飛騨さるぼぼ湧水

飛騨の山奥から発信しています。少々目が悪い山猿かな?

店頭に苗ズラリ! ようやく五月連休

2014-04-25 16:45:15 | 俳句

さくら散り 田に水満ちし 五月飛騨  湧水

春びより かえると共に 畑準備  湧水

鉢重き ハウスから出す 穀雨かな  湧水

赤子ごと 抱いて出し入れ 花の苗  湧水

暖かさに 発酵ボカシも きげんよき  湧水

わが農にも 変革せまる 今年春  湧水

安苗も 立派に育つ わが畑かな  湧水

苗共に 店員明るき 店の前  湧水

緑の葉に トゲひっこめし 鉢のバラ  湧水

 目に入るは ペチュニア苗の 紫かな  湧水

小さきが のびのびよりも すみれらし  湧水

わが「味噌」の ショウガゴボウと 畑起こし  湧水

大おわん 一寸ぼうしの 花の苗  湧水

春畑に 夢中のわが身や 腹ほそり  湧水

ペチュニアの紫花と赤花の苗を四個買って鉢に植えた。毎年のインパチエンスやベゴニアはこれからで土の準備をしている。
このところ、pcの引っ越し,人間ドッグ検診、友人の息子の病気、ボカシ作り、屋敷のコンクリート工事、それに、麦こうじ作り,失淡恋、父母の法事準備、ブログ引っ越し準備等々、超多忙で生活もブログの更新の調子も狂ってしまってごめんなさい!です。
たぶん、五月連休開け頃には、元にもどるかも。それまでご勘弁を!



悲喜こもごも 人生万事「塞翁が馬」

2014-04-21 11:14:45 | エッセイ

と言う言葉を思いつきタイトルにした。
と言っても、そんなに大げさな事ではない。
先日、初めて挑戦したほんの「麦こうじ」の事である。
事の発端は、「金山寺味噌」を作るのに必要な「麦こうじ」を作ってみようと思い立った事だった。
今年初めて「金山寺味噌」をて作りした時は、この麦こうじをネットで購入した。
その「麦こうじ」に茄子やキウリやゴボウ等の野菜を細かく切って、醤油、味醂、酒と共に混ぜ合わせて寝かせるのであるが、急に思い立ったため茄子やキウリ無しで試作した。
ところが、この「麦こうじ」が一キロ数百円と高価だった。
それなら麦を購入して自分で麦こうじを作ればもっと安くなると思って始めたのが発端だった。
私が幼い頃は、飛騨の農村では皆、味噌や醤油を手作りしていた。
村のアチコチに共同の「こうじ室(むろ)」があり、各家庭あが順番に使用した。
私の家の近くの「こうじ室」は山寺の参道にあり夜は気味悪がっていた。
こうじ作りには、夜中に混ぜると言う作業があるため、「こうじ室」には宿泊の部屋があった。
今思えば、たぶん母親が一人では気味が悪く淋しいので子供を連れて寝泊まりしたのだろう。
そんな訳で、私も幼い頃、そのこうじ室内や作業風景を見た記憶があったので、今回の初挑戦にもとまどいはなかった。
本来ならば、きっと粉末状の「種こうじ」を使用するのだろうが、私は今回はてっとり早く、ヨーグルトを作る時のように、購入「麦こうじ」を、そのまま「種こうじ」として使う事にした。
まず子麦の玄麦をネットで注文してもらった。
代引きの宅配便で届くと、その一部を、水に浸した。
知り合いのお婆さんに聞くと、「炒ってから蒸したよ」、と言われたガ、念のためネットで確認すると、それは大豆が主の味噌を作る場合で、麦こうじだけの場合は浸すのだと分かった。
翌日から毎日水を変えながら、来た人達に「芽がでているかどうかを見てもらった。
あまり芽は出てなかったようだが、三日目に、しびれを切らしてナベに入れ、水蒸気で蒸らした。
ナベから取り出し、体温ほどに冷えた所へ「麦こうじ」の一部を種として投入し、よく混ぜた。
それを、手作りの保温箱に入れ、温度と湿度を保ちながら一日に数回混ぜるようにした。
保温箱には電灯ヒーターが付いていて、湿度を維持すぬためには、覆った布を常に湿らせるようにした。(この保温箱は、以前にモヤシを作ろうとしたが、うまくいかず放ったらかしにしていたもの)
すると、二日目頃に、幼い頃にかいだこうじの香りが強くして来た。
「やった、やった、うまくいったようだ!」
と嬉しくなった。
その幼い頃の記憶では、こうじ室」で寝泊まりしたのは一晩か二晩くらいだったから、もしかしたら、もう完成かな?いざ、やってみれば案外簡単だ!、と自信が沸いて来た。
しかし、念のためにと、掃除に来たヘルパーさんに見てもらうと、
「所々白くなっているけど、まだ全体的に茶色いですよ」
と言われた。
それならと、あわてて冷蔵庫を開けて、
「この購入した「麦こうじ」と比べて見て!同じようになっていれば完成だから」
と、残しておいた「麦こうじ」を見せた。
すると、彼女は、
「これは、麦こうじじゃないですよ。豆こうじや米こうじが混ざっていますよ」
と答えた。
「ええーっ、麦こうじじゃないって!」
私は仰天した。
と言うのは、ずっとそれまで「麦こうじ」と信じて作業を進めて来たのだ。
「オオマイゴッド!」
と動揺したものの、今更引き返す訳にはいかない。
「ついでに言わせてもらいますけど、この麦は小麦じゃないですよ。大麦ですよ」
とヘルパーさんが、再度はっきり私のまちがいを指摘した。
「ノッサ、セニョーラ!」
私は、再び駄目押しのアッパーカットを食らった感じだった。
その時、ああ、それでか!と思い出して納得がいった事があった。
それは、ネットで作り方を調べた時、大麦の例はあったのに、小麦のは無かったからだ。
「今更やり直す事なんて不可能だ!」
とにかく、豆や米が混ざっていようが、こうじ菌が付いている事にはまちがいないのだから、このまま全体的に白くなるまで続けるしかない!
と、もう一晩保温を続ける事にした。
翌日になると、混ぜる時何かネバネバして来て不安になった。
ちょうど、パソコンをサポートしてくれる後輩が来たので、様子を見てもらうと、
「まだ白い部分は、わずかですよ」
と言われた。
あまり進展している様子ではなかった。
失敗してもいいから、とにかく、全体が白くなるまで!と、もう一晩保温を続ける事にした。
翌日、運よく来る日が早くなって、別のヘルパーさんが来た。
早々にそのヘルパーさんに見てもらうと、
「えっ、白い部分は一部だけですよ。それよりも納豆みたいな臭いがしてますよ!」
と言われ、あわてて保温のスイッチを切った。
「ああ、やっぱり、あのネバネバは納豆だったのか?」
大豆に付いていた納豆菌が、長く保温し続けたので、後からこうじ菌より増えてしまったのだと思った。
「失敗だ、大失敗だ!」
と、打ちのめされたように、がッカリしていると、
「あのう、それに、小さなハエのような虫が来始めていますよ」
とヘルパーさんが言いにくそうに告げた。
「あっ、腐敗臭が出はじめているんだ。すぐ畑に捨てよう!」
とあわてて容器を持って外へ行こうと思ったが、何故かフト
(捨てるのは今でなくてもいつでもできる)
と思い直して、冷蔵庫へ入れた。
冷えれば大丈夫、ついでに私自身の頭も冷やしてから考えよう!
と、しばらく嫌な思い出を避けるように忘れていた。
数日後、自然農法をしている友人が卵を配達に来たので、
「実は、この前、麦こうじをを試作しようと思って大失敗をしたよ」
と告げて、久々に冷蔵庫から容器を取り出して見せた。
「あれっ、いいですよ。所々白くなっていていいんじゃないですか?」
彼は意外な反応をした。
「えっ、そんなはずはないけど」
と私は、驚いて容器の中に手を入れて指で混ぜてみた。
すると、ネバネバはなく、粒がばらばらしていて購入「麦こうじ」のような触れ具合だった。
「あれっ、この前と全然違う。そうだ!冷えたから表面を覆っていた納豆菌が引っ込んだんだ」
と喜んだ。
「いや、そうですよ。これならいいんじゃないですか?」
と、友人も笑い声で太鼓判を押してくれた。
「なーんだ。大成功だったんだ。あの時、早まって捨てないでよかった!」
と私は冷や汗をかいた。
(そうだったんだ。成功だったんだ。なーんだ。がっかりして損した!)
と、私は今までの悲喜こもごもの経過を思い出しながら、久しぶりにほっとした気持ちになった。
「あれっ、これって?・・こう言う事って、何とか馬と言うのじゃなかったかな?そうそう、中国の故事の、そうだ!」
と人間万事「塞翁が馬」を思い出した。
しかし、その苦労作の「初麦こうじ」を噛んで味を調べながら、
(待てよ、あの納豆の臭いもまちがいなかったぞ)
とネバネバの感触を思い出した。
そう、塞翁が馬の方は結末がどうなったか、忘れてしまったが、私の方は果たしてハッピーエンドになるか、不安がよぎった。
と言うのは、購入した小麦玄麦は、まだ大半が残っていて、ソレ等も一回目に作った「麦こうじ」を種菌にして、二回目の「麦こうじ」を作る予定だったからである。
早速、二回目の「麦こうじ」作りにとりかかった。
二回目は、量的には一回目の4、5倍となる。
今度は、もちろん二晩で保温を止めるつもりである。
しかし、種こうじとして使用するのは自分が作った麦こうじであるから、さて、どうなる事やら?
そう、種こうじだけでなく、容器や保温箱にも納豆菌が付いているかも知れない。
さていざ始めると、一回目ほどこうじの臭いが無かった。
二晩で保温を止めたが、どうも納豆菌の方がこうじ菌より先行したように感じた。
いくら不完全でも、今後この「麦こうじ」を使用して、「金山寺味噌」を作るつもりである。
それは、「どのくらいいい加減にやれば、どのくらい駄目な物ができるか」を見極めるため。
そうこう考えている内に、全然違った事を思いついた。
「そうだ!この方法で納豆を作ればいいんだ!」

(つづく)

さくらの満開近き まもなく高山祭

2014-04-10 19:15:12 | 俳句

作付の はやる心に 花冷えかな  湧水

畝づくり 気ばかりあせる 春の畑  湧水

花苗に 肥満の体 動かされ  湧水

尻重き メタボ動かす 花苗かな  湧水

あれこれと 畑の準備や 花の頃  湧水

助っ人の 当てがはずれし 春の畑  湧水

頼る人 なければ奮起 春の畑  湧水

やらねばと 思えば早起き 春の畑  湧水

酒をやめ 体動かす 診断前  湧水

畑準備 終えつかの間の 花見かな  湧水

老いと孫 見上げる空や 鳥かえる  湧水

暖かき 上着も重き 春陽ざし  湧水

影ありて こその日なたや 惷鬱かな  湧水

時とめて けだるさ起こす 耕起音  湧水

のんびりと 耕す飛騨や 遠戦火  湧水

付き添いの 両親楽しむ 入学式  湧水

旧き日を 思い出す夫婦 入学式  湧水

バス停に 車とぎれぬ 祭り飛騨  湧水

川柳

付き添いも あきてとうとう 再入学  両親

出がらしの きゅうすそそげば かめ虫かな きゃーっ!

今までのpcはウインドウズxpだったので、今回から、別のpcで更新する事にした。音声読み上げがワンテンポ遅く、まだ慣れないので、しばらく遅れがち。
それに、ブログも近々引っ越ししなければならない。
まだ引っ越し先を正式に決定していないが、とりあえず、決まるまで緊急的に、友人に紹介してもらったアメーバブログに仮引っ越しする予定ですので、よろしく。

一応、名前とurlは、

ブログ名:飛騨サルボボ湧水

URL:http://ameblo.jp/hidasarubobowakimizu


連載小説「幸福の木」 その218話 滝から落ちた少年

2014-04-07 19:39:19 | 小説

ハイハイハイハーイ、おまたせ、飛騨の小路 小湧水です。またまたまた遅れました。と言うのも大変、先生のブログを書いているパソコン、まだウインドウxpなんです。早く別のパソコンに移らなければ。おまけに、現在のブログ会社も、まもなく閉鎖するそうです。早く「引越し」をしなければ。どなたか、いい「引越し」先を紹介してください。とりあえず「アメーバ」とか言う所に引越しの準備をしてますが。
はい、てな訳で、大あわてな状態で、はい、早速、小説に参りたいと思います。
はい、では開幕開幕!

218 滝から落ちた少年

ダム湖のような細長い湖面を皆が見ていた。
「ああ、この湖のずっと端は、崖のようになっているらしい。危険だから私達は近づいた事もないが」
父親が、湖面に映る西日を見ながら言った。
「あの、その崖って、ひょっとして降りられるのかな?」
太郎が聞いた。
「だーから、マイさんのお父さんは行った事がないんだって!」
ハナが答えた。
「太郎が、ムッとした。
隊長、私なら崖など平気ですから、行って見ましょう。ひょっとしたら下りる道があるかも知れません」
ゴクウが言った。
「そうだ、そうだよ、崖ってどんな崖か、早く見たいな。」
太郎が機嫌よくなった。
「えっ、面白そう!」
「わーっ、わくわくするな。隊長、早く探検しましょう!」
龍坊と六太が、太郎を促した。
「よーし、そう言う事だな。俺達は勇敢な探検隊だ。未踏の地を目指すんだ。どんな崖か楽しみだな。さあ、出かけるぞ!」
と言って、太郎は湖岸を歩き始めた。
龍坊や六太達が嬉々として続くと、フッと振り向いて、
「ああ、そうそう、おいハナ!それに爺達!俺達と一緒に行くのが嫌なら、元の道へもどればいいぞ」
と言い残した。
「よーし、俺達は男ばかりの探検隊。女や年寄りのいない探検隊。勇敢な男ばかりの探検隊。はい、つづけろ!」
太郎の掛け声に龍坊達も奇声を上げていた。
ハナや爺達は迷っていたが、仕方なく、少し遅れて太郎達の後を付いて行く事にした。
長女のマイや父親も、この機会に一度、崖の様子を見ておこうと、ハナ達に付いて行った。
先頭の太郎や龍坊達は、生き生きとしていた。
「ワンワンワンワン!」「ウヲーウヲーウヲー!」
ケンと六助も大喜びで先頭の前を駆けた。
「わーっ、この湖は大きいな。まだまだずっと続いているよ!」
谷間の湖だから、と太郎達はなめていたが、実際に湖岸を歩いてみると、思っていた以上に大きかった。
「隊長、この湖って、まん中はかなり深そうですね」
六太に言われて、太郎が覗いてみると、水がきれいなので底が手に取るように見えた。
が、それも岸辺だけで、底は中央に向かって急に深くなっていた。
その先は濃い緑で覆われていてどうなっているのか分らなかった。
「隊長、あの深い所は大物がいるんですかね?」
六太が質問した。
しかし、その底は、皆の目に不気味に思えた。
「六ちゃん、ひょっとしたら、龍や大蛇がいるかも知れないよ」
龍坊は、もう怖がっていた。
「おい、今は湖にかまっていられない。そんな事は後だ。さあ、先を急ぐぞ!」
太郎が、自分の気後れを隠すように大声を出した。
「あの、隊長、岸の平地もかなり広いですね」
今度は龍坊が言った。
湖岸の平らな草原は、幅広く長々と続いていた。
「龍ちゃん、こんなに土地があれば、かなり稲や稗が獲れるよ。あのお父さんが喜ぶよ」
六太が言った。
皆が振り向くと、やはりマイの父親や爺達が立ち止まって、草原や土を詳しく見ていた。
「おい、そんな事も後回しだ。先を急ぐぞ。見ろ!湖が狭くなっているぞ」
太郎の大声に皆が前方に目を向けると、、谷は開けているのに、湖だけが幅狭くなっていた。
そして、その先は、遠くの山と空の景色だけだった。
「あっ、あそこが行き止まりだ!」
「あの先が崖だ!」
太郎や龍坊達が駆け出した。
「わーっ、いい景色」
「高い、高い!ずっと遠くまで見えるぞ!」
前方には何もさえぎる物がなく、遠くの景色が広がっていた。
湖は幅狭くなって川に変わり途中で消えていた。
「ドドドドー、バシャバシャー!」
風と共に、何か水の落ちるような音が聞こえてきた。
「あっ、滝の音ですね。川は滝になっているんですね」
ゴクウが風に頭の毛をなびかせながら言った。
「よし、六ちゃん、覗いて見ようよ」
龍坊が風に向かって前に駆け寄った。
「あっ、気を付けて、あまり近づくと落ちますよ」
ゴクウが注意した。
「ワンワンワンワン!」「ウヲーウヲーウヲー!」
ケンと六助が、この先へ行くな!と言うように吼えた。
「ヒエーッ、高い!」
「ワーッ、高い。何もかも小さく見える!」
手前の岩の下を覗き込んだ龍坊達が驚嘆した。
眼下、はるか下に小さな景色が見えた。
「わーっ、引き込まれそう!」
立っていた二人は、蒼白になって、あわててしゃがみ込んだ。
しかし、再び景色を見ようと、体を地面に伏せて、頭だけをズルズルと前に出した。
「わーっ、見える見える!」
「わーっ、谷が小さく見える。山や川も小さく見える!」
龍坊と六太達は、隣のケンや六助の顔よりも低い安全な位置で、下の様子を見ていた。
太郎は、俺は大人だと言うように無理をして槍を杖にして立ったままだった。
。「おっ、滝壷が見えるぞ。何だ、あんなに小さいのか?」
太郎は、湖の川の水が、白くなって吸い込まれるように落ちていくのを見ながら言った。
龍坊達に、太郎の足や槍がガクガク震えているのが見えたが、黙っていた。
「あっ、滝壷の近くに人の姿が!」
ゴクウが言った。
「「えっ?・・あっほんとだ!」
龍坊達も気付いた。
さらにゴクウが、
「あれは、ひょっとしたら一郎さん達じゃないですか?」
と言った。
「えーっ、一郎?・・あっ、ほんとだ。お婆さんやヒミコもいる」
「それに、村人も」
龍坊達も気付いて、手を振った。
「馬鹿!そんな手の振り方で、下から見えるものか。振るなら、こうやって大きく振るんだ」
「おーい、おーい、ここだ、ここだ!」
太郎が、両脚をしっかりふんばって槍や両手を左右に大きく振って見せた。
その時だった。
「ちょっと、太郎兄ちゃん、何してるの?」
突然の声に振り向くと、すぐ背後に、ハナや爺達、それにマイや父親が並んで見ていた。
「えっ、・・」
「下の滝壷の近くに一郎さん達がいるんですよ」
すぐ返事ができない太郎の代わりにゴクウが答えた。
「えーっ、そんな所に、本当なの?」
ハナ達が、恐る恐る、崖から下を覗き込もうとした。
「待て待て、危ないぞ」
背後にいた爺が止めた。
「!そうじゃ、引き込まれないように、わしが片方の手を引張っててやろう。ほら、片手を出せ!」
爺がハナの片手を掴むと、ハナが崖の方に身を乗り出した。
「いやいや、危なかしくて見ておれん!」
元村長が、フラフラしている爺の空いている手を引っ張り、二人がかりでハナの重みを支えた。
長女のマイは、体の大きな父親にしっかり支えられて、下を覗き込んだ。
「おーい、おーい、ここだ、ここだ!」
太郎は、相変わらず槍を振って大声で叫び続けていた。
「太郎兄ちゃん、無駄よ。聞こえるはずがないでしょ。滝の音で消されてしまうわ!」
ハナが、怒ったように言った。
「えっ、・・・あっ、そうだな。声は駄目なんだ。耳がダメなら目だな。そうだ、何か見える物を投げよう」
太郎は周囲を見回した。
「ちえっ、石しかないや。仕方ないから石を投げるか?」
馬鹿、「そんなの投げたら、危ないでしょ?」
ハナに怒られ、太郎は投げるのをあきらめて、また槍を振ろうとした。
「そうだ、目立つ色の物を槍の先に付ければいいんだ」
太郎が見回すと、ハナの頭の赤いリボンが目に入った。
ちょっと小さ過ぎるな!と思ったが、
(あっ、そうだ!振るんじゃなくて滝に流せばいいんだ。赤いから目につくはずだ)
と思いついた。その時、
「おい、太郎君、これを流せば気付くはずだよ」
と言って、マイの父親が、山ほどの枯れ草を抱えて運んで来た。
「ほーら、投げるぞ!」
と、父親は、軽々と滝に投げ込んだ。
皆は、その枯れ草が塊になってゆっくり落ちていくのを見ていた。
すると、案の定、滝壷の傍にいた一郎達や村人が、それに気付き、太郎達の方に顔を向けるのが見えた。
「おーい、おーい、ここだ、ここだ!」
太郎や龍坊達が、思いっ切り槍や手を振った。
すると、それに気付いて、村人全員が手を振って答えた。
「わーっ、おーい、おーい!」
ハナや龍坊達も嬉しくなって、さらに激しく手を振った。
その時、
「あらっ、誰か、少年が滝の横を登って来るわ」
静かに見守っていた長女のマイが言った。
「それに、村人の人数も増えているわ」
と不思議そうに言った。
「えっ?」
よく見ると、確かに一人の少年が滝の横の崖にへばり付いて登って来るのが見えた。
「あっ、樹の根や岩の窪みに手をかけて登っているのですね」
ゴクウが言った。
「あっ、あれは、金坊だ」
龍坊達が叫んだ。
皆が目を凝らして見ている内に、その少年は、滝の三分の二ほどの高さにある平な岩にたどり着いた。
いったい何をしているのだろう?と皆が不思議に思っていると、
驚いた事に、突然、そこから滝壷に向かって少年の体が落ちてしまった。
「わーっ、大変!」
「きゃーーっ!」
「おおーっ!」
皆が同時に悲鳴を上げた。

ハイハイハイハーイ、時間となりました。大変大変、少年が落ちてしまいました。大変と言えば、このブログも大変!
とりあえず引越し候補のアメーバと言うブログ、何だか、宣伝ばかりで見にくい気がしますが?もし、いい引越し先があれば、コメントで紹介ください。
はい、てな訳で、またのお運びを願いましてバイバイババイとさせていただきます。
はい、ようやく近くのサクラが咲きはじめました。
はい、では、教えて教えていいブログの引越し先!



皆のつぶやきを聞こう!  庶民の本音を聞く努力を

2014-04-05 18:31:41 | エッセイ

「消費者の声を聞け!」と言うのが、最近競争の激しい世界のメーカーの生き残りのためのキーワードであり、また日本メーカーの復活のキーでもある。
何を今更、当たり前の事を?と思うかも知れないが、大企業になったり、政治家や役人になったりすると、ついつい皆の声や庶民の声を聞くと言う事がおろそかになってしまう。
こんな良い事は、皆が絶対に賛成するはずだ!この程度のミスは、許すだろう!
なんて、自画自賛的に思い込み、庶民の心を見抜いたつもりが、世の中、それほど甘くない事を、後で嫌と言うほど知らされる。
最近、そんな政治家が何人もテレビを賑わした。
さて、かく言う私も、ささやかな事ながら、そんな目に会って目が醒めた。
それは、あの「手作り金山味噌」の話である。
試作品を1、5キロぐらい作って、少し味にうるさそうな人達に配って試食してもらった。
もちろん、自信満々で、「美味しかった、もっとほしい!」と絶対に言うだろうと思っていた。
あまりにも自信があったので、こちらから「どうだった?」なんて下手に聞くのはやめて、相手の方から「すごく美味しかったよ!もっと欲しいけど」と言って来るのを待った。
その間、来年へ向けての大量生産の計画を頭の中で練っていた。
まず、我が家の一室を改造作業所を造ろう。福祉施設の人達にパートとして作業をやってもらおう。販売は、こう言う方法にしよう、等等。
数日経って、誰からも「美味しかった、もっとほしい!」との反応がサッパリ来ないので、とうとう私の方から聞いてみる事にした。
一番初めに聞いた夫婦は、料理上手な奥さんから
「美味しいけど、コウジの匂いがして、まだ早かったね」
と遠慮がちに言われたので、さらにしつこく聞くと、あの私が教えてもらった人の物は、もっと美味しかったと言われた。
(まあ、今回の試作品は、メインの茄子やキウリを入れてないからな)
と言い訳をしたものの、少し期待はずれだった。
次に、後輩の友人に聞いた。
この両親ならば、個人的なつきあいの無い人達だから、はっきり言ってくれるだろうと辛口の感想をお願いしていた。
「ああ、あれね、甘すぎる、塩が足りないので塩を足したよ!それに野菜やコンブが大き過ぎるよもっと細かく切らないと!」
車の助手席で、開口一番彼がそう言った。
「ザブーン!」
私は、まるで冷水を全身に浴びせられたような気がした。そして、今まで持っていた自信が、どこやらへ去ってしまった。
ガクッ!、しばらく凹んでしまって、それまでの弾んだ声も沈黙した。
「まあ、そうだな、なるべく多くの人の意見を聞いた方がいいな」
と動揺を気付かれないように答えて、何とか立ち直り、次の人の感想を聞いていった。
すると、「辛過ぎる!」と言う意見の人もいた。
次々に聞いていくと、全体として、「美味しかった!」と言うものだった。
また、ふだん塩分を取り過ぎている家庭では「甘過ぎる!」、減塩家庭では「辛過ぎる!」と言う反応のようだった。
「野菜の切り方が大き過ぎる!」と言ったのは、友人の家庭だけだった。
以上のような結果で、私も、多少自信を回復した。
結局、結論としては、
私の周囲の飛騨の人達は、金山寺味噌は、まだ食べる習慣がないので、それほど関心もなく、「まあ美味しいには美味しいが、お金を出してまで食べるほどの物ではない!」と言うのが、正直な感想だと理解できた。
と言う訳で、私の計画も大きく軌道修正をする事にした。
あの、福司施設の人達を雇っての大量生産計画は凍結して、しばらくは、知り合うに配って喜んでもらう程度の生産に縮小する事に落ち着いた。

これも、よくよく考えてみれば、アンケートのお陰だった。
消費者の声、(耳の痛い辛口の意見も含めた)を直接聞いたお陰だった。
周囲を見渡すと、こうしたアンケートのような、庶民の声を直接聞くと言う事をしない人達が目についた。
例えば、先日の気象庁の報道の有り方もそうだ。
「南米チリ沖地震の津波の第一波が到着しました。20センチです・・・」
ところが、忙しい人達は、いつまでもテレビやラジオの前に座っていられない。
だから、20センチと聞いて、「あっ、大した事ないや!」と仕事にとりかかってしまう
動揺に、3年前の東日本大震災の時も、初めの○○せんち、1メートルと言う数字報道を聞いて、大した事ないや!と早合点して油断した人達も多かったと聞く。
だから、今こそ気象庁や自治体や報道関係者は、庶民のそうした声を直接聞いて、報道のヨリ良い有り方を見つけ出さなければならないのだ
一般の大人はもちろん、一人暮らしの老人や、留守を守る子供達も理解できて、すぐ行動できる法道の有り方を。
例えば、「津波の第一波20センチ・・」と報道されても、お歳寄りや子供達には何の事か理解できない人がいる。
だから、数字を言う時は、津波の前触れが○○センチとか、津波の先がけが○○センチ・・と言うようにすれば、後でもっと大きな波が来るかも、と言う大切な事が年寄りや子供達にも、より伝わりやすい。
また、「避難勧告」と「避難指示」と言う言葉もそうだ。
この気象庁や関係者がずっと使い続けている言葉も庶民感覚からずいぶん外れていると思う。
「勧告」より「指示」の方が強く、「勧告」で準備して、「指示」で強制的に避難しろ!との事だが、
庶民の間では、「指示」の言葉の方が「指示しておいてよ」等、より軽く常に使われている。
逆に「勧告」なんて言葉は、ふだん庶民の間ではめったに使わない。
だから、庶民感覚では、「勧告」の方が、「指示」よりずっと強烈である。
気象庁や自治体の関係者達も、家庭へ帰れば、自身も回りも庶民だから、そのくらいの事は分りそうなものだと思うが?
何故、庶民感覚とのズレが修正されないのだろうか?
いい加減に「お役所仕事」を改めて、日々年々進化していってほしいと思う。
また、アンケート用神と言っても、庶民の一部の、読み書きのできる人達の意見しか集まらないから、ご注意を!

アンケートと言えば、ついでに、思い出した話しがある。
昔、ブラジルのリデジャネイロの大きな教会に、日本から来た若い教師がいた。
彼は、月一回皆の前で責任者として話をしていた。
その時、彼は数人の人達に頼んで、聴いていた人達の感想を集めてもらっていた。
例えば、「食べ物を残すな、もったいない!なんて、ケチくさい話をするな。お金持ちの人達」
「話が長過ぎる」「ねっ、ねっ、と文末にねっが多過ぎる」「あの話はよかった」「あの話をもっとしてくれ」
等々。率直な感想や意見がストレートに彼の元に集まった。
彼は、翌月には、その意見や感想に答えるよう努力した。
そのために、まだ新参者だった彼の話も、予想以上にリオの人達に好評だった。
その後、私も、日本の農業塾で講師の一人として、自然農法を教える事になった。
その時、ブラジルでの彼を参考にして、塾生達の本音の感想を知ろうと思った。
ところが、少人数なので、アンケートや質問では、塾生達は遠慮して本音を出さない。
塾生達は、毎晩、講義が終わると、就寝時間まで、離れたログハウスでコーヒーを飲みながら好き勝手に話し合っていた。
そこでは、その日のウサを晴らすように本音を出し合っていた。
私は、少し離れた建物に寝泊りしていたので、チャンスとばかりに耳を澄まして彼等の本音を聴いた。
「後でこうやって話し合いたいので、講義は時間通り早く終わってほしい」
と言うのが、彼等の第一の希望だった。
その塾では、私の他にも二人の年輩の講師がいて、それぞれ週一回づつ夕食後7時から9時頃まで講義していた。
ところが、その講義では、いつも塾生の集まりが悪いので開始は30分遅れ、その分、9時過ぎまで延長していた。
その内に、時間通り早く来ていた真面目な塾生達は腹を立てて来なくなり、遅れてきた塾生達も、講義が長いので飽きてしまい、とうとう1/3の塾生しか集まらなくなってしまっていた。
それに比べ、私の講義には、全員が時間通りに集まり、生き生きしていて、他の講師達が嫉妬するほど大好評だった。
それは、私の講義は、時間を短縮して、9時前に必ず終わるようにしたかららった。
初めに、「私の講義は、2時間分を1時間で行うから集中してほしい。時間厳守だから気をつけて!」
と言って、その言葉通りにした。
7時30分キッカリに、塾生が全員集まらなくても講義を開始し、8字30分キッカリに講義の途中でも必ず終わった。
他の講師のように、皆が集まるまで待ったり、内容の区切りの良い所まで等と終了時間を延長する事はなかった。
すると、塾生達は、開始時間前に集まるようになった。
そして、終わると、全員がログハウスへ行って、公やけにコーヒー談笑を楽しむようになった。
元々、どんな人間でも、真剣に聴き続けるのは、1時間が限度である。
それ以上は集中ができない。だから小中高学校では、1時間程度で授業を終了するか、休憩時間を入れる。
どんな美味しいケーキでも満腹になれば、それ以上食ベルのは苦痛である、吐き出してしまう。
それと同様に、いくら好きな講義でも1時間以上続けるのは苦痛で頭に入らないので、禁物である。
小中高校の教師免状を習得した人達は、大学の心理学授業でその事を学ぶ。
しかし、他の分野の教師の立場の人達の中には、1時間以上続けて話す事が熱心さの表れ等と勘違いしている人も多くいる。
が、このせっかくの熱心さが帰って仇になる。
こう言う人の場合、ブラジルの日本人教師のように、アンケート等で、聴衆の声を聴くとか、一度、自分自身が生徒や聴衆の一人となって他の先生の講義を聴く事を、お勧めする。

(おわり)