飛騨さるぼぼ湧水

飛騨の山奥から発信しています。少々目が悪い山猿かな?

残暑の芋畑 夏草と格闘?

2017-08-30 17:49:38 | 俳句日記の部屋

見向きせぬ 畑気になる 秋はじめ  湧水

何となく やる気湧き出て 秋畑  湧水

伸び草に たじろぐ残暑の 芋畑  湧水

二三株 だけと踏み入る 芋土寄せ  湧水

見えぬこそ 手さぐり奮闘 草ジャングル  湧水

パソコンに 拒まれ向いし 残暑畑  湧水

知人との 約束流れ 残暑畑  湧水

ケイタイにも 拒否されはげむ 夏草刈り  湧水

この三、四日は何故か、パソコンがサーバーにつながらず、ケイタイは話し中状態で機能せず、おまけに知人も都合ができて来れなくなった。
で、畑の草むしりと土寄せ以外にやる事が見つからなかったので、結局するはめになった。

やけくその 励まし声出し 夏草取  湧水

ハレルヤを 歌いて引き抜く 夏草かな  湧水

生命の 息吹見えたる 夏雑草  湧水

芋と草 競いて背伸び 畑ジャングル  湧水

小一時の サウナ畑終え シャワーかな  湧水

着替えして 休めば欲出て 第二ラウンド  湧水

畑サウナ 汗作業着の 積もる山  湧水

結局、残っていた里芋畑の除草と土寄せが終わった。
三日ほど、休憩しながら10ラウンドほどかかったが、膝痛がなく感謝感謝!
まだ枝豆畑の草取りが残っている。

涼しさに 元気湧き出る 初秋飛騨  湧水


一隅を照らす! 安価な産直野菜?

2017-08-24 22:47:24 | 自然農法の部屋

後になって我ながらいい事を言ったと、湧水は感じた。
「いや、安い野菜を喜んでいる人がいるよ」
「・・・・」
「だから得積みだよ。きっと子だくさんやシングルマザー達が喜んで買っていると思うよ」
「・・・・」
「だからあんたは、そう言う人達のお爺さんみたいなものだ。見た事のない孫達が都会にたくさんいると想えばいいよ」
「・・ああ、そう、わしもそう思っている」
と爺さんが、そんな事は分かっているわい!と言わんばかりの大声を出した。
湧水は、爺三が自分自身を納得させたのだと感じた。
その読みは当たっていた。
爺さんはその後、あれほどこぼしていた出荷野菜の値だんの安さの愚痴を言わなくなった。
この爺さんt氏は過疎化の進む奥の山里に老夫婦だけで住んでいる。
昨年までは体調が悪く田畑は荒れ状態で軽トラなど農業用の物は手離していた。
ところが、昨年の初め頃、湧水が出会った頃から体調がどんどん良くなり、湧水の畑をボランチアで手伝ってくれた。
湧水は今年も同じように手伝ってもらえると期待していた。
ところが今年になって春に農作業が始まっても、とんと顔を出さなくなったので不思議に思っていた。
聞けば、荒れていた畑を耕し、軽トラも中古を買ったとの事だった。
わしは自分の畑が忙しくなって、去年のようにあんたの畑を手伝っている閑など無い!と言う訳だった。
(t氏は、もう八十歳は過ぎている。五、六十代ならともかく今更・・)
と湧水が思って聞いてみると、
「ああ、村の皆もびっくりしている。もうそろそろ逝くかと思っていたら、急に元気になってと」
と笑って答えた。
そして元気な同世代が少ないのでと、いろいろな役が回って来るので「わしは畑で忙しいから」と断っているとの事だった。
t氏は、今年の春早くから、ビニールハウスでいろいろな野菜を栽培し始めた。
目的ははっきりしていた。
近くの山里の「道の益」の地元野菜コーナーで売る事、それに余れば、少し離れた町の朝市に出す事だった。
さらに余れば、今年から始まった地元大手スーパーの「地元野菜コーナー」に出す事を誘われているのだった。
さらにさらに余ればjaの岐阜や名古屋市の「産直野菜コーナー」に出荷する事も考えていた。
久々の体調の良さに、以前のようにたくさんの野菜を出荷して儲けようと張り切っていた。
これ等は、長年元気な頃に出荷していた販売ルートだった。
t氏は農薬や化学肥料を使わない安全で美味しい有機野菜をできるだけ安価に地元の「道の駅」で売ろうと思っていた。
枝豆、トマト、キウリ、茄子、シシトウ等々、すべて袋にいっぱい詰めて100円から200円で南瓜等も1個100円で売ってもらっている。
別の農家も同じく野菜を並べているが、t氏の方が半分値ぐらいなので、先に売れてしまって売れ残る事はないらしい。
しかし、残念な事に路の駅が国道から離れた奥山なので連休とかお盆休み以外は訪れる客も少なく、毎日収穫した野菜すべてが売り切る事はできなかった。
大半の野菜は、他の場所へ売りに行かざるを得なかった。
しかし、まずい事に、近くの町の朝市も、今回始まったスーパーの地元野菜コーナーも売値を高く付け過ぎてしまっていた。
そのためいくらt氏が安く卸しても、一般野菜と同じ価格で並んでいて「お得感」が無いので売れ残ってしまっていた。
「もうこんな所にはわしの野菜は持って来ない!」
と売れ残ってしぼんだ野菜を見て憤慨していた。
こうなったら、最後の売り先はjaの大都市への「産直野菜コーナー」への出荷だった。
その集荷場には、毎朝数人が獲りたて野菜を持ち寄り、様々野菜の詰め合わせ箱として出荷するので、混ざってしまうため有機野菜のレッテルは貼れなかった。
そこは大都市へ送るため収穫した野菜すべてが出荷できると言う利点があるが、問題は価格だった。
ふだんt氏が路の駅で100円で売っている野菜袋(スーパーなら200円以上)も、わずか5、60円ほどにしかならなかった。
「これじゃ、ガソリン代にもならない、骨折り損のくたびれ儲けじゃ、何のために野菜作りをしているのか!」
とt氏は最近会う旅に不満を口にしていた。
(・・と言っても他に売り先が無いんだから・・捨てるよりはマシだから)
等と思いながらも、湧水はt氏の愚痴に返す言葉が見つからなかった。
しかし、会う度に何度も同じ愚痴を聞かされて、とうとうストレスが溜まってしまった。
それで、ついカッとなって出てしまったのが、冒頭の言葉だった。
湧水はと言えば、畑で獲れた野菜を売った事がない。
つまり、野菜でお金をもらった事がなかった。
もらうのは御礼の言葉だけだった。
このように、すべての野菜を寄付したり贈ったりしていた。
人に喜んでほしい!と言う事が目的だった。
だからこそ、毎年立派な野菜が恵まれるのだと感謝していた。
これが自然農法の究極の目的だとも思っていた。
つまり、「天界から与えられた人々への食べ物を、この土地に再現して、それを近くの与えられた人々に配る」、
これが自然農法と言う職業だ。
もちろん、家族がいれば養う収入が必要となるが、それは上記の事に専念していれば十分な収入は得られるはずだと思っていた。
現在、湧水は生活をしてゆくために、それほどの収入を必要としていなかった。
だから、これだけの農産物は1個何円で売れば合計でこれだけの利益になるな!等と頭に浮かんでも、そんな考えは即座に振り払っていた。
常にそんなふうに思っていたからこそ、湧水はt氏の安い安い!と言う愚痴につい反発してしまったのだった。
しかし考えてみれば、確かにそう言う事だった。
湧水が現在、一番頭を悩ませている事は、如何に効果的に獲れた野菜を配るかと言う事だった。
最も必要としている人達に、できるだけ早くピンポイントで配りたかった。
それが最も天が喜ぶ配分方法だと思っていたからだ。
お金に不自由せずに食べ慣れた人達やもらい過ぎて食べ飽きている人達等に贈っても意味がない。
できればワーッ!と喜びの歓声を上げる人達にこそ贈りたい。
そうなると、子だくさんの家庭やシングルマザーの家庭または畑の無い家等が最も相応しい。
畑に囲まれた田舎ならば余った野菜をもらう機会も多いだろうが大都会ではそんな機会はほとんどないだろう。
すると、生産者が泣けるような極端に安い値段で出荷すれば、途中で業者達が多少利益を乗っけても、最終的にはやはり安価に店頭に並び、家計の苦しい真に必要としている人達の手に渡るかも知れない。
「そう言えば・・・」
とフと頭に浮かんだ。
湧水は、今年、福祉施設の人達に腹いっぱい食べてもらおうと、大玉西瓜の苗を10本休耕田に植えた。
そこは、モグラの穴から周囲の水田の水が入り込んで沼のようになり、果たして砂漠が原産の西瓜が獲れるかどうか自信がなかった。
それで高畝にして苗を植えた。
ここまでやれば自分の役割は果たしたと考える事にした。
そして、後の出来栄えは食べる予定の人次第だと割り切った。
つまり、贈られて食べる予定の人達に、その資格が無ければ西瓜はできないし、もし資格が有れば立派な西瓜が自然に実るだろうと考えたのだった。
そう考えると、湧水自身が出来栄えに気をもむ必要はないと気楽になった。
果たしてその結果は、苗が途中で2本枯れたらしいが、大小36個の西瓜が実った。
一回目に16個収穫して、巨大な西瓜はすべて福祉施設に贈る事ができた。
その後二回目にも10個大きな玉を収穫して様々な人達に贈った。
しかし他の10個は残念ながら隣の水田の水が入ってきたり、雨が降り続いて西瓜の底が水に沈んで腐ってしまっていた。
それでも、その後に、まだ小さな玉が10個ほど付いたから、それ等が大きくなるのを待っている。
このように誰それに食べてもらおうと言う強い願いと目標を持って野菜作りをすれば、途中で枯れたりしても他の作物の方が補うように頑張って最終的には目的を果たしてくれるのかも知れない。
と湧水は思った。
だとすれば、同じように、都会に住んでいる人達の仲でも野菜を最も必要としている子供達に食べてもらおうと言う強い願いで野菜を出荷すれば、様々な人達の手を経ても結局は、うまくそう言う人達の元へ届き、その口に入るのかも知れない。
「そう考えれば、確かに・・・」
と湧水は自分がt氏に言った冒頭の言葉を想い出していた。
「・・得積み・・見知らぬ都会の子供達のお爺さん・・」
そうだ!これから、こう言う人達が増えれば日本社会も住みやすくなるのでは・・・?

おわり)

夏の終わり 雨季のごとくに?

2017-08-22 17:55:16 | 俳句日記の部屋

熱帯の 雨季ごとくに 今年夏  湧水

もう九月 光ファイバー 乗り換えし  湧水

茄子胡瓜 元気失せたる 夏終り  湧水

あらかたの 西瓜穫りしや 夏終わる  湧水

西瓜茄子 配り終えれば 気がぬけし  湧水

盆供えの 大メロン来し 食べ時かな  湧水

丸ごとより 切り分け食べたし ひとりメロン  湧水

蒸す山路 カンカン照りより まだマシかも  湧水

この夏が かぎりの蝉の 元気声  湧水

人けなし 稲芋よろこぶ 残暑かな  湧水

来る夜ごと 増えゆくエンマの 闇の声  湧水

こおろぎの 増えゆく声の 夜涼し  湧水

残り茄子 ひょっこり客が 持ち帰り  湧水

盆過ぎて 安堵の里の 長話  湧水

招かざる 客のごとくの 秋蚊かな  湧水

ひと夏が 過ぎむと響く 雷雨かな  湧水

嫁姑 仲ほころびし 秋の風  湧水

毎夕の 水やり雷雨に 感謝かな  湧水

今日も鉢花や畑の水やりを雷さんがしてくれた。
こんな事がほぼ一週間も続いていて、お蔭で鉢花が生き生きとして来た、もちろん私も、感謝感謝!


お盆の飛騨 秋の気配

2017-08-15 15:31:57 | 俳句日記の部屋

こおろぎの 声連れ来たる 秋の闇  湧水

客去れば 秋の気配の 飛騨の盆  湧水

うな重と さば寿司供え 盆の夕  湧水

お盆のにぎり寿司には飽きたかも?と、いえ私の事じゃないよ。

突然に 蜂に刺されし ボカシ作り  湧水

入口に 蜂の巣大き ミニハウス  湧水

「山の日」も 膝に悪きと 引き返し  湧水

昼雷雨 水やり不要と 感謝かな  湧水

むしむしと 朝の不快や 昼雷雨  湧水

釜の蓋 開いたがごとく 蒸す朝かな  湧水

盆の朝 不意の雷雨に 村清まり  湧水

今年も みんみん蝉や 盆山里  湧水

盆の墓 経のごとくに みんみん蝉  湧水

嫁に出す 娘のごとく 西瓜七個  湧水

ごっそりと 夜盗まれむ 西瓜七個  湧水

ころころが ごろごろになり 西瓜畑  湧水

踏み入れば 西瓜ごろごろ 草のかげ  湧水

ボール大 大茶釜に化け 西瓜畑  湧水

一個づつ 運ぶ西瓜の 汗うれし  湧水

一個づつ 抱いて運びし 西瓜九個  湧水

休耕田の芋畑の隣の空いた場所に大玉西瓜苗を植えておいたら、知らぬ間に巨大西瓜になっていてビックリ!

こおろぎにと 残せし草むら きりぎりす  湧水

川柳

坊さんの 前代未聞や 盆忘れ ご先祖様もお金もソッポむくよ!

忘れた!と 家々詫び回る 坊さん妻 奥さんのあきれた怒りがひしひしと

盆忘れの 坊さんを怒らず ブログネタに いえいえ誰にもある事ですとニコニコ返事。

  もちろん、坊さん本人は「勘違いで!」と言い訳したが・・・えっ認知症のケかも?