの中全体が幻想的な乳白色に包まれていた。
それは、まるで現代風のオペラハウスみたいだった。
ハナは、夢の中で魔法の国に来たみたいにうっとりしていた。
その時だった。
まるで出番が来たかのように、舞台上にピンク色の何かが登場した。
「あれっ!」
その鮮やかなピンク色に、皆は釘付けになった。
よく見ると、それはピンク色の毛をした数匹のウサギ達だった。
「へえーっ、ウサギ?」
と同時に、今度は客席側にゾロゾロと出て来る者があった。
それは、赤っぽい色や青っぽい色や黄色っぽい色、それに黒っぽい色と言う、様々な色をしたウサギ達だった。
「わーっ、たっ、たくさんの色ウサギ???・・」
そのウサギ達は、次々に長椅子の上にピョンピョンと乗っていった。
そして、あれよあれよ!とハナ達が見ている間に、ドーム内は色とりどりのウサギ達で満席になってしまった。
と同時に、ウサギ独特の臭いがドーム内に立ち込めた。
ウサギ達は、ハナや太郎達には見向きもしなかった。
完全に無視していた。
ケンでさえ、あっけにとられて、吼えもせず、ただその様子を見ているだけだった。
やがて、舞台の上のピンクのウサぎ達の中の一匹が、中央に立った。
すると、アチコチ動いていた客席のウサギ達がピタッ!と動きを止めた。
そして、舞台上の、そのピンクウサギに注目した。
ピンクウサギは、何か重要な事を皆に告げているようだった。
会場の客席のウサギ達も反応して、皆が耳や頭や口を動かしていた。
大声らしき音も声も無かったが、明らかに何か会議が始まった様子だった。
「おいおい、ゴクウ!」
太郎が小さな声でゴクウの背中を指でつついた。
ちょっと待って!と言う素振りをしてゴクウは会場の動きに注目していた。
やがて、一回り大きい華やかなピンクのウサギが舞台中央に立つと、会場は一瞬緊張の空気が流れた。
「あの大きなウサギは誰?何を話しているの?」
ハナもがまんできず、ゴクウに聞いた。
ゴクウは会場の様子を見ながら、
「あのピンクのウサギは、この国の女王のようです。ここに集まっているのは雌ウサギばかりのようです。私達の事も話すようです。ちょっと待ってください。通訳していると大事な話を聞きのがしてしまいますから」
ゴクうの言葉に、ハナも太郎も仕方なく黙っていた。
「あの、女王が、この地下王国の地形や洞窟全体の事も話しています」
そう告げると、ゴクウは、また女王ウサギの話に集中してしまった。
「ちえっ、何も聞こえないし、分からない。つまらないな。それにしてもウサギって奴は実におとなしいもんだな」
しびれを切らした太郎が話し出した。
「っつたく!こんなに大勢いるのに静かなもんだ。ケンやゴクウ達のように犬達や猿達の集会だったらきっと騒がしいだろうな」
太郎のひとり言のようなおしゃべりは止まらなかった。
「ウサギって奴は、おとなし過ぎるからキツネや狼のエサになるんだ。襲われそうになったら、大声を出して噛みついてやればいいんだ。そうすれば襲われない、勇気がない奴は哀れなもんだ」
「しっ、しーっ!」
ハナが口に指を当て注意すると、太郎は少し小声になった。
「そうそう、それにしても草しか食べられないウサギみたいな動物はかわいそうだな、肉食の獣達のエサだからな。もし獣に生まれるなら、俺は狼の方がいいな、ウサギだけはごめんだな、・・」
太郎のおしゃべりが止まらなかった。
「しっ、しっ、うるさいよ!とウサギ達が言ってますよ」
ゴクウが厳しい顔で注意すると、太郎は不機嫌な顔になった。
その瞬間、会場の全員のウサギ達が一斉に太郎達に顔を向けた。
「なっ、何だ?皆がこちらを向いたぞ。いったい何だ?」
太郎はあわてた。
ハナは、顔を向けたウサギ達にあいそ良く笑顔で答えた。
「あの、今、あのピンクの女王が私達を紹介してるんです。なにせ人間や猿や犬を見るのが初めてのウサギ達もたくさんいるようです」
ゴクウが状況を説明した。
すると、太郎はホッと安心して、気どって拳を上げたり、口笛を吹いたりした。
ケンもシッポを振って、声を出さずに口をパクパク動かした。
しかし、あっと言う間に、ウサギ達の注意は舞台の方にもどった。
そして、今度は別のウサギが話をし始めた。
すると、ようやくゴクウが、今まで聞いていた詳しい内容をハナや太郎に話し始めた。
「あの、どうやらこの洞窟のウサギ達は、かなり昔から代々ここに住んでいるようです。
元々白色、黒色、赤色、黄色、青色の五色のウサギ達が野山に住んでいたそうです。
しかし、黒色以外は目立ってほとんどが人間や狼に食べられてしまったようです。
かろうじて、この洞窟に逃げ込んだウサギ達だけが生き延びたらしいです。
さっきの女王ウサギの紹介は、人間や狼の姿の紹介だったようです」
「えっ、ちょっと待て!それじゃ、人間や狼を見た事もないウサギ達に、これが先祖を食べた人間の姿だよ、これが狼に似た姿だよって、俺やケンを紹介したって言うのかい?」
太郎が怒り出しそうだった。
「えっ、いえいえ、ただ一般的に人間や猿や犬の事を紹介しただけです」
ゴクウは、そう言って、太郎を気にしながら話を続けようとした。
「ちょっと太郎兄ちゃん、黙っていてよ!聞きたい事があるなら、話が全部終わってからにしてよ」
ハナが怒ると、太郎はしぶしぶ黙った。
ゴクウが話を続けた。
「その後目立たない黒ウサギは野山の中で過ごしているうちに、夏は褐色、冬は白色とさらに目立たない色になったようです。
「ああ、爺さんが言ってた進化って奴だな、それが今のウサギの先祖と言う事かな」
太郎が、つい口にすると、ハナがすぐに怒った。
「しっ、黙っててって言ったでしょ?」
「いや、言ってないよ、ひとり言だ、つぶやいただけだ」
「とにかく、黙っていてよ」
ハナのにらみで太郎が黙ると、ゴクウが話を続けた。
ところが、洞窟の中ばかりで生きていた赤色と黄色と白色のウサギ達が、どう言う訳かピンク色になってしまったそうです。
洞窟の中は食べる草が少ないので、ピンク色のウサギは桜の花が咲いた時だけ外に出て、野山の草を食べたそうです。
また青色のウサギは、夏の青空の頃だけ外に出て草を食べたそうです。
赤色や黄色のウサギは紅葉の時だけ、白色は雪の時だけ外に出て草を食べたそうです。
黒色以外のウサギ達は、そんな不便な生き方をしていたので、だんだんウサギの数も減ってしまったようです。
その後は安全な森が、この洞窟のずっと奥にある事が分かったそうです。
その森は、周囲と言うか四方が夏でも万年雪に覆われる高い山々に囲まれているので、他の動物が来れないようです。
私が思ったには、その森に、ひょっとしたらあの幸福の樹があるんじゃないでしょうか?」
と言ってゴクウが口を閉じた。
太郎はポカーンと口を開けてうつらうつら聞いていたが、「幸福の樹」と言う言葉を聞くと、あわてて口をパクパクさせた。
「なっ、何だって?こっ、幸福の樹だって?」
太郎はあわて過ぎて喉をつまらせた。
ハナも太郎と同じように、心中あわてた。
「あっ、あの、その森へはどう行けばいいの?あの白ウサギさんは案内してくれるの?」
ハナと太郎は、ゴクウに詰め寄った。
ちょうどその時、ウサギ達の集会が終わったのか、あの白ウサギが太郎達のもとにやって来た。
「ああ、ちょうどよかったぞ、ゴクウ、その森へ案内してくれるか聞いてくれ」
太郎が言うと、ゴクウはまたムッとした。
「あの、何度言ったら分かるんですか?ウサギさんは私達の言葉は分かるって事を。ああ、めんどくさい!あの、もしもし、ウサギさん!奥の森まで案内してもらえるかどうか知りたいんですけど」
ゴクウが言うと、白ウサギは何か答えてウサギ達の方へ走り去った。
「あのピンクの女王様に聞いて来るそうです」
ゴクウが言うと、太郎が急に笑顔になった。
「ああ、それなら大丈夫だ。あの白ウサギって、ハナが助けた事があるんだろう?ウサギって、よく恩返しをするって話を聞くからな、大丈夫だ」
太郎は、もう大船に乗ったように笑い出した。
「でも、あの女王さんのご先祖達は皆、人間や狼達に食べられたんでしょ?」
ハナの言葉に、太郎から笑顔が消えた。
「それに何?太郎兄ちゃん、さっき聞こえて来たけど、草を食べるウサギより肉を食べる狼になりたい!なんて。それって、狼になってウサギを食べたいって事じゃない?」
不意に突っ込まれて太郎はあわてた。
「えっ、ちっ、違うよ、ハナ、違うよ、俺は草しか食べられない動物より、肉を食べる動物の方がいいと言うか、幸せだなって想っただけだよ」
「それって同じ事じゃない?周りのウサギさん達が皆聞いていたわよ」
太郎は、ますます青くなって黙ってしまった。
「・・・・・」

(つづく)

ハイハイハイハーイ、小湧水でーす、いやいや、とんだ太郎の失言でした。
やはりウサギ達はどこかに隠れていましたか?最近はアライグマやテン等外来の天敵も増えましたからね。しかし、女王国なんて、雄のウサギ達はどこへ行ったんでしょう?
あっ、そうそう戦後の植林で山の草や草原が減ったのも影響してるでしょうか?はい個体数減少の原因です。
はい、てな訳で次回のお運びを願いましてバイバイとさせていただきますー!
はーい、はーい、雪見桜によく冷えたビールはいかがでしょうーか?ブルッブルッ!


真の利他愛? 器として!

2019-03-20 23:22:14 | エッセイの部屋


土曜日の夕方は、テレビで「ブラタモリ」を見ている。
日本の地方都市の独自の地形やその歴史を詳しく紹介していて面白い。
先週の舞台は香川県だった。
その中で四国巡礼の一番札所を紹介していた。
四国巡礼では道沿いの地元の人々が巡礼者の「お遍路さん」を手厚くお接待する。
この習慣、即ち他の土地から来た見ず知らずの人々をも家族のように温かく迎えると言う、昔からの長い間の習慣が、地元の人々の思いやりの利他愛の心を育くんできた。
その結果、第一次大戦で捕虜になったドイツの人々も土地の人々が温かく迎え入れた。
そうしてドイツ人との間に様々な交流が生まれた。
日本で毎年に年末に演奏されるベートーベンの第九も、この地で演奏されたのが始まりと言われる。
「どうして地元の人々が、お遍路さん達をこのように丁重にお接待すると思われますか?」
とテレビで地元の案内者がタモリ氏に聞くと、
「そっ、それは、する側にも功徳があるからでしょ?・・」
と答えた。
案内者は、すかさず、
「はい、そう、地元の人達は、お遍路さんは、1人で旅しているんじゃない、弘法大使さんと二人で巡礼の旅をしていらっしゃると思っているんです。なので弘法大使さんをお接待している訳です」
と説明した。
つまり、地元の人達は見かけ上では知らない旅人を接待しているのであるが、心の中では大使さんをお接待しているのである。
だから、旅人がどんな外観の人間でも差別する事なく同じように丁重に接待する。
それは外国人でも同様で、上記のドイツ人捕虜の場合と同じように、心を込めて弘法大使さんを接待するように接するので、今も外国人のお遍路さんが増えているようだ。
この話を聞いていて、私はフと昔の大学時代に読んだキリスト教の聖書の話を思い出した。
それははっきりとは憶えていないが、確かこんな話だった気がする。
イエスだったか?旅の途中で道脇の貧しい乞食?病人?に施しをして助けた。
後になって、主が、「あなたは私に良い物を捧げてくれた」と褒めお礼を言われた。
イエスが、「いえ、私はそんな事はしていません」と答えると、主が、
「あの時の道の哀れな者は実は私である」と答えた。
と言うような話だった。(かなり間違っているかも?)
私は、その後になって、キリスト教徒が(特に女性のシスターが)世界各地の危険な場所でも慈善活動をしているのを知るようになった。
その時に、これは、きっとこの聖書の話を読んでいるからだろうと思った。
キリスト教徒にとっては、どんな貧しい人にも堕落した人にも、また危険な人にも、その中に主なる神様がおられるのだ!
おそらく、そう言う信念なのだろうと想像した。
その後、私はカトリック教国のブラジルのリオデ ジャネイロ市に住んだ。
その時、友人が車で郊外を走りながら、
「ここは最も危険な貧民街だ、殺人や強盗が毎日起こっていて、決して入ってはいけない場所だ」
と恥ずかしそうに紹介した。
そして、最後に友人は、
「この街の名は、神の街(しだーじ ど でうす)だよ」
と言って大笑いした。
私は、その冗談なのか、深刻なのか分からない話に困惑した。
今になって、その名は、こんな街にこそ神がおられるのだ!と言う敬けんなキリスト教信徒の信仰信念から名付けられたのだろうと思った。

話は変わるが、最近はあの行方不明幼児を見つけたスーパーボランチア爺さん等災害ボランチアーがずいぶん身近になった。
また少子化と高齢化で高齢者の介護が急速に増えてきた。
その他に、発達障害児や若年認知症等今までになかった社会的にもきめ細やかな対応が必要となってきた。
そしてこうした人達に対する介護事業やボランチア活動も、かってなく増えてきた。
このような活動の中で、受ける側の災害被害者や老人や障碍者が、喜んだり感謝したりすれば、尽くした人達も「やって良かった!」と喜びも沸き、さらなるやり甲斐や元気が出てくる。
しかし、中には、尽くし甲斐のない感謝しない人や要求や文句を言うような嫌な人もいるだろう。
そんな場合、尽くした側は心が折れる。
そして、ついそう言う人を避けたり、やる気を失いそうになる。
そんな時、愛情とか、利他愛とは何かと考えさせられる。
ボランチア元年と言われた、かつての神戸の大震災の時、印象深い事を聞いた。
それは、「嫌なものを見たら目を洗おう、嫌な事を聞いたら耳を洗おう・・」と言う詩のような言葉が、壁に貼られボランチア仲間の間に広まったと言う事だ。
遠くからボランチアに来た人達は、嫌な事があっても、その日の内に忘れ、毎朝新たな気持ちで取り組んだのだろう。
そうしたボランチア青年達の心の営みを垣間見た思いがした。
人は愛情をかけた分だけ、裏切られると傷つく。
男女や夫婦間では愛と憎は裏表のような関係にある。
また泣き続ける赤子に、あやす父親は自分の愛の限界を知らされる。
ハリーポッターの映画の中では、好きな彼女を自分に惚れさせようと手に入れた魔法の「惚れ薬」とは、執着させる薬だと説明していた。
要するに、人の愛とは程々に離れていたり、遠くから眺めている限りは美しいが、その本質は執着であり、愛とは愛欲なのかも知れない。
そう思うほど頼りないものだと思った。
果たして人は純粋な愛と言うものを持っているのだろうか?
自分自身を振り返ってみても実におそまつである。
私は若い頃に、病気の痛みで長期間苦しんでいた時があった。
その頃、かわいがっていた飼い犬が主人の身代わりみなって不幸を引き受けて死に、主人の健康が回復したと言う話を聞いた。
その時、私も犬を飼っていたらよかったとつくづく思った。
痛みがひどい時は、人には言えないようなもっと情けない事を考えた。
(今まで自分は他人に対して愛情深い人間だと思っていたが、本当のところはとんでもない奴だった、俺と言う人間は、やはりいざとなると自分が一番大切なのだ、たとえ他人が犠牲になっても!)
と自分に利他愛の無さお感じた。
だからこそ、映画などで自分を犠牲にして他の人を救う人物に惹かれ、敬意を表し尊敬した。
いつかは自分もそうなれるかも!とも思ったりした。
その後、「真善美全きところに愛が流れてくる!」と言う言葉を見たが何の事か分からなかった。
また、他の人を喜ばせると言う利他愛は、結局は徳積みなのだ。
その善徳によって因果応報で自分も幸せになるのだ。
と言う仏教の教えや道徳の生き方については理解でき納得して、その後は積徳に努めた。
ところが、最近になってその考え方が変わった。
やはり、人間の愛は、それほどのものではない。
本当の見習うべき真の愛は、やはり神の愛ではなかろうか?
と思うようになった。
よく人は神の器とも言われる。
それは人の心には神の愛や喜びが流れてきて、それ故に愛や喜びを感じるのではないか?と思うようになった。
中国の老子の言う茶碗と同様である。
大事な部分は、その形や表面の装飾でなく、中の空洞部、すなわちお茶と言う液体を容れる何もない空間なのである。
茶碗の形や装飾は、それぞれが自由に好きなように個性的に作り上げればよい。
しかし、あまりにも「我」が強くて分厚過ぎると、肝心のお茶と言う神からの愛を入れる部分が小さくなってしまう。
器は薄くて大きいほど、よりたくさんの茶や水が入る。
人間の心も同じかも知れない。
よく、ボランチア活動者などから「世話している子供達や老人達から私の方が元気をもらっている」と言う言葉を耳にする。
これは、私は因果応報でもなく、積徳と言う法則でもなく、神や天が、人間同士が助け合っている姿を見て、大喜びをするからではないか?と思うようになった。
神や天は、子供達や老人達の悲しい姿には心を痛め、すぐにも助けたい、喜ばせたいと言う愛の思いでいっぱいなのである。
その神の思いが活動者の心の器に流れ、満たされて行動を起こすようになる。
その結果、子供達や老人が喜ぶ。
その姿を見て神や天が喜び満足する。
その喜びが、活動者の心の器に流れてきて、元気が出る。
と言う事ではないか?と想像する。
いづれにしても、こうした愛や、また知恵や品性の面からしても、人間ってたいした事はない。
自分を含め人間はすべてそう言う小さな存在なのだと認め、神の愛や知恵や喜びが早く流れてくるようにする。
そのために、常に自分の心が神の傍にいるよう心がける事が大切だと思うようになった。
それは、前述の「弘法大使さんが共にいられる!」と言う「同行二人」の考え方や、「すべての人の中に神がおられる!」と言うキリスト教精神とも共通していると思う。
人は常に神や偉大な人を思う事によって心の中で神と一体のようになれると思う。
欲や慢心から出てくる不浄な心は、早く忘れ浄める。
そして、己をより空しくして人類のため、社会のため、人のためと言う神の喜ばれる事を目指す。
そして、常に神の愛を受け入れようと心がける事が大切だと思うようになった。
まずは、身近な自身の不平不満や愚痴が出てきたら、できるだけ早く忘れるようにして、今の自分の境遇や周囲の諸事情を感謝で受け入れようと思う。

(以上)